岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

昨夜の観戦の余韻を楽しみながら、

2011-01-26 21:44:39 | スポーツ(身体に魅せられて)

今日の業務をしていました。

確かに元気をもらいました。
たぶんに気分ですが、気分というのも大切なものと思います。

スポーツのゲームというものに限らず、すべての人々の営みは、「もしも」の
連続です。
もし審判がPKをとらなかったら、あの選手のシュートが5cmゴール寄りだったら、
考えだしたら文字通りきりがないほどの「もしも」の蓄積の上に、「今」があります。

考えてみれば、「今」というのはとんでもない偶然の上にあるようでもあり、
人によれば、これこそ、必然だと主張するでしょう。

では、おまえは「今」は偶然か、必然かと問われれば、とたんに答に窮するわけです。

現代的な思考では、「超越的な意志」はないと考えるのがオーソドックスでしょう。
しかし、それだけではすっきりとはしないなにかを感じます。

「超越的な意志」に近いもの。
例えば、「集団的な無意識」というもの。
または、人々の気分、ムードというものが、偶然をつくりだしている感覚もあります。

昨夜の日本代表が勝ったのは、「気持ち」だよ、という言い方はスポーツ界では市民権を得ています。

気持が上回れば、運という偶然を呼び込むことができるということでしょうか。

これが「集団的な無意識」でしょうか。いや、これは「集団的有意識」かもしれない。

さて、私たちの手元の残っている確かなこと。それは勝ったということです。
この顕在化した「事実のようなもの」が、継承されて、新たな「事実のようなもの」をつくる。

人々は、「事実のようなもの」、すなわち不確かなものでは落ち着かない。
「事実」にしなくては、落ち着かない。

それがメモリアルの役割であり、具体的には優勝トロフィーだったりする。


今夜は少し夢想的でした。
どうしたんだろう。

これが「サッカー効果」でしょうか。

※写真のシルエットの山は京山。山頂にあるのは太陽光発電研究装置とそのエネルギーを利用した野菜作り施設です。
「晴れの国 岡山」らしい研究施設です。




最新の画像もっと見る