自然農園「こころ」

九州宮崎県国富町にて自然農(野菜・お米)、自然卵、釜入り茶を中心とした農的暮らしを実践しています。

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種をまいてみませんか 2005年3月

2006-03-22 20:34:35 | まぐま
ぽかぽかとした春の陽気に野の草草は色とりどりの花を咲かせ綺麗ですね。私の畑では、耕さず、化学肥料や農薬除草剤を使わず、草や虫を敵にせず、生命の営みを大事にする自然農を実践しています。そんな私の畑でも、冬を好む野菜や草が体を大きくし、花を咲かせ、種子を育み、夏の生命や次の世代の子供たちへと生命の舞台を交代しようとしています。
自然界は種まきの季節です。空き地やベランダのプランター、まずは土のあるところに一粒でも種をまいてみませんか。芽が出てうれしくなり、花に見とれ、実を食べておいしく、やがて訪れるてんとう虫や鳥などの小動物に和まされ、幸せを感じられます。豊かさとは「生命の数が増える」ということのようです。たくさんの草や虫、小動物、微生物と一緒に生きている、つながっていると感じられる自然農の田畑に立つとなんとも気持ちいいものです。安心出来ます。こころが喜んでいると感じています。
自然農をはじめて、まだわずか4年、たった4回しか種まきしていない私ですが、先に始めたものとして私にとっての自然農を紹介させていただきます。種をまけば育ちます。生命はたくましく、健康に育つのが自然なようです。難しいことはありません。私が思うように育たないのは私の応じ方が悪いからでした。余計なことをしすぎているからでした。過保護で軟弱な生命にしているからでした。けれど「放任」ではないですよ。手をかけすぎず、目はしっかりとかけます。田畑にたつと作物がどうして欲しいのか、いろいろと感じられます。耕してはいけない、草を刈ってはいけない、肥料を補ってはいけないのではありませんでした。なぜなら、私がしてあげたいと感じたのにしないのは不自然ですから。それでは自然農じゃないんですね。まずは、私の心が感じるようにしてみてください。
耕さないほうがいい、草や虫を敵にしないほうがいい、肥料をやらないほうがいいと実感していることは、次号より紹介させていただきます。

参考資料に
・ 『妙なる畑に立ちて』川口由一 野草社 自然農の本質はここに
・ 『自然流家庭菜園のつくり方』徳野雅仁 洋泉社 家庭菜園入門書
・ 自然農実践 http://www1.linkclub.or.jp/~amal/ 写真付きでわかりやすい
・ 賢治の学校 綾自然農生活実践場 農作業体験者を受け入れられています
0985-30-7090  ayashiz4708@ybb.ne.jp
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ちょうどいい 2006年3月

2006-03-22 10:50:15 | 綾だより
「こんなはずじゃなかった、なんで私ばかり不幸なのと思うような状況も出来事も私が育つためにはどうしても必要で、必然なのです。すべてがちょうどいいのです。起こっていることはすべて最善のこと。今はわからなくても長い目でみたとき、あのときあのことがあったおかげで今の自分があると思えるようになるはずです。」「起こっていることはすべて、私たちを育てたいという意思のもとに神様がくださった宿題なのです。だから、できない宿題はありません。」(船越康弘著「わらのお話」カントリーイン百姓屋敷わら)
     丁度よい(仏様の言葉)
お前はお前で丁度よい
顔も体も名前も姓もお前にそれは丁度よい
貧も富も親も子も息子の嫁もその孫も
それはお前に丁度よい
幸せも不幸も喜びも悲しみさえも丁度よい
歩いたお前の人生は悪くなければ良くもない
お前にとって丁度よい
地獄へ行こうと極楽へ行こうと行った所が丁度よい
うぬぼれる要もなく卑下する要もない
上もなければ下もない
死ぬ月日さえも丁度よい
仏様と二人連れの人生丁度よくないはずがない
「これでよかった。」と預けた時
億念の信が生まれます
南無阿弥陀仏
* この詩は、自己否定の苦悩の中に聞こえた、仏様の慈愛の言   葉です。安易な現状肯定ではありません。(石川県野々市町にある常讃寺坊守、藤場美津路さんの詩と注釈)

