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ブラック企業の持つ精神構造で、果たして世界に勝てるのか? 興味あるコラムを読む。

2014年08月29日 14時51分00秒 | 日記
 ワタミフードサービスやゼンショーホールディングスなど、外食産業の雇用形態で、非正規社員に対しての過度な長時間労働の強要等で、ブラック企業というあだ名まで呈された。

 さすがにベビーブーマー時代の大量の労働者が定年退職時代を迎え、世間に人手不足の傾向がでてきて、ブラック企業と名指しされた、過酷な労働形態を強いていた企業が、批判されるようになった。

 しかしブラック企業の社内で、社員に強要されていた精神論は、なんとも日本的な、忍耐し耐え忍ぶことにより強くなるという、体育会系の鍛え方と基本は変わらないとわかるだろう。

 ダイヤモンド.オンラインに田島麻衣子氏が、ブラック企業の問題を、イギリスの体育系と日本の体育系の鍛え方の例を出して、非常に興味あるコラムを書いておられた。

 イギリスの体育クラブでは、「いかに合理的に勝つかが、チームの最重要課題であった」というのだ。そのためにはチームワークが最重要であり、勝利するための戦略をリーダーや部員と話し合って、練習方法を変えることも厭わないという。

 一方で、日本の体育会は「先輩の言うことには絶対服従である。学年で決まる厳しいカースト制度がひかれ、食事もコーチや先輩より先に箸をつけてはならないと注意された。ひたすら耐えることが目的のように見える練習は、精神を根本から鍛えるためのものだ」と書いている。

 確かにそうであろう、筆者などもそういう育て方をされたことがある。よくよく考えれば、旧日本軍の部隊内のしごきと全く同じであり、日本人の精神構造は、ことによると戦国時代の大名と部下の関係をルーツにしているのかもしれないと筆者は思った。

 しかしこういう上下関係だけを重んじてビジネスをすると、おそらく思考の柔軟な海外のビジネスに勝つことができないであろうことは容易に推察できる。

 そのほか田嶋氏によると、「ブラック企業」という和製英語は世界には、まったく通用しないことも勉強になりました。

 なかなか面白いコラムだと筆者は思いましたので、ぜひお読みください。

(ダイヤモンドオンライン  日本の条理は世界の不条理?田島麻衣子 より貼り付け)

オックスフォードが教えてくれた
日本のブラック企業問題が世界から理解されない理由

田島麻衣子 [国連職員]

【第1回】 2014年8月29日
「365日24時間死ぬまで働け」

「鼻血を出そうがブッ倒れようが、とにかく一週間全力でやらせる。そうすればその人はもう無理とは口が裂けても言えない」

 改めて読み返してみても、すごいロジックである。

 カリスマ創業者の存在感も手伝い、今や映画や書籍、はたまた2ちゃんねるまで、「ブラック企業」は現在の世論を席巻してしまった感がある。

 そうしたなかで先月末、また一つの企業が社会の注目を集めた。深夜営業の「ワンオペ」が話題の牛丼チェーン店「すき家」だ。この経営母体である株式会社ゼンショーホールディングスに対して、第三者委員会による調査報告書 が提出された。自主的にこうした調査を行った同社には、敬意を表したい。

 そしてこの調査報告書には様々な感想が寄せられた。中には、あの大正・昭和初期の労働者達の厳しい労働環境を描いた小林多喜二の小説『蟹工船』にも匹敵する過酷な仕事現場、という声まで挙がった。だから筆者もこれを機会に、同小説に目を通した。当時の労働者達を取り巻いた非人間的な労働環境は、現代のインターネットとテクノロジーが人類の未来を拓く平成の新しい時代とは相当逆行する哀歌に一瞬、見える。

●外国人に「ブラック企業」を
英語で説明するにはどうすればいいか

 さて、こうして日本社会の注目を浴び続ける日本のブラック企業であるが、このブラックな存在を海外の人々に説明するためにはどうしたらいいのだろう。ダイヤモンド・オンラインに目を通すような堅実な読者の方は、「ブラック企業」だからといって、英語で説明する際に”Black Company!”などとは口走らないでいただきたい。英語圏の人々にとって「Black Enterprise」と言えば、普通はアフリカ系アメリカ人が経営する企業のことを指す。また「Black Company」と言えば、アメリカで長年続くフィクション小説シリーズのタイトルだ。同じ黒でもとんだ黒違いであるので、ご注意を。

 海外で似たようなコンセプトはないのかと探せば、「Sweatshop」というものが挙がるかもしれない。スウェットの上下と聞いて読者の方が想像するように、これは主に衣服を縫製加工する工場の劣悪な労働環境のことで、19世紀20世紀初頭のロンドンやニューヨークで社会問題化した。

 これに対して、ロンドンの人々は団結して工場と交渉し、世界でも先駆けとなる最低賃金の設定に関する労働者保護立法や、労働組合の設立のきっかけを作った。だから同時期に、大陸を隔てたオホーツク海上の日本漁船で、生命の危険を犯しながら蟹工船に乗り組み蟹を水揚げしていた人々の苦労が、その後どのような形で日本社会に制度としての恩恵をもたらしたのかについても、筆者は是非知ってみたいと思う。両者の意味するところは似ているので、Sweatshop-type office work system in Japanと言えば、大体の外国人がそれに近いイメージを脳裏に浮かべることができるのではないかと思う。

●日本のブラック企業問題が
海外の人々に理解されない本当の理由

 さてこの海外のSweatshop問題であるが、21世紀の今日においては、富める国の人々の関心の大多数は自国の働き手の苦悩ではなく、途上国の人々の過酷な労働環境に移ってしまったようだ。

