主な専門
*ホリスティックカウンセリング宙からのお知らせ*
ボディフォーカストの特徴のひとつとして、
カウンセリングのワークとしての意味合いの他に、自己実現、自己成長を
促すツールとしても使えるということがあります。
五年以上ボディフォーカストを学びなから、私自身も教育分析で、
ボディフォーカストによるカウンセリングを体験してきました。
その効果、結果については、過去に色々述べてきたわけですが
カウンセリングによる変化と同時進行で、ボディフォーカストの
ワークショップへの参加した時の体験や、セルフワークを続けてきた
ことによる大きな変化、効果を今さらながら実感しています。
セルフワークは瞑想的なアプローチを言っているのですが、実際、
瞑想にはリラックス効果があることが知られるようになりました。
ちょっと専門的な話になりますが、人間には交感神経と副交感神経というものが走っています。
交感神経というのは神経を活発にする働き、興奮を促す働きを持っています。
一方、副交感神経というのは、気持ちを落ち着かせたり、リラックスさせたり
する働きをするのだとか。
瞑想にはこの副交感神経を刺激、リラックスさせる効果があるそうです。
そうしたことが、数年間瞑想を続けたことで効果が体調の良さとなって
現れてきたのだと思います。
ワークショップに参加したひとや、私が丈夫になったことを知ったひとが変化を
期待してセルフワークを始めるのですが、ほとんどのひとは途中でやめてしまいます。
もったいないなあ〜とおもうのですが〜
まずは最低3ヶ月続けてみて下さい。きっと何かを掴めるはずです。
ボディフォーカスト・アプローチHPは コチラ
前回、頑張っても頑張っても成果が出ないことについてのお話をさせていただきました。
今回は、意外にクライエントさんから聞く言葉
「頭ではわかっているのですが・・・・」というのに焦点を当ててみたいと思います。
「頭ではわかっているのですが・・・」よく聞く言葉です。
不思議に続きの言葉はでてきません。
でも、心の中にはちゃんと「頭ではわかっているのでですが」に続く言葉が存在しています。
「頭ではわかっているのですが、できない」
「どうしてもできないんです」と言いたいし、実際、心の中で言っているんです。
でも、どうしてできないんでしょう・・・・その方は、果たして本当に「できない」のでしょうか。
実はそうではないようです。
「できない」のではなく「しようとしない」もっと言ってしまうと本当は「したくない」のです。
まるで目の前に大きな壁があって、行く手を阻んでいるような、そんな印象を受けるときが
あるくらい、これはなかなか厄介なものです。
ではなぜ、しようとしないのでしょう、したくないのでしょう。
ひとつ考えられるのが「変わるのが怖い」のかもしれないということです。
意識はしていなくても、無意識的に変わるのが怖いと思っている。
目の前に大きな障害物があって、これを越えればいいとわかっているけれどできないん
ですね。
確かに変わることは勇気がいります。
痛みも伴います。
元の状態に戻る変わり方でも、すべてが変化し続けていますから100%
元に戻るわけではありませんし、ある種未知の世界に入っていくわけですから怖いのは
当然です。
でも、本当に現状がつらい、苦しい、変わりたいと思っているのならそこは勇気をもって取
り組まなければなりません。
そうしなければ、いつまでたっても状況は変わることはないのですから。
まずは、自分の本当の心に気づくことからはじめることが大事です。
「頭ではわかっている、でもできない」
「どうしてできないと思っているんだろう」
「何ができないと思わせているんだろう」
そこを洞察していくと見えてくるものがあります。
たとえば「やりたくないんだ」というのが出てくるかもしれません。
そうしたら「なぜ、やりたくないんだろう」と、さらに深く探っていくと「怖さ」があることに気づく
かもしれません。
さらに、その「怖さ」ってどんな「怖さ?」身体で何か感じている?
