『ペット業界の闇』シリーズ、これにて終了です。
短いお話ですが、それぞれのお話が薄まってしまわない様、あえて一つ一つバラバラに出させて戴きました。
当時の私に、もっと知識があったら・・・、
オーナーへの反抗などといういかにも子供な行動では無く、
何らかの法的措置が取れていたら・・・。
これまで記したモノのうち何件かは阻止出来たかも知れません。
(一瞬阻止出来ても、内密には続けるかも知れませんが・・・。動物は自分で訴える事が出来ないから・・・。)
ただ反抗し、
ただクビになる。
当然ですが、それでは何も変わりませんでした。
訴える場所が、欲しかった。
対処できる法律が、欲しかった。
欲しかった・・・?
いや・・・今でも欲しいです。
商業的な発展はすさまじいのに、法律上での動物の地位は器物のまま。
強力に取り締まる権限を持つ公的機関は、まだ無い・・・。
確かに一気に全てを解決するのは難しいとは思います。
沢山のペットショップが潰れたら、その時点にそこに居る動物達はどうなる?
とか、
潰れた事によって出る失業者をどうする?
とか。
ペット関連意外にも、社会には改善しなければいけない問題が山積みだし・・。
でも、このままでいいとは思えない。
同じ人類で無いからと言って、永遠に後回しにし続けていいとは思えない。
いったいどうすればいいのか。
私達に何が出来るのか。
闇が闇たるのは、そこに光が当たらないから・・・。
まず裏を“知ってしまった”人間から、明るみに出さないといけないのでしょう。
Web上では、これまで書いてきた様な話を今でもよく目にします。
そしてそこではたくさんの憤りと嘆き、そして驚きのコメントも。
でも私はもうズレてしまっているのか、まず、
「あぁ。やっぱり今でもあるんだ。」
と思ってしまいます。
勿論、怒りや悲しみも涌いては来ますが、1番最初の感想がそれなんです。
ペット業界に身を置いた人間としては、それ程よくある話なんです。
悲しいかな私も、麻痺してしまっているんですね。
昨年末、NYタイムズで日本のペット業界についての批判記事が掲載されたそうです。
知らないのは日本人だけ?
気にしないのは日本だけ?
もう日本だけの問題ではないのです。
闇に光を当てるのは、誰でもない私たち自身。
犬は喋れない。
外国に言われたから、じゃない。
動物愛護団体に任せとけば・・でもない。
私たち皆が、ちゃんと向き合ってこそ、
動物達の悲劇の波を止める事が出来るのだと、
愛すべき動物達を救えるのだと、
思います。