自給自足の生き方とは、自分で米や野菜を作るだけでなく、すべてのことをあるがままに受け入れ、自分が満足し感謝すること、自足すること(足るを知ること)が大切でした。幸せはどこかにあるのでなく私が感じるものでした。ちょうどいいときに、ちょうどいいことが、ちょうどいいだけ起きるのでした。欲しいものが手に入るのでなく、必要なものが用意されているのでした。すべてがちょうどいいのでした。
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耕さない田んぼでの米作り 2006年1月

2006-03-22 10:25:24 | 綾だより
ガーコン、ガーコンと歴史の教科書でしか見たことのない足踏み脱穀機という古い農具を踏んでいます。木に針金が打ち付けてあり、足で踏むと回転し、そこに一ヶ月ほど竹のはざにかけ、お日様の恵みで天日干しした稲を運びあてがうとジャージャーとパチンコが大フィーバーした時のように音を立てて稲わらからもみが外れ落ちていきます。お米のなんともいえない良い香りも漂ってきて、目で見て鼻で香って耳で聞いて、手足で感じて、視覚、臭覚、聴覚、触覚が心地よく興奮状態です。炊き立ての湯気の上がったご飯も思い浮かび、唾液がでてきて味覚も満たされます。私が満たされるだけでなく、仲間とうれしい、たのしい、しあわせと笑って作業できること、草草や虫虫、多くの生命と共に生かして頂ける恵みに感謝がわいてきて五感だけでなく第六感までも満たされて、心も体も魂も喜んでいるなーと実感できます。
何百万円というお金を投資してコンバインという機械等を利用すればわずか数時間で、稲刈りから脱穀、乾燥まで一人で出来ます。一方で、わがやの田んぼでは一円もお金はかけずに、お日様の恵みと仲間との楽しみながらの一ヶ月作業です。
人力での道具を利用しての農作業でも私の一年分の十分なお米を頂くことができます。農薬や化学肥料を使わずとも、一粒の種籾が芽を出し、一本のかよわそうな苗を手植えし、草に負けないように応じてあげれば、お茶碗一杯ほどのお米へと増やす営みを健やかに、たくましくなしとげます。主食としてのお米が確保できるだけでなく、クモの巣についた朝露の輝き、真夏の太陽がきらきらと水面を輝かせ、緑色の苗が風にゆれる姿、魚やつがいの野生の鴨がゆうゆうと泳ぐ姿、真っ赤な夕日に首を垂れた稲穂が照らされる姿等など、たんぼに足を運ぶと神秘的な世界に仲間入りさせていただき、ほんとにわくわくと元気をいただけます。一部の人だけが米作りを役割分担でするのでなく、お米を頂く一人一人がもっと田んぼに足を運ぶようになるといいのにな。

一年間の米作りの作業を記します。

4月 種おろし            10月 稲刈り
5月 苗床草管理           11月 脱穀 わらふり
6月 田植え             12月 苗床準備
7月 田んぼ草管理          1月  溝修復
8月 あぜの草管理          2月  畦道修復
9月 ハザ掛け用の竹の切り出し    3月  用水路清掃