もし、身体に何かがあることを感じたり、確かめられたら、その身体感覚を
ずっと感じ続けてみてください。
それによって、何で怖いのかに気づく瞬間があるかもしれません。
段々と怖さが薄まっていくのを実感する場合もあるでしょう。
このようにして無意識の部分が、内面が意識化されたことで、何が何だか
わからないために、頭だけで前に進むのをやめてしまったり怖かったりして
いたものが変わっていきます。
原因や理由がわかった瞬間、変化が生まれ目の前の大きな障害物が小さくなったり、
消えていきます。
セッションをクライエントさんとしていて、時々こんな話を聞くことがあります。
「こんなに頑張っているのに、どうして成果がでないんでしょう」
皆さんのなかにも、そう感じていらっしゃる方がいるかもしれません。
私も以前、心理学を学ぶ前、ボディフォーカスに出会う前まではそのタイプでした。
こんなに頑張っているのに、どうして成果が出ないんだろう・・・どうして求めて
もらえないんだろう・・・・
自分に対してずっと情けない思いを抱いていたことを思い出します。
そんな状況にあるとき、もしかすると頑張る方法が間違っているのかもしれません。
思い切って頑張る方法を変えてみましょう。
すべての方に当てはまるわけではありませんが、頑張っているのに成果が出ない、
逆に次々と試練がやってくるという方を見ているとどこか共通するものがあります。
それは、すべて自分の思い通りにものごとを運ぼう、進めようと頑張っていることです。
そんな方が口癖としてよく聞くのが「絶対○○にはなりたくない」
「絶対○○しようと思う」 実はこの絶対というのが曲者。
なぜか「絶対〜なりたくない」という言葉を使うと、逆にそこに向かってしまうという
不思議な現象が起こるのです。
以前の私の場合を例に挙げると
「絶対に病気になりたくない」「絶対に病気をしないように気をつけよう」と思ったり、
言葉にしていたときに限って
病気をしていました。
おそらくそこに意識を向けすぎて、無意識に自ら病気を引き寄せていたのでしょう。
それが「ゆだねる」「あるがまま」でいこうと意識したときから病気をしなくなりました。
意識のなかに「病気」がなくなったせいでしょう。
それともうひとつ「誰もが病気はするもの、自然なことなのだ」と気づいて
「病気をすることを許した」ことも、病気をしなくなった大きな要因だと思います。
なので、まずは頑張って、頑張って、どうにかして無理やりにでも自分の思い通りにしよう、
物事を動かそうとすることをやめてみてください。
そして、頑張った後は「これだけやったのだから、あとは任せよう」、「ゆだねよう」と執着を手放してみましょう。
きっと何かが変わるはずです。
先日お伝えした通り、ふたこわたるさんの魂の暗夜を超えてのあとに、
ジョブズ氏の訃報にあたり、ふたこさんがご自身の体験も絡めて一文
を書かれました。
とても素敵な文章であり、彼も同じ暗夜の時期を過ごしてきたのだとい
うことがわかりました。
そうでなければ、あれだけの文章は書かれないだろうと想像していた
通りでした。
大変読み応えのある文章です。
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
もうずいぶん昔に僕は、先日の日記に書いたような魂の暗夜を体験しました。それは進行性の石化の病のように、8年くらい続いたのでした。
あるときその闇夜が明けたわけなのですが、その時はじめて、それまでばらばらに散らかっているように見えた苦しい出来事の数々が、実は星座のような美しさで配置されていることに気づきました。
そのあまりにも完璧なアレンジメントに気づいたことで僕は、自分が手厚く守られ、生かされている存在であることを思い知りました。そう。思い知ったのでした。その完璧さに対して、なんというか、圧倒的な畏怖の念を覚え、人々の無理解やら孤独な人生やらを呪っていたような以前の自分について、深く恥じ入りました。
そうして、生きるというのは僕には計り知れないバックアップの元で成り立っていることであって、その大いなる流れのようなものに身を委ねて生きるんだな、と受け入れるようになりました。自分のちっぽけなエゴではあらがいようのない流れがあり、そしてその流れの方がはるかに信頼に足るものなのだ、と受け入れたのでした。
その流れの中で、幸せを享受し、お役目を果たせたらいいなと。
もっとも僕はその完璧に守られた人生の中で、まどろむように生きることもできるし、わざわざ苦しみに満ちた生を送ることもできるし、自分自身が幸せでありながら、ほんとうに大切なことのために生を捧げることもできる、とも感じていて、今はその3つめの道を行っているのでした。
〜〜〜
僕が自分のいのちを使いたいと思っていて、少しずつはじめている活動の一つに「チェンジ・ザ・ドリーム シンポジウム」があります。
その環境教育のようなプログラムは本当によくできていて、現代という困難な時代の困難さを正面から取り上げながら、希望に満ちた未来へと歩き出す仲間を増やしていくような、そんなプログラム。
その中に、鷲とコンドルの伝説という話が出てきます。
アメリカ大陸の先住民の多くの部族に伝わる話らしく、機械文明的な鷲の文化と、精神性を重んじるコンドルの文化というものがあり、この時代、はじめて鷲とコンドルが共に飛ぶ文化が現れる、というものです。
僕はアメリカ先住民の文化や、その深い精神性にとても共感していますが、一方で
アップル製品が大好きです。それが僕にとっての、コンドルと鷲のシンボルのような感じ。コンピュータはもちろんマック。ずっとマックだし、iPodもiPadも愛用しています。
そして先日、「チェンジ・ザ・ドリーム シンポジウム」のファシリテーター仲間のギャザリングに行ったときにも、ジョブズの有名なことばに出会いました。それはその活動に関わっている僕の心を奮い立たせてくれることばでした。
”the people who are crazy enough to think they can change the world, are the ones who do.”
