駒子の備忘録

観劇記と乱読日記、愛蔵コミック・コラムなどなど

『子供の事情』

2017年07月13日 | 観劇記/タイトルか行
 新国立劇場、2017年7月12日18時半。

 4月のある日の放課後。みんなが塾や習い事で忙しい中、なんだかんだと教室に残っているのは毎日同じ顔ぶれである。クラスで一番頼りになるアニキ(天海祐希)、一番の勉強家ホリさん(吉田羊)、一番の問題児ゴータマ(小池栄子)、おじいちゃんみたいなジゾウ(春海四方)、恐竜博士のドテ(小手伸也)、なんでもオウム返しのリピート(浅野和之)。子役スターのヒメ(伊藤蘭)は仕事が忙しく、放課後に特別授業を受けている。みんなのあだ名をつけたのはホジョリン(林遣都)だ。彼らに目を光らせるのは学級委員のソウリ(青木さやか)、そこへミステリアスな転校生ジョー(大泉洋)が現れて…
 作・演出/三谷幸喜、音楽・演奏/荻野清子、美術/松井るみ。昭和46年、世田谷区立楠小学校4年3組の一年を描いたミュージカル。全2幕。

 そう、ミュージカルなのでした。しかも当初はその予定ではなかったそうです。お稽古の途中でどんどん歌が増える芝居だなんて、すごいですねー。でもすごく正しいミュージカルでした。ミュージカルのパロディーっぽいところもあってそういうのも楽しかったんだけれど、やはりドラマにインパクトがあったときに盛り上がって歌うとか、キャラクターが心情を歌で吐露するとかがやはりミュージカルの真髄なんだと思いますし、そういう意味でとても理にかなっていた歌の在り方だったんですよね。で、またみんな上手いんだ!(笑) みんなミュージカルスターではなくてあくまで役者なはずですが、無駄に上手い、それがまたおもしろいし、素晴らしい。
 お話としても、子供たちの話だけれど大人や社会を反映した物語なので、ざらっとした部分もあります。でも基本的にはコメディー。そしてものすごく深刻なテーマとかメッセージとかがあるわけではないタイプの作品です。そういう点でもミュージカルとして正しいなと思いました。そりゃ革命を歌い上げるような悲劇の大ドラマチック・グランド・ミュージカルだってもちろん世の中には多いですし、そういう大作の方がファンも多いのかもしれないけれど、ミュージカルの本質は本当はこういったささやかな日常や小さな幸せを歌うところにこそあるものなんじゃないのかしらん、などと思わせられたのです。悲劇メロドラマ好きのこの私に! だからやっぱり、たいしたものです。
 ウェルメイドのコメディーを書かせたら今や右に出る者がそうそういない三谷幸喜、さすがです。お稽古初日に脚本ができていたことを笑いになんかしていないで、これからもきっちり良作をたくさん作っていっていただきたいです。今回はハコはちょっと大きかったかもしれないけれど、魅力的なキャストだしチケットは即完売だったんだろうなー。あと、大きな舞台にしかできない鮮やかなラストも素晴らしかったです。

 私も、10歳のころあたりできちんとしたもの心がついたように思います。それ以前はやはりただの子供で、虫みたいなもので、動物以下だったと思うのです(^^;)。
 小学校のクラスは2年ごとにクラス替えされるはずだったのですが、校舎の建て替えなどがあって私は3年生のときのクラスはその1年間だけで終わり、4,5,6年生を同じクラスで過ごしたのでした。ちなみにこのお話と同じ3組でした(笑)。それで思い出深いのかもしれません。
 あと、漫画の描き方入門みたいな本を手に入れて、それに沿って、Gペンとかペン軸とかケント紙とかを買い揃えて投稿用の原稿を描き始めてみたのもこのころでした。B4の画用紙を見開きに見立てて鉛筆描きでコマ割りして描いた大長編はたくさんあったんですけれどね(^^;)。
 そう、私はこの10人で言えばソウリみたいだったのかなあ。学級委員とかやっちゃう、仕切りやタイプの優等生。でも外ではそうでも内ではオタクでした。だから中学のときの転校を機にキャラを変えたというか、無理をするのをやめたかな。そういう意味でも、落選をきっかけにはっちゃけちゃったソウリと似ている気がします。

 すべてが完全に当て書き…ということではなく、あくまで作者自身の思い出の中から頭で作り上げたお話だそうですが、役者がみんな本当にタイプで言えばそういう子供だったんじゃない?というハマりっぷりの演技を見せてくれていたのも素晴らしかったです。
 観客も、観ていて思い当たることが多いような、自分もどのキャラクターに近いか考えてしまうような…そんな作品だったと思います。ここまで極端でなくても、子供の世界なりに事件はあって、似た思いをした人もたくさんいることでしょう。何より子供でいなかった人間はいない、だからみんな笑って泣いて怒ってまた泣かされますよね。卑怯なまでに上手いと思いました。
 ジョーの、なんというか…卑怯というか矮小というか小悪党ぶりというか…とか、ドテの扱いというか描かれ方というか…とかは、もしかしたら引っかかる人もいるのかもしれないな、とも思いました。でも、特にドテは、私はこういうクラスメイトがいたな、と思ったので、嫌だなとは思いませんでした。今は発達障害とか呼ばれるものなのかもしれませんが、当時はまだそんな言葉はなく、でもこうした友達は確かにいました。特殊学級の方で授業を受けていることが多くてもやっぱりクラスメイトで、遊ぶときはいつも一緒で、泣き虫なんだけど優しくてみんなに大事にされていて…という友達でした。
 彼を別格にすれば、人間は、というか人生とは、つまるところずっと自分のキャラの模索するものというか、自分の居場所探しをしていくもの、ポジション取りを極めていくもの、といったところがあるわけじゃないですか。それをちょっとほろ苦く、でもあくまで明るく優しく描いた作品だったのかな、と思います。彼らがどんな大人になったか、どんな人生を歩んだかはまた別のお話。平均寿命が長くなっているとはいえさすがに人生の折り返し地点も過ぎて、それでもまだまだ人生は変えられると思える、もっともっと幸せになれると思える人間に、なっていてくれるといいなと彼らのために思います。そして自分もそう生きたい。生きてきた分の人生を背負って、そこからさらに生きていくのが人間なのですから。




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