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泣いちゃいました 2005年11月

2006-03-22 10:15:18 | 綾だより
涙が止まりません。人前で泣くものじゃないと我慢しようとしても、目から涙がにじみ出てきます。うれし泣きです。自分の心をごまかそうとしていたことに悔し泣きです。
 農的な暮らしをはじめて4年です。食べきれないほどのおいしい大自然の恵みに日々を生かしてもらえています。ご先祖さんや先に生きてくださった生命の続きの舞台で、仲間に囲まれ、うれしい、たのしい、しあわせと笑って今をすごせています。ほんとうに自然界では、必要なものは全て用意され、大安心の生命の舞台で生かされているなと実感をもてるようになっています。
 けれど、お金、現在の経済社会を生きることは甘くはないと不安になる時がありました。本来は別ではないはずなのに、自然界でほんとうの生命の世界を生きることと、おかしくなっている人間社会を生きることは違っている、経済社会を生きるためにはやりたいことだけでなく、お金を得るためにやらなければいけないことがあると考えることがありました。過去に、どうしようもないほどお金に不自由する場面に一度も遭遇していないのにでした。先のことに対して自分が不安を作り出していました。自然農を実践していたはずなのに、販売収入を頂くのだから、出来るだけたくさん、効率よく、早く早くとあせっている自分がいました。自然との一体感はなく、ただの不耕起栽培になっていました。鶏の世話や紅茶作りなどにも追われ、お日様が昇っている時間帯に農作業を出来ないと不安にかられました。家に戻ってからも販売のための作業で、家事はずさんになっていました。常に頭の中は農のことでいっぱいいっぱいに張りつめていました。当然のように体調がおかしくなりました。それでも、食事療法や整体、鍼などの手当てでごまかしごまかし作業をしていました。ついに気力までも薄れてきました。
さすがに、少し休息と気分転換が必要だと以前から誘われつづけていた五穀豊穣の豊受大神が祭られる伊勢神宮にお礼参りに行ってきました。そこで東京からこられたバイオリニストに出会い、安心な食べ物を送って欲しいと注文していただきました。ただ、「台風でお届けできるものがないんです」と告げるとその方は、「出来たときに出来たものでよいから」「甘やかしすぎかもしれないけど、農作物が届かなくても、あなたが生活できる一定額を支払うメンバーを募るから」とまで言ってくださいました。生産者と消費者の生かしあいの関係ができればとやれるだけのことはやっているつもりでした。ありがたいことに、数人の方が農作物を楽しみに購入してくださりました。それでも、台風が上陸すれば、私の頑張りなど関係なく販売できる野菜がないのですから収入はなくなりました。けれど、その方は、「届くものがなくとも、あなたの生き方にお金を出させてもらうのだから」とまで言ってくださいました。なんと私は恵まれているのでしょう。お金のためにやらなければいけないことがあると私の心をごまかそうとしていた自分が情けなくなりました。私は私がやるべきこと、やりたいことをやればいい。そうすることで、私は幸せになれる。それだけでなく他の人にも幸せを届けさせて頂ける。他のお役に立たせて頂ける。魂では、感覚ではわかっていたことが、頭で考えるとわからなく不安になっていました。もう何もおそれることはなくなりました。「人間社会も自然界の一部、やはり生かされている生命なんだと」と安心できました。「私は私の心が喜ぶことをすればよい」と大安心でき、うれしくて涙がこぼれました。
 
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お父さんへ 2005年8月

2006-03-22 10:12:38 | 綾だより
 「誕生日おめでとう」考えてみると、私が生まれた時の父の年齢に今、自分もなっているんですね。反対されながらも県外の大学院まで卒業させてもらったにもかかわらず、さらに就職においては、大反対されながらも百姓生活を始め、やがて30歳になるというのに未だに一人身で家庭を作れず心配ばかりかけます。
 戦後世代の公務員の父の姿は、若造の自分から見て今の日本の問題点を象徴するように感じ、随分と生意気な態度で反発していますね。親を乗り越えていくのが子の役割なのだからと、乗り越えるためにはと親を批判ばかりし妙ですね。また、他のおじさんに言われたことは素直に受け止められるのに、父の言葉にはいちいち反発してしまうのは、父親に対する変なライバル心の現れですね。そんな自分だから書籍「モモ」や「星の王子様」を薦めてもらいながらも、実際に手にとって読んだのはかなり時が経ってからでした。読んだ後も、大切なことに気付いているはずなのに、わかっているはずなのに実際の行動は矛盾している姿に余計にいらだちを感じていました。随分と幼い私です。今の私が、今のように感じ、考え、実際に行動させてもらえるようになっているのは、過去を生きてくれた、先を生きてくれた父、大人達がいて、その続きの舞台、積み重ねの舞台に生きさせてもらっていることに気がつけないでいました。過去があり、今があり、未来がある。ずっとずっと繋がっているんですよね。「これまで生きてきてくれてありがとうございます。」「ここまで育てて頂いてありがとうございます。」「これからも元気に笑って生きてください。」
世間的な安心とは違うのでしょうが、私自身は愛媛の大学院に行かせてもらえ自然農と出会え、百姓として多くの生命に生きさせてもらるのは、なんとも大安心で幸せな日々です。
まだ、渡せなかった手紙 
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いただきます 2005年6月