「世界を変えてやるというくらいめいっぱいクレイジーな人々こそが、ほんとうに世界を変えるのだ。」
そんなことがあって今日のスティーヴ・ジョブズの訃報には大層ショックを受けました。僕にとって鷲の文化のもっともかっこいい人物だった。
それでいろいろ見ていたら、マイミクのケイティさんが紹介していた、伝説のスタンフォード講演をみつけました。
http://sago.livedoor.biz/archives/50251034.html
これを聞いてね、この日記の前半に書いたようなことを改めて噛みしめていたのでした。
ジョブズさん、ありがとう。
ご冥福をお祈りします。
あとのことは、僕らでどうにかします(笑)。
■米アップルのスティーブ・ジョブズ会長、5日に56歳で死去
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1766841&media_id=52
日は、ふたこさんが書かれた意識の発達過程の話2
〜魂の暗夜を超えて〜 私の場合をお話ししようと思います。
実は、今回ふたこさんが書いてくださるまで、自分のなかにあった同じような体験について、いったいどう書いたらいいのだろうどう表現したらいいのだろうとずっと考えていました。
でも、正直私にはそれがどこから来たものなのか、なぜそういうことが起こったのか皆目見当がつかず、ただ体験したという事実とそれによって、意識が大きく変化した、その事実しか言葉にすることができなかったのでした。
今回は、もう一度ふたこさんの説明をいくつかの部分に分けて紹介し、それが私にとってどのようなものだったのかを紹介するという書き方をしていきたいと思います。
最初にふたこさんが書かれたのはこういうことでした。
1.ヴィジョンロジック段階では、唯一の真実はない/いくつもの真実があるのだということを前提に、それぞれが前提としていることを踏まえて、合理的に思考が展開されます。このとき最終的なよりどころとなるのは、自己と宇宙への信頼感のようなものです
この文章を読んだとき、ぱっと思い浮かんだのは、次の言葉でした。
「自己と宇宙への信頼感のようなものという言葉がとてもしっくりきます。」
「体感として・・・」
まさしくこの言葉がしっくりいく、というのが今の私の状態です。
確かに揺れることも悩むこともある、しかしながら、あるときから意識のどこかでこの悩みも揺れも自分にとって必然であり、何かが変わるための前段階であるという確信をもつようになりました。
2.本格的にヴィジョン・ロジック段階への移行する際には、自分の外側に絶対的に存在していると思っていた「真実」なんて、ないのだ、という事態に直面します。そこに直面しつつ「自己と宇宙への信頼」が確立ていない段階だと、非常に大きな精神的危機、「魂の暗夜」を経験します。
ふたこさんが言われる、自分の外側に絶対的に存在していると思っていた「真実」なんてないのだという事態に直面するという言葉につては、最初はよくわkりませんでした。
ただ、自分の外側に絶対的に存在しているという真実は、BFAでいう、自我の世界にいるときの感覚であり、BFAでいう自己の世界を理論的かつ、体感的に理解したときから自己の世界は無限に広がるものとして自覚される。となれば無限の広がりのなかで、真実という固定されたものは存在しないという解釈が生まれるのかなと思います。(これはあくまでも私の感覚的な感想ですが・・・)
3.「魂の暗夜」にいるときの恐怖感は、死ぬか気が狂ったほうが楽だと思うくらいのものです。 しかも後戻りもできないです。魂の暗夜に突入しちゃったなと思ったら、あきらめて通り抜けるまで生き延びてください。すでに通り抜けていると思われるセラピストに見守ってもらえればラッキーです
実は二年前くらいに、それを体験したような気がしたのです。そのときの感覚が、ふたこさんが書かれたものとほとんど同じだったことから、自分が体験したのはこれだったのだ、「魂の暗夜」だったのだと、初めて気づき、腑に落ちたというわけです。
そのときのことは、今も思い出せますが、あまりに怖くて精神がおかしくなるのではないかと思ったことがありました。自分という存在がどんなものなのか、なぜ自分はここいるのか、存在する意味があるのかという疑問が、片時も頭から離れす、グルグルとめぐっていました。言いようのない恐怖心が押し寄せ、体がブルブルと震えるほどでした。
そうした状態がどれくらい続いたでしょうか、あるときなぜかふっと「壊れたときは、壊れたときだ」と開き直った瞬間、そこから抜けた感覚があったのです。
抜け出した直後に、教育分析を受けて一部始終を話したところ、トレーナーのO講師が「うん、うん」といって、黙って私の話を聴いてくれたのがとてもよくて。ものすごい安心感があったことを思い出します。
4.この段階を通過するのにどうしたらいいのか、というと、僕もよくわかりません。 ただ、この段階を通過した時に、そのことにいち早く気づくためにやれることはあります。 主に2つ。
