『雲乃平八郎の浮雲』
もういやだ地震に来ては欲しくない日本中が震えるばかり
恐ろしくなりますね。地震に津波に噴火もですか。何年もしないうちに来るかもしれないなんて、そんな予報は外れてほしい。地震の研究家の方、予報を外してください。地震が来るかもしれないと言う予報は、外れた方が嬉しいのです。
見たこともない恐怖が、日本列島を襲うかも知れない訳で、どうやって備えたらいいのでしょうか。道路は、電車は、電気は、水道は、何のかんのとインフラは大丈夫なのでしょうか。この間経験したよりも大変なことが起きそうだなんて、信じたくはありません。
でも備えなければなりません。備えは十分にしておいて、何事も起きないことを祈るばかりです。備えるための金は、決して無駄金ではありません。古くなって捨てることになっても、掛け捨て保険だと思えばよいのです。
自分だけ自分を知らぬは自分かも知っていても認めたくないから
自分の内面は、分かっているようで、分からないものです。人から指摘されて、そうかもしれないと思っていても、なぜか腹を立てる。本当のことを言われると、本来すぐ反省するべきなのだが、なぜかしら認めたくない自分がいるものです。
自分のことをどこからどこまで知っているのか、考えてみたとき、すべてではないことに気が付きます。外面的にも、鏡を見て知っているよと言っては見ても、背中とかおしりとか、頭の後ろとか、普段見ているようで、全く見ていないことに気づきます。
体の内部にしても、検査を受けて初めてわかるのではないでしょうか。まして精神とか心などは、自分でもすべてを把握しているわけではないなと気付かされます。自分の性格は、どこからきているのかと言うと、遺伝とか、遺伝子のほか、経験と環境などの外的要因も考えられます。それに、自分で気が付いて厭な点は、変えようと思うものですが、なかなか変えられるものではありません。
心の中には、天使も悪魔も棲んでいます。自分は良い人間だと思っても、自分じゃない、と言いたくなるような、邪悪な思いを持つ時もあるものです。表に出るか出ないかは別として、心と行いにはギャップがあるものです。
自己分析と自己制御がなされている時は、善人ですが、逆鱗に触れられたときには、普段見せたことのない、隠れた性格が出て怒り、暴力的な自分が出てくるのです。私は、心理学はよく分かりませんけれど、心は、自分に要求をいつも突きつけているはずです。規則正しい生活とか、ダイエットとか、禁煙とか、禁酒とか、自分でも守らなければいけないとか、限度を超えてはいけないと分かっているのに、制御できない自分がいるのです。ただ私は、たばこも酒もたしなみませんので、その点は楽です。
やる気のある時とない時も、自分でどうしようもないなと思う時もあります。きっかけがあればやれたりしても、何もないとどうもできない時があって、ぐうたらな自分に嫌気がさすのです。人は、気持ちよく仕事も勉強もしたいと思っていますが、自分の性に合わない仕事や勉強は、絶対に乗ってこないものです。それでも、なんとかやれる人は、何も言う事はありませんけれど、全くやる気をなくしてしまう人もいて、諦めて放棄してしまうのです。
私もそんなときはありますし、どうしても集中できないことも多々あります。そんな時にも、何らかの目標とか、きっかけを求めてみるのです。どんなに小さなことでも良いので、探すのです。探せない時は、環境を求めるのです。場が適していれば、やる気も起きるはずです。
白鳥に会える琵琶池鴨もいて岸辺に立つと急ぎ寄り来る
大田原市の琵琶池には、毎年白鳥が来ます。他にも羽田沼(はんだぬま)なども来ますけれど、私は時々、琵琶池を訪れます。池の岸に立つと、大急ぎで鴨が飛んできます。そのあとから白鳥がやってきます。冬場は餌が乏しい事もあるようで、餌欲しさにやってくるのです。
カルガモ、マガモ、キンクロハジロ、オナガガモ、オオバンなどの鴨と一緒に、ハクチョウがいます。多い時は、20から30羽います。鴨は、何百羽もいて数えきれません。農業用の池なのですけれど、結構広い池です。凍り付いている部分もあって、鴨などが氷の上にいたりします。
身近なる人のさまよう世にありて心配りを今も果たさん
何があっても、愛する人を守らなければならない。一心に思う心は常に変わらない。しかし、離れている時に、もし地震が来たら、傍にいられないもどかしさ、心細さ、悔しさ、心配でたまらない気持ちになります。
だからこそ家路を急いでしまうのですが、交通機関は止まり、道路は渋滞、待てども動く気配ない時、なんとかして、歩いてでも帰りたいと思うのが人情です。3・11の時にまさにそうでした。道路に人があふれ、それでも歩いて行った人がたくさんいました。先日、訓練をしていましたが、あの程度の人数では、本当のシミュレーションになったでしょうか。問題点を見つけ出すという事では良かったと思いますが、もっと準備しての訓練がなされなければ、本当の意味で、実際に生かされないかも知れません。でも、取り組んだ方々のご労苦には感謝します。これからもより良い取り組みをなさってください。
5日からは、出かける予定がありますので、次回のブログは12日からになります。
