カイロじじいのまゃみゅむゅめも

カイロプラクティック施療で出くわす患者さんとのやり取りのあれこれ。

三木成夫 『内臓とこころ』 河出文庫

2017-08-01 11:16:11 | 本日の抜粋
一本の腸の前側が脱肛したものが我々の顔なんだって。
我々が容貌の良し悪しを云々することは腸の脱肛具合を云々しているって事。
なんか笑っちゃうし、なんかほっとしたりしている徳さんでもある。

五億年前に発生した脊椎動物から順を追って腸を観察した結果なんだそうだ。
そして、その経過は胎児において繰り返しなぞられる、、、。

赤ちゃんは事情が許される限り母乳で育てほうがいい。
これはよく聞く話だ。
まだ免疫力の乏しい赤ちゃんをお母さんの免疫力でカバーするためだと。
しかし、それだけではない。顔をお母さんの乳房に埋めて嘗め回し赤ちゃんは鋭い感覚を身につける、、。


立ち上がりについて
***
クラーゲスは、これを「視界拡大」の衝動――人間だけの持つ、この強烈な促迫の産物としています。(中略)
 直立を産むのは、ですから、狙う衝動ではなく、あくまでも遠くを眺めようとする衝動です。この「遠(エン)」に対する強烈なあこがれ――これこそ人間だけのものです。
  ***

声について
  ***
 人間の言葉というものは、こうしてみますと、なんと、あの魚の鰓呼吸の筋肉で生み出されたものだ、ということがわかる。脊椎動物の五億年の歴史を遡る時、私どもは、否応なしにこの事実に突きあたることになるわけですが、いずれにしても、人間の言葉が、どれほど〝はらわた〟に近縁なものであるかが、おわかりになったと思います。それは、露出した腸管の蠕動運動というより、もはや、〝響きと化した内蔵表情〟といったほうがいい。なんのことはない―――〝はらわたの声〟そのものだったのです。
  ***

三木先生が最初に胎児の顔を見た時の驚き 
  ***
この時期の胎児の顔を真正面から観察することは不可能です。そのためにはどうしても頸の部分を切断しなければならない。それはふつうの神経ではとてもできない相談ですが、まことにやむをえない。この決心が固まるまでに、いったいどれほどの月日が流れ去ったことか・・・・。
 その瞬間の情景はいまでも鮮やかです。夏の終わりのある日、深い木立に囲まれた窓辺で、顕微鏡をのぞきながら極細の実験鋏でソっと切り落とす・・・・。
それは受胎三二日目と見られるフォルマリン固定の、それはそれは珠玉のような退治でした。もう何年も宝物のように机の上に置いて眺め続けてきた標本シリーズの一つだったのです。
 小さなビン越しに映る白いかすかな透明なその生命は、例の勾玉のかたちに顔を深く胸に埋めている・・・・。
 私はフォルマリンの液体のなかを、ゆらゆらとゆれながら落ちていったそのゴマ粒のような頭
部を、ピンセットでソッとこちらに向けた時の、その衝撃は忘れることはないでしょう。
 フカだ!それはまさにあの軟骨魚類のそれだったのです。生きた化石といわれるラブカのエラの顔が、一瞬頭をよぎりました。
  ***



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