まず一つは、思考に囚われそうになるのを自覚して、自分の身体感覚に意識を向け直し、身体感覚レベルで物事を捉えるということです。思考チャンネルにいると不安がどんどん巨大化しますが、身体感覚に意識を向けると、それは例えば「胸に苦しさがある」というような、観測可能な事実になります。
確かに、そこですね!とふたこさんに伝えたのですが、今、振り返ってみると、さほど長い間「魂の暗夜」にいたという記憶がない、その理由のひとつにはBFAをしていたことあ大きく関係していると思います。
なぜなら、ふたこさんがおっしゃっている対応の一つとして「自分の身体感覚に意識を向け直志、身体感覚レベルで物事をとらえることを、日常的に実践していたからです。
思考チャンネルにいると不安がどんどん巨大化しますが、身体感覚に意識を向けると、それは例えば「胸に苦しさがある」というようなというふたこさんの言葉通り、毎日の瞑想によって、思考チャンネルを一時的でも遮断し、身体感覚に意識を向ける。そしてそれをずっと感じ感じ続けることによって、深いレベルにある潜在的意識が表出、それが思考チャンネルの不安感を緩和させるのに、役立ったのだと思います。
5.それは圧倒的な不安感よりは、ずいぶんとしのぎやすいものです。もっとも魂の暗夜のときに離人感を体験する人もいるみたいなので、身体感覚をリアルに感じるのはけっこう難しい場合もあるかもしれません。でも基本路線としてお勧めです。ある時、リアルに内側から沸いてくる何かを感じられるかもしれません
もう一つは、自分を取り巻くアレンジメントの完璧さに目を向けるということです。具体的には、自分がどれだけ守られているか、サポートしてくれる人や出来事がどれだけあるか、というようなことに目を向けること。
私の場合は、やはりBFAがとても大きな役割を果たしてくれました。身体感覚をリアルの感じるのは、毎日の瞑想によって慣れていましたし、BFAのワークショップに何度も参加したことで、ある程度の恐怖心をも体験していた。それともうひとつ、O講師という、自分の前を歩いてくれていると思える存在のひとがいる、そう思えたことがとても大きかったと思います。
「壊れたときは、壊れたとき、壊れてもいい」と思えた背景には、おそらく同じ体験をしてきたであろうO講師が実際に、私の目の前にいる。壊れることなく、逆に大きな広がりをもって存在してくれているという事実があったからでした。
これはとても重要なことで、それだけで安心できる気がします。
このひとが大丈夫だったのだから、自分も大丈夫だって信じれるのです。
恐怖の只中にいるときには、意識がとかく狭窄しがちです。でも、これほど守られているじゃないか、ということが見えると、それは宇宙とか司るもの(?)、呼び方は何であれ、そうしたものごとへの信頼に繋がります。
以上二つに意識を向けていると、ある時、疑いようのないリアルな多幸感と、これまた圧倒的な大丈夫感が訪れます。そのとき、それ以前とは全く違った地点にたっていることがわかるはずです。
ふたこさんの書かれている通りでした。 あまりの不安感、恐怖感にさいなまれましたが、あるとき「壊れたら壊れたときだ」と腹をくくったというか、開き直った瞬間に、目の前がパッと開けて、絶対的なものに守られているのだという、妙な確信が湧き上がりました。たとえどんな苦悩が来ようとも、恐怖が来ようとも、その苦悩や恐怖、不安の山を乗り越えれば、必ず何かが獲得できるみたいな、今よりもレベルが上がる、どこかへたどり着くのだ、今はその過程にあるんだと、自分自身をそして宇宙を信じられちゃうようになったのです。 それをふたこさんは、ご自身の体験を踏まえた文章で書かれていて、思わず笑ってしましましたが、この絶対的な宇宙や自己への信頼感とはいったい何なのでしょう。 正直なところわかりませんし、このような体験、経験をしていない、トランスパーソナル的な世界観を持ち合わせていない方には、何の根拠があってと思われることだと思います。 次回は、せっかくですのでふたこさんの体験も踏まえた文章をご紹介しようと思います。 ちょっと感動します。(私は思わず涙が出そうになりました) では、この続きは後日。
昨日、セッションをしたクライエントさんは
2年以上セッションを続けている方
通い始めたころの問題、課題は終わったのですが
どうも頑張りすぎる傾向があってというか、
何としてでも思い通りにしようという気持ちが
強すぎるのか、逆になかなか思った通りにものごとが
進まないようす。
深刻な課題に向かい合っていた時は
ボディフォーカスト・アプローチの
セルフワークを日課として
効果を上げていたのですが
なかなかセルフワークを継続するのは
簡単ではないようです。
たしかに
宇宙の采配によって生きる
ゆだねることは
絶対的な自己と宇宙への信頼がなければ
難しいとは思います。
ましてやふたこさんの書かれたように
魂の暗夜を通過するとなると
相当の覚悟が必要
私もそれを体験しましたが・・・・
そのことについては
のちほど紹介します。
アップしたふたこわたるさんの記事
「意識の発達過程の話1」を読まれましたか?