2006-03-22 10:09:47 | 綾だより
ついに、鶏を絞める時期がやってきました。私が、はじめてひよこから面倒を見てきた鶏さんたちです。手乗りになるほどよくなついてくれています。二年間よく卵を産んでくれました。愛情がいっぱいです。けれど生業とする以上、肉質、卵質の点で経営の都合で鶏さんに最後通告をすることとなります。卵の旬は春です。年を重ねた鶏は一年のうちで春先だけ産卵するようになり餌代がかかります。なんと私本位な都合で、神にでもなったように鶏さんの一生を終わらせてよいのだろうかと罪悪感がこみ上げてきます。けれど鶏に生かしていただいている私の命です。
 鶏の首をはねると血が滴り落ちるのを目の当たりにしますので、リアルに命をいただくのだと感じます。食事とは、カロリーとして食べているのではなく、命というかエネルギーをいただいているのだと強烈に感じさせてもらえます。お米や野菜も血こそ流れませんが、私のために命を犠牲にしてしまっていると感じてしまいました。けれど、自然界はそうではないようです。弱肉強食ではなく、生かし生かされ、殺し殺されのようです。私が生きようとすることで生かされる命もあるし、やがては私も他の命が生きるために殺されていきます。すべては繋がっているようです。ばらばらではなく一体、ただそうなっている安心の自然界のようです。命を奪うことに罪悪感を持つより、感謝の気持ちですべての命をいただくことが大事なようです。「今日もお命、ちょうだいいたします」 「いただきます」


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産んでくれてありがとう 2005年3月   

2006-03-22 09:56:33 | 綾だより
映画「地球交響曲 ガイア シンフォニー 第五番」を見に行ってきました。内容は全く知らずに、誘われるがまま足を運んだのですが久々に涙しました。様々な分野の24の瞳がガイアについて語っていきます。
染織作家(石垣昭子)「やりたいと思ったらそれをやればいい。失敗するのはもともとと考えて、怖がらずにやってみると、やったことによって、何かが見えてくる。」チベット仏教最高指導者(ダライ・ラマ)「苦しみが慈悲の心を育てます」「人間の社会は、お互いの思いやりの心で成り立っているのです」哲学者(アーヴィン・ラズロー)「全ては互いに繋がって起こっており、純粋に偶然に起こることなど、何もないのです。」「今、行っている全ての営みが、未来の世代に大きな影響を与えます。」森のイスキア主催(佐藤初女)「今を生きる、ということは、出会うひとりひとりを大切にして、小さいと思われることを大事にして生きることだと思っています。」「今を精一杯生きることが死の準備になっていると思うのです。」木版画家(名嘉睦稔)「幸せのほうがずっと多いんですよ。ただ、たくさんの幸せの中にある、ほんのちょっとの不幸が、全てを不幸に思わせてしまう。」海洋冒険家(ジャック・マイヨール)「未来のことを思い煩うのではなく、今、この一瞬に、あるべき道を選んでいけば、明るい未来は自然にやってくると思います」
共通して伝えられるのは「すべてのものはつながっている」ということ。苦しみや悲しみを乗り越えてきている人たちだからこそ語れる言葉になんとも安心できました。ただ、それ以上に産科医(大野明子)のもとで、自然分娩によって陣痛という苦しみを、お母さん、赤ちゃんがともに乗り越え、そこに新しい生命が誕生する様は、なんとも感動的です。幸せです。「痛いのは大切なのよね」痛みが引き金になって、お互いの中に愛情を育む力、痛みに耐える力がどんどん増していくのだから。
 そんな苦しみを乗り越えて「お母さん産んでくれてありがとう。おばあちゃん、ありがとう。もっと多くのお母さんたちにありがとうございます。人間だけでなく、たくさんの生命の母にありがとうございます。」そう、涙しながら感じさせてもらえる素敵な映画でした。

「もし、私たちがふだんなにげなく行っている営みの全てが、なに一つ消え去ることなく宇宙の虚空のいずこかに記憶され時空を超えて未来の世代に伝えられてゆくとするなら私たちは、今自分が選んでいるこの道をこれからもそのまま、歩みつづけるでしょうか」『地球交響曲 第五番』龍村仁 パンフより

