近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
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平成29年6月5日 三島由紀夫「花ざかりの森」研究発表

2017-06-10 21:58:58 | Weblog
 こんにちは。
 約一週間を経ての更新となってしまい、申し訳ございません。6月5日に行われました、三島由紀夫「花ざかりの森」の研究発表についてご報告させていただきます。発表者は三年長谷川さん、三年鷹嘴さん、一年須藤さんです。司会は二年野口が務めさせていただきました。
 
 「花ざかりの森」は、当時十六歳の三島由紀夫が雑誌「文藝文化」に連載した作品で、エピグラフからはじまり「序の巻」「その一」「その二」「その三(上)」「その三(下)」の五つの章から成り立っています。先行研究では、学習院時代の恩師清水文雄や「文藝文化」との関連を作家論的に論じたものや、詩的・抒情的な文体、ロマン主義的な夢想の内実について論じたものがみられました。また、作者の出発点の作品として、作品構成や海のモチーフなどのちの作品と通ずる点が指摘されています。他作品との関連を論じたものでは、遺作「豊饒の海」との比較検討が多くなされていました。
 今回の発表では、「物語をまとう語り手」という副題を掲げ、語り手がどのような手法で「花ざかりの森」を束ねていくかについて考察がなされました。
 発表要旨としては、まず「その二」「その三(上)」「その三(下)」で語られる別々の物語が語り手の操作によって統御されていることが主張されました。〈祖先〉、〈追憶〉、〈憧れ〉、〈海〉などといった言葉は物語を繋ぎとめる頸木として付与され、〈追憶〉がなく他と性質の異なる「その三(上)」では語り手が「ささやかな解釈」を付け加えることで物語を束ねていることが指摘されました。また、物語を統一するための手法として〈追憶〉が用いられていることが指摘されました。〈追憶〉とは、過去や他人の経験した出来事など距離のある対象を自分なりに捉えなおすことで本質を得ることができる、というものであり、この〈追憶〉こそ語り手が語ろうとしたことの要であると考えられます。語り手は別々の物語を捉えなおし、繋ぎあわせることで、物語に自分なりの意味を付与するとともに物語を自分のものにしていきました。読者もそれぞれの物語を自分なりに捉えなおす、つまり〈追憶〉することで物語を自分の中に取り込み、またそうした読書行為を読者自身が理解し個々の中に返していくことで、物語の一部になっていくのではないか、と主張されました。

 質疑応答では、語り手は「その二」「その三(上)」「その三(下)」において日記や物語や写真といった現実にある事物を媒体として〈追憶〉しているにもかかわらず、その中に多分に語り手の解釈が入っていることについて複数の指摘がありました。カッコ内の文章が直接引用か間接引用か、といった点に関しては発表者の中でも意見が割れていました。それに対して、本作には外部(=他者)がないという批判が後年の三島自身によってされていたことを先生よりお話しいただきました。加えて、「花ざかりの森」は他者を作品世界に導くことを考えなかった語り手の恣意性・歪みに貫かれた、この気難しい美意識によってかろうじて支えられている作品であるとのご指摘をいただきました。
また、最初から最後まで語り手の思いしか書かれていない作品でありながら、「わたしたち」「われわれ」といった言葉が多く出てくることについて考察されました。この点に対しては先生より、先のような気難しい美意識を多くの人に共有してほしいという切実な願いによるものではないかというご指摘をいただきました。

 以上、まとまりのないものとなってしまいましたが、ご報告させていただきました。今回は、今年度より入会した会員が発表者として参加する初めての会となりました。発表中の様子より、準備の段階から発表に至るまで積極的に臨んでくださったことがうかがえ、見習うべき点が多々ありました。
 次回は、坂口安吾「木枯の酒倉から」の研究発表です。
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