どんな感想を抱かれたでしょう。
今日は、その続きです。
〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*
意識の発達過程の話2 〜魂の暗夜を超えて by ふたこわたる
(ミクシーより転載)
1のつづき。
すごーくはしょっちゃって、詳しい方にはお叱りを受けそうですが、僕が役立ちそうだと思うところ限定で書き進めます。次の段階が
・ヴィジョンロジック段階
唯一の真実はない/いくつもの真実があるのだということを前提に、それぞれが前提としていることを踏まえて、合理的に思考が展開される。
(例)多様な方法論を認めた全人的なサポート体系(ACTなど)
(例)正義や正しい生き方はないという前提に立って、自己の振る舞いを選択する
よりどころとなるもの:責任ある自由、自己と宇宙への信頼
カウンセリングの実際問題として、クライエントさんが以上のどの段階の思考法を使っているかを把握することで、寄り添いやすくなります。
下の方になるほど、その人なりの自由と責任が増大します。また、それぞれの段階をまたぐときに、信じていた世界観が根底から崩れるため、大きな精神的危機を体験します。
*****
特に本格的にヴィジョン・ロジック段階への移行する際には、自分の外側に絶対的に存在していると思っていた「真実」なんて、ないのだ、という事態に直面します。そこに直面しつつ「自己と宇宙への信頼」が確立ていない段階だと、「魂の暗夜」を経験します。
「魂の暗夜」にいるときの恐怖感は、死ぬか気が狂ったほうが楽だと思うくらいのものです。
しかも後戻りもできないです。
魂の暗夜に突入しちゃったなと思ったら、あきらめて通り抜けるまで生き延びてください。
実際、この段階では自分から無茶をしない限り簡単には死なないんじゃないかと思います。たぶん。
でもあまりにも圧倒的な苦痛を体験すると思うので、「この人はすでに魂の暗夜を超えているな」と思えるセラピストにサポートを求めるといいとも思います。
この段階を通過するのにどうしたらいいのか、というと、僕もよくわかりません。
ただ、この段階を通過した時に、そのことにいち早く気づくためにやれることはあります。
主に2つ。
一つは、思考に囚われそうになるのを自覚して、自分の身体感覚に意識を向け直し、身体感覚レベルで物事を捉えるということです。思考チャンネルにいると不安がどんどん巨大化しますが、身体感覚に意識を向けると、それは例えば「胸に苦しさがある」というような、観測可能な事実になります。
それは圧倒的な不安感よりは、ずいぶんとしのぎやすいものです。もっとも魂の暗夜のときに離人感を体験する人もいるみたいなので、身体感覚をリアルに感じるのはけっこう難しい場合もあるかもしれません。でも基本路線としてお勧めです。ある時、リアルに内側から沸いてくる何かを感じられるかもしれません。
もう一つは、自分を取り巻くアレンジメントの完璧さに目を向けるということです。具体的には、自分がどれだけ守られているか、サポートしてくれる人や出来事がどれだけあるか、というようなことに目を向けること。恐怖の只中にいるときには、意識がとかく狭窄しがちです。でも、これほど守られているじゃないか、ということが見えると、それは宇宙とか司るもの(?)への信頼に繋がります。
以上二つに意識を向けていると、ある時、疑いようのないリアルな多幸感と、これまた圧倒的な大丈夫感が訪れます。そのとき、それ以前とは全く違った地点にたっていることがわかるはずです。
この秋、ボディフォーカスト・アプローチの開発者の大高直樹先生が
学院名古屋校の専任講師から非常勤講師になりました。
新しい事務所を構え、新しい活動を始められました。
もしかしてボディーフォーカスト・アプローチという名称も
もっと実態にふさわしいものに変わるかもしれません。
先生は活動にあわせ、現在新しいHPを作成中。
完成までもう少し時間がかかるとのことですが、
もうそろそろ大丈夫とOKが出たところで、
私のふたつのブログ、3つのHPでも紹介したいと思います。
いずれはこういうときがくるかもしれないと思っていました。
とうとうやってきたんだと、ちょっぴり感慨に浸っていたのですが、
ハタと自分のことに目をやると、私自身も今、まさしく転機を迎えて
いるのかもしれないことに気が付きました。
すっとやりたいと思っていた書くセラピー