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妙なる畑の会に参加して 2005年2月

2006-03-22 09:54:12 | 綾だより
1月29日から2月1日の4日間、全国自然農実践者学習交流会(妙なる畑の会)に参加しました。毎年一回、全国持ち回りで行われ今年は徳島県で開催されました。専業農家を目指し自然農の田畑に立つようになって3年、何かを見失しないそうな、なんだかずれを感じていました。徳島県は、私が初めて自然農の田畑を見学させて頂き、多くを学ばせていただいた土地です。もう一度原点に帰って、いや3年どっぷりと田畑に立った今だからこそ感じられるものを学びたいと配達日の変更や鶏の世話をお願いしいろいろな方々の協力で参加させて頂きました。ありがとうございます。今回は、技術面の検討にとどまらず、自然農をキーワードに農業の理想、農業者としてのあるべき姿を明らかにするため、朝9時から夜10時過ぎまでみっちりと討論を重ねました。
安心な食べ物を食べたい、安心な生き方をしたいと農薬を使用せず、出来るだけ環境問題を引き起こさないようにと大きな機械を用いずに作物に応じてきました。けれど、専業農家を目指すのだから作物が出来なければ意味がないととらわれ、作物をとりたいと執着するあまり、草や虫を邪魔者にしてしまっていました。農業技術とはたくさんとることだ、草や虫をいかにおさえるかだと錯覚していました。私自身の体を思いやれず無理をしていました。周りの方々を思いやるゆとりを失ってしまっていました。作物がたくさんとれることが、安心ではありませんでした。農薬や化学肥料を使用しないことが安心をもたらしてくれるのではありませんでした。自然のバランスの崩れたものを食べていては安心できませんでした。「機械や農薬やビニールは石油を使用するからはだめ」という視点はほんの一部でしかありませんでした。
私が生きることが出来るのは、他の命が生きているからこそでした。過去の命が生きてきたからこそ続きを生きられるのでした。草や虫は欠かすことの出来ない存在でした。たくさんの草や虫が生死を繰り返しているからこそ空気や水は浄化され、私の命は生きられるのでした。私が自然に沿って自分を思いやり、生きるからこそ喜び安心は得られるのでした。私が安心しているからこそ家族も幸せで安心になるのでした。私が安心しているからこそ、お客さんも幸せで安心でき、プロとしての地位が保証され、ありがたくお金をいただけるのでした。現在、過去、未来、たくさんの命とつながっているからこそ安心が得られるのでした。
「私も自然の一部、自然と一体でした。」  
 
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必要なものは用意されている自然界 2005年1月

2006-03-22 09:51:22 | 綾だより
今年は、酉年ということもあり、より養鶏についてこだわってみようと、取り組んでいます。昨年は、鳥インフルエンザが猛威をふるいましたが、今年は今のところ日本では話題になっていないようです。けれど韓国では今年も発生していますので油断できません。
 鳥インフルエンザだけでなく、コクシジウム、ニューカッスルなど鶏にも様様な病名がつけられています。いろんな病名がありますが、下痢や寒さでうずくもったり風邪の症状がでます。日頃から風邪を引かせないように抵抗力をつけさせ元気に育つよう応じているつもりですが、鶏にも、先天的に弱いのがいるのか、無用心なのがいるのか、とくに幼児期のか弱い時期は風邪をひく子がいます。(まだまだ私の応じ方が不自然なのでしょうが・・・)
当然、薬は使いませんので、人間の場合と同じように、漢方や家々に受け継がれてきたおばあちゃんの知恵、民間療法の考えを参考に、いろんな自然の力を借りて精力をつけさせています。にんにく、しょうが、とうがらし、にら、びわの葉、お茶の葉、柿の葉、笹の葉、大根葉、梅酢、かんきつの絞り汁、よもぎ、おおばこ、らっきょ、ミント、ゆずやみかんの皮などを煮出してえさに加えたり、青汁を作って飲み水に加えたりしています。これらの働きで元気を取り戻していきます。
副作用を伴う化学合成された薬を用いずとも、自然はバランスを崩したときに必要なものまでも、用意していてくれているようです。本当に、自然って凄いな、ありがたいなと感謝が生まれます。
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答えを生きる   2004年12月

2006-03-22 09:48:50 | 綾だより
小さな小さな、ばあちゃんが死んじゃった。
 大きな大きな、ばあちゃんが死んじゃった。
 
子供が生まれ、孫が生まれ、大きくなり、
 ひ孫が生まれて、元気に泣いている。
 
小さな一つずつの生命がつながって、
増やす営み続いてく

生きるってすごいね

 先日、母方の祖母が亡くなりました。すでに三人の祖父母も他界していましたので、私には祖父母がいなくなりました。痴呆が入っていたものの、入院していたわけでもありませんでしたので、突然の死でした。なんだか実感がわかないのが正直なところです。  ずっと側にいるものではないとわかっているはずなのに、孝行らしいことをしていない自分を反省します。甘え、妥協、あきらめわかっているはずなのに実行していません。
答えはすでに出ているのに、記されているのに、伝えられているのに、答えを生きられない私。私がなすべきことは何なのか、常に意識して生ききりたいです。
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