もういやだ地震に来ては欲しくない日本中が震えるばかり
恐ろしくなりますね。地震に津波に噴火もですか。何年もしないうちに来るかもしれないなんて、そんな予報は外れてほしい。地震の研究家の方、予報を外してください。地震が来るかもしれないと言う予報は、外れた方が嬉しいのです。
見たこともない恐怖が、日本列島を襲うかも知れない訳で、どうやって備えたらいいのでしょうか。道路は、電車は、電気は、水道は、何のかんのとインフラは大丈夫なのでしょうか。この間経験したよりも大変なことが起きそうだなんて、信じたくはありません。
でも備えなければなりません。備えは十分にしておいて、何事も起きないことを祈るばかりです。備えるための金は、決して無駄金ではありません。古くなって捨てることになっても、掛け捨て保険だと思えばよいのです。
自分だけ自分を知らぬは自分かも知っていても認めたくないから
自分の内面は、分かっているようで、分からないものです。人から指摘されて、そうかもしれないと思っていても、なぜか腹を立てる。本当のことを言われると、本来すぐ反省するべきなのだが、なぜかしら認めたくない自分がいるものです。
自分のことをどこからどこまで知っているのか、考えてみたとき、すべてではないことに気が付きます。外面的にも、鏡を見て知っているよと言っては見ても、背中とかおしりとか、頭の後ろとか、普段見ているようで、全く見ていないことに気づきます。
体の内部にしても、検査を受けて初めてわかるのではないでしょうか。まして精神とか心などは、自分でもすべてを把握しているわけではないなと気付かされます。自分の性格は、どこからきているのかと言うと、遺伝とか、遺伝子のほか、経験と環境などの外的要因も考えられます。それに、自分で気が付いて厭な点は、変えようと思うものですが、なかなか変えられるものではありません。
心の中には、天使も悪魔も棲んでいます。自分は良い人間だと思っても、自分じゃない、と言いたくなるような、邪悪な思いを持つ時もあるものです。表に出るか出ないかは別として、心と行いにはギャップがあるものです。
自己分析と自己制御がなされている時は、善人ですが、逆鱗に触れられたときには、普段見せたことのない、隠れた性格が出て怒り、暴力的な自分が出てくるのです。私は、心理学はよく分かりませんけれど、心は、自分に要求をいつも突きつけているはずです。規則正しい生活とか、ダイエットとか、禁煙とか、禁酒とか、自分でも守らなければいけないとか、限度を超えてはいけないと分かっているのに、制御できない自分がいるのです。ただ私は、たばこも酒もたしなみませんので、その点は楽です。
やる気のある時とない時も、自分でどうしようもないなと思う時もあります。きっかけがあればやれたりしても、何もないとどうもできない時があって、ぐうたらな自分に嫌気がさすのです。人は、気持ちよく仕事も勉強もしたいと思っていますが、自分の性に合わない仕事や勉強は、絶対に乗ってこないものです。それでも、なんとかやれる人は、何も言う事はありませんけれど、全くやる気をなくしてしまう人もいて、諦めて放棄してしまうのです。
私もそんなときはありますし、どうしても集中できないことも多々あります。そんな時にも、何らかの目標とか、きっかけを求めてみるのです。どんなに小さなことでも良いので、探すのです。探せない時は、環境を求めるのです。場が適していれば、やる気も起きるはずです。
白鳥に会える琵琶池鴨もいて岸辺に立つと急ぎ寄り来る
大田原市の琵琶池には、毎年白鳥が来ます。他にも羽田沼(はんだぬま)なども来ますけれど、私は時々、琵琶池を訪れます。池の岸に立つと、大急ぎで鴨が飛んできます。そのあとから白鳥がやってきます。冬場は餌が乏しい事もあるようで、餌欲しさにやってくるのです。
カルガモ、マガモ、キンクロハジロ、オナガガモ、オオバンなどの鴨と一緒に、ハクチョウがいます。多い時は、20から30羽います。鴨は、何百羽もいて数えきれません。農業用の池なのですけれど、結構広い池です。凍り付いている部分もあって、鴨などが氷の上にいたりします。
身近なる人のさまよう世にありて心配りを今も果たさん
何があっても、愛する人を守らなければならない。一心に思う心は常に変わらない。しかし、離れている時に、もし地震が来たら、傍にいられないもどかしさ、心細さ、悔しさ、心配でたまらない気持ちになります。
だからこそ家路を急いでしまうのですが、交通機関は止まり、道路は渋滞、待てども動く気配ない時、なんとかして、歩いてでも帰りたいと思うのが人情です。3・11の時にまさにそうでした。道路に人があふれ、それでも歩いて行った人がたくさんいました。先日、訓練をしていましたが、あの程度の人数では、本当のシミュレーションになったでしょうか。問題点を見つけ出すという事では良かったと思いますが、もっと準備しての訓練がなされなければ、本当の意味で、実際に生かされないかも知れません。でも、取り組んだ方々のご労苦には感謝します。これからもより良い取り組みをなさってください。
5日からは、出かける予定がありますので、次回のブログは12日からになります。