今年1月の遺言セミナーの講師を務めたことで、一気に実現の方向へ
動き出しました。
加えて、私のそんな夢を応援してくださる方にも恵まれて、今、
まさにそこへと向かってまい進中です。
ひとはある時期、精力的に何かに取り組む、何かに向かっていくとき
ときがあるのかもしれません。
それはみんな同じ年齢や時期じゃなく、それぞれ自分に備わった時期
でありタイミング。
いつも言っている、「自分時間」なのだと思います。
ということで、書いて心を癒すWritingセラピー のブログもどうかよろしく
お願い致します。
ホリスティックカウンセリング宙のホームページと同時進行で
ボディフォーカスト・アプローチのホームページも作成し先日
完成しました。
是非、覗いてみてください。
今後ともアメブロとともにHPもよろしくお願いします。
ボディフォーカスト・アプローチHPは こちら
アップしたふたこわたるさんの記事
「意識の発達過程の話1」を読まれましたか?
どんな感想を抱かれたでしょう。
今日は、その続きです。
〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*
意識の発達過程の話2 〜魂の暗夜を超えて by ふたこわたる
(ミクシーより転載)
1のつづき。
すごーくはしょっちゃって、詳しい方にはお叱りを受けそうですが、僕が役立ちそうだと思うところ限定で書き進めます。次の段階が
・ヴィジョンロジック段階
唯一の真実はない/いくつもの真実があるのだということを前提に、それぞれが前提としていることを踏まえて、合理的に思考が展開される。
(例)多様な方法論を認めた全人的なサポート体系(ACTなど)
(例)正義や正しい生き方はないという前提に立って、自己の振る舞いを選択する
よりどころとなるもの:責任ある自由、自己と宇宙への信頼
カウンセリングの実際問題として、クライエントさんが以上のどの段階の思考法を使っているかを把握することで、寄り添いやすくなります。
下の方になるほど、その人なりの自由と責任が増大します。また、それぞれの段階をまたぐときに、信じていた世界観が根底から崩れるため、大きな精神的危機を体験します。
*****
特に本格的にヴィジョン・ロジック段階への移行する際には、自分の外側に絶対的に存在していると思っていた「真実」なんて、ないのだ、という事態に直面します。そこに直面しつつ「自己と宇宙への信頼」が確立ていない段階だと、「魂の暗夜」を経験します。
「魂の暗夜」にいるときの恐怖感は、死ぬか気が狂ったほうが楽だと思うくらいのものです。
しかも後戻りもできないです。
魂の暗夜に突入しちゃったなと思ったら、あきらめて通り抜けるまで生き延びてください。
実際、この段階では自分から無茶をしない限り簡単には死なないんじゃないかと思います。たぶん。
でもあまりにも圧倒的な苦痛を体験すると思うので、「この人はすでに魂の暗夜を超えているな」と思えるセラピストにサポートを求めるといいとも思います。
この段階を通過するのにどうしたらいいのか、というと、僕もよくわかりません。
ただ、この段階を通過した時に、そのことにいち早く気づくためにやれることはあります。
主に2つ。
一つは、思考に囚われそうになるのを自覚して、自分の身体感覚に意識を向け直し、身体感覚レベルで物事を捉えるということです。思考チャンネルにいると不安がどんどん巨大化しますが、身体感覚に意識を向けると、それは例えば「胸に苦しさがある」というような、観測可能な事実になります。
それは圧倒的な不安感よりは、ずいぶんとしのぎやすいものです。もっとも魂の暗夜のときに離人感を体験する人もいるみたいなので、身体感覚をリアルに感じるのはけっこう難しい場合もあるかもしれません。でも基本路線としてお勧めです。ある時、リアルに内側から沸いてくる何かを感じられるかもしれません。
もう一つは、自分を取り巻くアレンジメントの完璧さに目を向けるということです。具体的には、自分がどれだけ守られているか、サポートしてくれる人や出来事がどれだけあるか、というようなことに目を向けること。恐怖の只中にいるときには、意識がとかく狭窄しがちです。でも、これほど守られているじゃないか、ということが見えると、それは宇宙とか司るもの(?)への信頼に繋がります。
