岩清水日記

「こうして綴ることで想いは深く掘り下げられ、岩清水が湧くように新たな命脈が保たれて、みずからを励ます」平松洋子 

映画『たかがこの世の終わり』 評価が分かれるはず。カンヌグランプリ

2017年04月25日 | 映画・DVD 

ネットから『たかがこの世の終わり』についての解説を転載します。

「Mommy マミー」「わたしはロランス」などで高い評価を受けるカナダの若手監督グザビエ・ドランが、「エディット・ピアフ 愛の讃歌」のマリオン・コティヤール、「アデル、ブルーは熱い色」のレア・セドゥー、「ハンニバル・ライジング」のギャスパー・ウリエルらフランス映画界を代表する実力派キャスト共演で撮りあげた人間ドラマ。劇作家ジャン=リュック・ラガルスの舞台劇「まさに世界の終わり」を原作に、自分の死期が近いことを伝えるため12年ぶりに帰郷した若手作家の苦悩と家族の葛藤や愛を描き、第69回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝いた。若手作家のルイは自分がもうすぐ死ぬことを知らせるため、長らく疎遠にしていた母や兄夫婦、妹が暮らす故郷へ帰ってくる。しかし家族と他愛のない会話を交わすうちに、告白するタイミングを失ってしまい……。

なにも予備知識のない私は、とりあえずカンヌ・グランプリ受賞と気鋭の若手監督というキーワードで見逃せないと思ったのです。

画面に映るのは、主人公とその家族のみといっていい。ほとんどかつて主人公が住んでいた家のなかの出来事で、ある一日を描いている。

時間にして6時間程度かもしれない。

この設定は舞台劇ですね。そのような感覚でみればいいのでしょう。

言葉と表情、行動を映し出していくのだけれど、ほとんど言い合いに近い場面ばかり。

突然怒り出したりするには日常茶飯事。特に主人公の兄の短気さは常軌を逸している。

まったくもって短気な家系なのです。

ただ主人公は人気作家として名を挙げただけあり内向的で寡黙な性格なところが救いです。兄嫁も同じような性格でほっとします。

彼の内向的な性格は父親譲りと思われます。画面に現れる家族(血のつながった)は母、兄、妹だけれど皆短気で彼とは似ても似つかないのです。

彼はかって父親と過ごした今は廃屋となっている住処に行きたいと伝えるが誰も行きたがらない。

彼がこの家を後にして12年間帰らなかった理由は容易に推し量れます。

ただ家族は、主人公を愛しており家族の誇りと思っている。が、楽しみにしていた食事の時間もすぐに罵り合いを始めてしまう。

個人的には、このような罵り合いの場にいたくない。映画を見てても同様に思います。

会話を字幕で追いかけていくのも嫌になりました。

実はクライマックスが重要だと言われるのですが、その場面をあまり覚えていない。会話の流れについていけないのです。

でも、観終わってひっかかるところがいくつかあります。

1.なぜ、この家族は崩壊しないのか。罵り合いながらも同じ屋根の下に住み続けることができるのか。

2.主人公は12年間も不在ながら、自分の死が近いことを家族に伝えようと帰ってくるのか。

家族や家を一目見たいからなのか。ならば家族に死の話をすることはないのではないか。黙った去ればいい。実際はそのような行動になった。なにしろ誰も彼の話を聞いてくれないのだから。

これをどのようにとらえたらいいのか。

彼は単に家族の傍観者でしかないのか。会話が成立する関係ではないのか。

12年間の後、彼が現れること自体が無謀なことだったのか。

彼は自らの不在を確認することでこの場を去っていったのか。

遠方から家族にかかわることが彼のおかれた位置だったのか。

クエスチョンが熱湯になって湧いてくるような映画でした。

特にお薦めしません。

が…。最先端の映画を見たい方はどうぞ。

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« JR福知山線脱線転覆事故か... | トップ | 4月から在宅ワークを始めてみ... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

映画・DVD 」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。