国境をなくすために

戦争をしない地球の平和を求めるには、国境をなくすことが必要と考えました。コミュニティガーデン方式を提案します。

フェイクニュースと 人脈と まじめさ

2017-04-28 09:07:18 | Weblog
項目A 公務員組織の不合理 → 解体、小さな政府
    A-1 高齢者が元気に活躍する社会システム
項目D 国境をなくすために → 国際間の問題
(冊子『国境をなくすために』の送り状は2007年10月22日にあります)
     (ブログ『国境をなくすために』の趣旨は2008年10月15日にあります)

フェイクニュースは人脈を持たない人々のツールといえるのでしょうか?
(fakeとは、 にせもの、模造品、スポーツなどで相手を惑わす動きフェイント)

嘘のニュースなので、あきらかに不正なのですが、それが人々から支持されて社会問題をあぶりだすということは、フランス人が言う既存メディアがきちんと取り上げないという悪い人脈の存在ということでしょうか。

個人的に、悪意の噂を流されてどこへ反論したらよいかわからない不愉快状態と同様に、社会に、フェイクニュースを拡散する人がいて、社会的不愉快(困難)問題になっているわけで、多くの人が悪意にそまっているというなさけない社会になった、、、

例えば学歴社会というものがあって、皆が学歴を持ちたいために学習をした、学歴人脈に無事に入れた人はベースに嘘をつかないなどの自己責任を当然そなえた人材と認識された人々であって、たまに道を踏み外した人が、その学歴人脈社会からはじき出される、はじき出されたくないから嘘のない人生に努める、それがいつの日か大きな人脈構成の一員になってゆく。
フェイクニュースの発展は、ルールや自己責任を持たないフェイクニュース社会メンバーと位置付けてみました。
社会的・政治的意見を言いたいときに、勇気をもって発言するとしてもいじめやしかえしをされる人脈社会状態ができているのだから、名前や姿を見せないまま意見が言える方法ができたことは、社会の進歩だと私は思うけれど、社会全体が不幸な方向へ動くような仕掛け(ツール)になっては、何よりも悲しい破壊行為のためのツールでしかなくなる。
フェイクニュース手段とそれを拡散しようとする人は、自由や責任を持ち合わせているのだろうか?
現在社会の中で不満がいっぱいで‘責任感なんて持ってなーい’と叫ぶ人々でしかないなら、それは間違いだと諭すプログラムが必要です。

社会が良くなるには、人の心のありようが原点です。 運と努力が誰にも与えられていることが人権だと思います。
どの人も正しく我慢強い精神を鍛えれば報われるという社会システムが崩れている現象がフェイクニュース問題のテーマだと思います。

日本は自然災害が多いので、人がおこす暴力や戦闘(これが産業活性であってはならない)で壊される経験は、もうまっぴらごめんです。 壊れた中でも工夫と努力で乗り越え過ごす敗戦後社会があったのですから。 74歳です。

蛇足ですが、ほとんど多くの高齢者は同様の考えだと思うので、年金問題にも通じる解決策があるかも。

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