以上二つに意識を向けていると、ある時、疑いようのないリアルな多幸感と、これまた圧倒的な大丈夫感が訪れます。そのとき、それ以前とは全く違った地点にたっていることがわかるはずです。
ボディーフォーカスト
身体感覚、症状に心の声を聴くセラピスト株本のぶこです
昨日お知らせしました
私が宇宙の采配によって生きる すべてをゆだねるという
感覚、意識に至った過程で起こったことについて
ふたこわたるさんがわかりやすく解説してくださっています。
ミクシーに書かれた文章を転載してもいいとの快諾を得ましたので
都合2回に分けて紹介し、最後に私が体験したときのことも書かせて
いただこうと思います。
記事はのちほどアップします。
その方は「引き寄せの法則の本を読むと、思ったことは叶うと書いてあるが、すべての願いがかなうとは限らないのではないか」とお話しされました。
私も「すべての願いがかなうわけではないように思います」とお返事しました。
それでは、何の意味があるかと疑問を持つかもしれませんが、これが結構大事なように思います。
これは、あくまで私の考えですので、引き寄せの法則の本に書かれていることと違っているかもしれません。
あらかじめ、それを断ってお話ししますが、こうした願い事をかなえるエネルギーやパワーは、
私たちにあるのではなく、宇宙にあり、すべては宇宙の采配なのではないかはないかとおもいます。
なので「こうなればいいな」という意識は持ち続けるけれど、あとはゆだねる。
それが大事なのではないでしょうか。
強く願えば願うほど、それはエゴとなり純粋性を失います。
その気持ちに取り込まれてしまって、がんじがらめになってしまう。
強い、強い思いをまずは手放すことが大切なようにおもいます。
いつだったか、私がいつも話している「宇宙の采配によって生きる」と「引き寄せの法則」は矛盾するのではないかと言われたことがありました。
実はずっと、このふたつが矛盾すると考えたことがありませんでした。
なので、そのときはじめて「宇宙の采配」と「引き寄せの法則」の関係につけて考えたのですが、自分でも驚くほど自然に出てきたのは
「引き寄せの法則」で願うこと、その「願い事」や「意識」自体も、宇宙の采配からきているのだと思う」という言葉でした。
BFAでずっと学んできたことのなかに、肉体は滅びても意識は残るという考え方があります。
意識は粒子、そして意識の粒子は宇宙に存在するというもの。だ
としたら、私たちが持つ、さまざまな「意識」はそもそも宇宙がもたらしたものと考えられなくはありません。
つまり自分の意思であると思っていることも、実は宇宙からきているもの、いわゆる「引き寄せ」もその背後には宇宙が存在している。
そんな風に考えれば「宇宙の采配」=「引き寄せの法則」という図式も、まんざら不自然ではないでしょう。
そこで「ゆだねましょう」、「強く願いすぎたち固執すると、がんじがらめになり、身動きが取れなくなりますよ」と言いたいのです。
そういうてんでいわゆるシンクロニシティー、「思いがけず」が、もしかして重要な鍵を握るのかもしれません。
いつか、きっとの気持ちを持ち続ける、希望を持ち続けながら、でもそこに執着はしない。
そして何かいいことがあったら「有難う」って素直に思うこと、感じること。それがよい引き寄せをもたらすかも。
先日もちょっと触れましたが、
今までアクセスしていただいていた
手作りのホームページが
パソコンの買い替えによる影響で
更新ができなくなり
やむを得ず、別のサイトを利用して
作成していました。
それがやっと完成しました。
といえ、まだまだ修正が必要と思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
ご覧になった感想、改善点などをいただけると
嬉しく思います。
今後ともホリスティックカウンセリング宙(sora)wo
どうぞよろしくお願いいたします。
ホリスティックカウンセリング宙(sora)HP
記憶は筋肉に宿る。
そんな話があることを知っているだろうか。
一見すると非科学的、根拠のない話に聞こえるが、初めてその話を聞いたのは数年前、ボディフォーカスト・アプローチのワークショップだった。
比較的非科学的と思われることも、実際に様々な形で体験してきたので、私自身はすんなりと意識のなかに入ってきたが、これを一般的なものとして受け入れられるかといえば、そう簡単にはいかないようだ。
