近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
会の様子や文学的な話題をお届けします。

平成29年5月29日 吉行淳之介「驟雨」読書会

2017-06-02 02:17:17 | Weblog
 こんにちは。
 5月29日の例会は吉行淳之介「驟雨」の読書会を行いましたので、ここに会の様子をご報告させていただきます。
 司会は4年小玉が務めました。
 
 僭越ながら、簡単に作品の紹介をさせていただきます。
 大学を出て社会人三年目の主人公山村英夫は「遊戯の段階からはみ出しそうな女性関係には巻き込まれまい」と考えている人物でした。娼婦との交渉は「遊戯」の段階にとどまると考えていましたが、ある日道子という娼婦に出逢います。道子は理智的な相貌と魅惑的な?を持った女性です。山村はそんな道子に思わず惹かれてしまいます。しかし、道子は職業柄ほかの男と交渉を持っています。山村は「娼婦の町の女に対して、この種の嫉妬を起こすほど馬鹿気たことはない」と頭では考えながらも、その心内ははっきりと道子への傾斜を示してしまい、それをどうしようもなく否定できなくなってゆくところで物語は終わります。
 「驟雨」は昭和29年に書かれました。また第31回芥川賞作品であることから、吉行の実質的なデビュー作として名高い作品です。しかし、芥川賞選評を概観する限りその評価は高いとは言い難いものでした。
 先行研究では、主人公山村英夫の「心理小説」という定説が出来上がっているようです。山村がいかにして道子に惹かれて行ったのか、その心理の分析が主流となっています。近年の研究もこの枠組みを大きく越える論文は提出されていないようです。

 さて、例会では、山村の心情を語る語りの問題について話し合いになりました。会員からは、山村が運勢占いを買った場面で「その女の心を慮って彼は道子にいい星を願ったのだろうか」と唯一推量を用いている箇所がある。これにはどのような意味があるのか。という疑問が提出されました。これに対し、三人称の語り手は山村の心情を精緻に、時には本人すら自覚していない深層心理を語っている。道子や、他の登場人物の心情を断定して語ることはないため、実質的な一人称小説ともとれるが、山村の気づかない心理をも読者に提示することが出来る語り手である。という分析のもと、それだけ山村の心情の切実さを伝えて来るのではないかという意見が出されました。
 語りについて意見が出されると、人物の呼称についての問題も議題にあがりました。「女」や「娼婦」としか表記されなかったのが道子と表記されるに至ったのは山村の心情が反映されているのだろうという意見です。これに関連して、小説に名前を持って登場する三人のうち男性は姓と名の両方が記されているのにも関わらず、道子は常に名だけで登場していることについての指摘がなされました。戦後の男性社会という情景をこの作品に見出すのに十分な指摘で、表社会に出て人並みに働く男性のイメージと、そこから取りこぼされていく女性のイメージを見ることが出来るという意見が出されました。先生からは、徹底的に俗物として書かれる古田五郎は、しかし「驟雨」世界では、結婚をし、家庭を持つ一般的な男性として表象されている。一方の山村は「明るい光を怖れるような恋」をしていたように一般的な規範からは外れながらも、道子への純愛的な姿勢が、古田への、ひいては世間や制度といったものへの批判となって表れているとのご指摘がなされました。
 この他にも、木の葉が一斉に落ちる「緑の驟雨」の場面は山村の心を覆っていた理性が剥がれ落ち、道子への恋を明確に志向するようになったという意見。小説内の色彩感覚が美しく心を打ったという感想など、さまざまに意見交流がなされました。

 新入生の歓迎会も終わり、新入生が正式に入会を決めてはじめての例会でした。会員のモチベーションも高く、非常に良い雰囲気の読書会だったのではないかと思います。
 次回は、三島由紀夫「花ざかりの森」研究発表です。
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