今日の業務をしていました。
確かに元気をもらいました。
たぶんに気分ですが、気分というのも大切なものと思います。
スポーツのゲームというものに限らず、すべての人々の営みは、「もしも」の
連続です。
もし審判がPKをとらなかったら、あの選手のシュートが5cmゴール寄りだったら、
考えだしたら文字通りきりがないほどの「もしも」の蓄積の上に、「今」があります。
考えてみれば、「今」というのはとんでもない偶然の上にあるようでもあり、
人によれば、これこそ、必然だと主張するでしょう。
では、おまえは「今」は偶然か、必然かと問われれば、とたんに答に窮するわけです。
現代的な思考では、「超越的な意志」はないと考えるのがオーソドックスでしょう。
しかし、それだけではすっきりとはしないなにかを感じます。
「超越的な意志」に近いもの。
例えば、「集団的な無意識」というもの。
または、人々の気分、ムードというものが、偶然をつくりだしている感覚もあります。
昨夜の日本代表が勝ったのは、「気持ち」だよ、という言い方はスポーツ界では市民権を得ています。
気持が上回れば、運という偶然を呼び込むことができるということでしょうか。
これが「集団的な無意識」でしょうか。いや、これは「集団的有意識」かもしれない。
さて、私たちの手元の残っている確かなこと。それは勝ったということです。
この顕在化した「事実のようなもの」が、継承されて、新たな「事実のようなもの」をつくる。
人々は、「事実のようなもの」、すなわち不確かなものでは落ち着かない。
「事実」にしなくては、落ち着かない。
それがメモリアルの役割であり、具体的には優勝トロフィーだったりする。
今夜は少し夢想的でした。
どうしたんだろう。
これが「サッカー効果」でしょうか。
※写真のシルエットの山は京山。山頂にあるのは太陽光発電研究装置とそのエネルギーを利用した野菜作り施設です。
「晴れの国 岡山」らしい研究施設です。