現実にこの説を拙書「たおやかに生きる」で書こうとしたとき、編集者から説得力がないと却下された。
しかし後になって、実はそうした考え方が必ずしも非科学的=信用できないとは言えないことを確信する、ある出来事に遭遇した。
それはいつものようにBFAのワークショップに参加したときのことだった。
そのときのテーマは「身体」
身体感覚に意識をむけながら、セルフワークをしていくことを何度か繰り返した。
痛みや重たさ、だるさや痺れなど感覚に意識をむけると初めは微細な感覚だが、やがて増幅されたり変化をおこし始める。
ときには心の琴線に触れたのだろう涙を流すひともいる。
セルフワークが終了後、
参加者の何人かがどんな体験をしたかをシェアしたが、あるひとの話してくれた内容に参加者全員が驚愕した。
そのひとは、ある時から長い間ずっと肩の疼き、痛みを感じなから生活していたという。思い当たるふしもなく、ただ漠然と痛みを覚えていたそうだ。
またまBFAをしながら肌で痛みをで感じた彼女は、あえて感じることをし続けた。
するとどうだろう。
しばらくして、遥か昔の記憶が甦ってきたのである。
子供の頃、友達と遊んでいて肩を脱臼したときのことが、鮮やかに甦ってきたそうである。
そして、そのビジョンを体感し、痛みをずっと感じ続けていったところ少しずつ痛みや疼き、違和感が薄まってきたという。
BFAのワークショップに参加しセルフワークで記憶が甦るまで、そんな出来事はすっかり忘れていたそうだ。
まさしく記憶は筋肉に宿るである。
その出来事以降も、多方面から似たような話を聞いたり、BFAと同じような考え方をしている分野のひとから意見を聞いたり、筋肉や神経の痛みと怒りが密接に結びついている説を医療の分野で読んだりする機会が増えている。
非科学的と捉えられていたが、徐々に受け入れられてきているということなのだろう。
科学的に実証されることだけが真実とは言えないことを示しているようで興味深い。
「カラダセラピーで身体が変わった」といつも話したり書いてきましたが、
では実際にどんな風に変わったのでしょう。
この5年余り、ボディフォーカスト・アプローチBFAを学び、実践してきた私の事例でお話しすることにします。
最も顕著なのは、丈夫になったことでした。
学院に入る前は、常に身体に心配を抱えていました。
身体が弱いというだけでなく、冬になると決まって感染症を起こし点滴を一週間ほど続けなけば熱が下がらない。
そういうことを繰り返していたのです。
それが学院に入学。BFAと出会いワークショップに参加したりセルフワーク(瞑想)を毎日続けて実践していくうちに、いつの間にか心身が整い始めました。
あれほど毎年、冬になると決まって感染症を起こし点滴を一週間ほど続けなけば熱が下がらなかった身体が発熱さえ起こさないで済むようになったのです。
それだけではありません。
体調が整い始めるのと同時に、精神的にも安定。物事に動じなくなり、目の前に起こることに一喜一憂しなくなったのです。
それを一番に自覚したのは、BFAを始めて3か月後の学院の修了試験のときです。
今までは、焦りと不安で押しつぶされそうになり、家族に不安からくる焦りや、苛立ちをぶつけていたのが、淡々とした心持で試験日を迎えることができたのです。
もちろん試験に向けての勉強はしていました。
しかし、まったくといっていいほどの平常心で過ごすことなど考えられないことでした。
そして最も驚いたのが、学院の授業を一回も休まず通うことができたことです。
皆勤など夢のまた夢、あまりに病弱で学校を休んでばかりいたことから、留年を審議されたのも一度や二度ではありません。
そんな私が皆勤したのです。
これには、本人である私以上に家族が驚きました。
面白いのは以前の私を知っているひとと、現在の私しか知らないひとの印象が180度違うことです。
以前の病弱だった私しか知らないひとは、健康で丈夫になった私のことを信じられないと言い、健康で丈夫になった私しか知らないひとは、以前の病弱な、何かあるとすぐ熱を出し点滴を打った私を想像できないと言います。
それほど印象に差があるのですから、どれだけ変わったかが想像していただけるのではないでしょうか。
瞑想による変化については、さまざまな書物にも具体的な内容がいくつも書かれています。
次回はそれを紹介しようと思います。










