岩清水日記

「あしひきの岩間をつたふ苔水のかすかにわれはすみわたるかも」良寛

石井十次顕彰会が記念墓地設置へ:新聞資料

2008-10-09 23:00:40 | 石井十次
10月2日8時7分配信 産経新聞


岡山石井十次顕彰会設立準備会は1日、岡山で死んだ十次の妻、
品子や疫病で死んだ「岡山孤児院」の子供たちの記念墓地を
岡山市御成町の円常寺敷地内に整備すると発表した。
今年12月末、完成を目指し、完成後の来年4月、顕彰会設立を
予定している。
石井十次(1865-1914)は明治20(1887)年、
岡山市に日本で初めての孤児施設「孤児教育会」(後の岡山孤児院)を設立。
里親として2100人の子供たちを育て、
世に送り出した“児童福祉の父”と呼ばれている。

最初の妻の品子は明治28年、三女を出産後に体を壊して死亡。
施設の孤児たちも当時、流行病のコレラや赤痢にかかり亡くなったが、
戦禍などで墓所が変動して行方が分からなくなっていた。

準備会は、十次の顕彰活動の一環として品子らの墓を探したところ、
円常寺の敷地内に移転されていることが判明。
発起人や一般市民からの募金約1500万円で岡山孤児院記念墓地の整備事業を
計画、今年末に完成の見込みとなった。

墓地は幅約5メートル、長さ15メートルで、地内に品子や子供らの墓とともに
「孤児の祈り天までとどけ」と記した祈念碑を設置。
また募金者300人の名前を彫ったプレートを併設するほか、墓地周囲に
特別寄付者の氏名入り石柱50本を配置する。

準備会の世話人代表、中村暢之さん(70)は「岡山孤児院が十次の生地、
宮崎県に移転されるなど岡山での(十次の)評価は十分とはいえない。
墓地整備を機に顕彰会を発足し、功績を広く高めていきたい」としている。



※円常寺は操山の麓にある。岡山孤児院からは500mくらい東側。
石井十次は、操山に登り、生徒たちとよく祈祷をしていたという。
その道筋にある円常寺あたりに愛する児童や妻の墓を建てたのだろう。
写真に写っている山が操山。その麓に墓があった。

※石井品子については、
岩清水日記にも書いています。
2005年2月20日前後です。
私の知識不足で、うまくリンクが貼れません。
悪しからず。

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