 スタンフォード大学で哲学を専攻し、社会問題にも詳しい知人のアメリカ人に聞いたところ「は、何?途上国の話?」と返されたのも、決して偶然ではない。

 例えば、2013年のバングラディッシュで1200人以上の死者を出したアパレル工場の崩壊事故は、様々な国際世論を巻き起こした。いつか崩れるとわかっていながらも、その日工場に出勤した人々の理由は、社内の複雑な人間関係などではなく、また「やればできる」という上司の無茶振りでもなく、はたまた辞めたら世間からどう思われるかという世間体でもなく、ただどうにもならない貧しさであったという。

 7万円弱が国の平均年収のこの国で、月の家賃1000円と食費2000円を払うために、彼らはいつか崩れるとわかっている工場に今日も向かう。世界の人々が、日本のブラック企業問題の根本を、理解しきることができない理由はここにある。

 何故こんなに富める国の日本人が、この21世紀に劣悪な労働環境に悩まなければならいのか。ブラック企業で疲弊する日本人のほとんどは、工場労働者などではなく、正社員雇用の恵まれた環境に置かれた人ではなかったのか、と。

●イギリスの体育会系と日本の体育会系
両者の驚くべき恐ろしい違い

 筆者は、高校時代と大学院時代に、日英双方の体育会系の部活を経験した。前者は日本でフェンシングであり、後者はイギリス・オックスフォードのボートである。そして両者の間には、驚くべき恐ろしい違いがあることを知った。

 まず日本の体育会系の部活では、皆さんもご存じの通り、先輩の言うことには絶対服従である。学年で決まる厳しいカースト制度がひかれ、食事もコーチや先輩より先に箸をつけてはならないと注意された。ひたすら耐えることが目的のように見える練習は、精神を根本から鍛えるためのものだ。誰かの「根性」が入っていないと、共同責任として全員が居残りで体育館を走るように言われた。幸い試合では結果を残すことができたが、その時の「根性」がその後の人生で大きな役割を果たしたかどうかは、正直よくわからない。

 留学先のオックスフォード大学院では、やはり運動好きが高じてボート部に入った。朝5時半起きで川に出る特訓を数ヵ月続けたが、そこで見たものは、レースで勝つという「目的から逆算して発想された戦略の全て」であった。

 アメリカ人、イギリス人、インド人、中国人、そして日本人の私という国籍混合チームであったが、チームワークは徹底的に重視された。そのチームは、ボートを漕ぐというタスクのみで固く結束しており、それ以上またそれ以下のしがらみもなかったのである。コーチが提案するトレーニングの内容も、より合理的なやり方があれば、自由闊達に提案できる雰囲気があった。耐えるか耐えないかではなくて、いかに合理的に勝つか、がチームの最重要課題であった。

「昼夜を厭わず、生活のすべてを捧げて練習し、生き残った者が命令する立場になる」

 これは、日本の体育会のコーチが言った言葉か。それともイギリスのコーチが言った言葉か。

 いや、どちらも否だ。実はこれは、冒頭に挙げた「すき家」の労働環境を調査した報告書の文言を引用したものである。「働く」という言葉を「練習」に、そして「幹部」という言葉を「命令する立場」に置き換えただけのことである。そして報告書は、こういった「ビジネスモデルが、その限界に達し、壁にぶつかったものということができる」と続く。

●良き人生を自ら選択するヨーロッパ人
苦しくても耐え忍ぶ日本人

 産業革命を自ら牽引し、それに派生して生まれた新しい労働問題に随時対処してきたヨーロッパの人々の働くことに関する意識は、日本人のそれとは真逆を行くかもしれない。

 各国の大使を歴任した父について様々な国を巡り、5ヵ国語を流暢に操る頭脳明晰なオランダ人の同僚メアリは言う。

「オランダでは、2時間残業したら次の日は2時間遅く出社する権利を誰もが会社に主張するわ」

 美しい彼女は、主夫として家を守るフランス人の夫と2人の娘の母親として、現在も一家の大黒柱を務めている。4ヵ月間の産休を経た後は、職員の権利として与えられる午後3時帰宅を1年間実行した。彼女に日本のブラック企業に喘ぐ人々の状況を説明したところ、彼女は心底気の毒そうな顔を私に向けたのだった。

 国家の経済が破綻しつつあるのに1ヵ月の夏期休暇は確保する南欧諸国のリーダー達はさておき、ヨーロッパの人々の頭の中には、良き人生を自分で選択する行動指針が組み込まれているように思う。事業で成功するにしても、家庭を大切にするにしても、良き人生の定義は自分で決める。周りの空気や世間体に惑わされることなく彼らは主体的に選びとり、それに対する責任を自分で負っている。

 合理性よりも共同体内の人間関係を重視し、苦しくてもひたすら耐え忍ぶ精神の美徳を説き、場の空気や体面により重きを置く日本社会の傾向を指摘したのは、第二次大戦時の旧日本軍の敗因を分析した名著『失敗の本質』(野中他5名、1984)であった。70年前の日本の組織の特性を言い当てたこの指摘は、現代のブラック企業が直面する課題の本質も、ある意味言い当てているとは言えないだろうか。

 常識で考えれば誰もが持続不可能と思うような勤務形態を、「やればできる。俺たちもやってきたんだ」と精神論で看破しようとするのは、とても合理的に勝つことを念頭において思考する人間の言葉ではない。黒い企業の存在で明らかになった21世紀日本社会の闇は、いまだ根が深いのかもしれない、と思うこの頃である。

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たじま・まいこ
国連職員。新日本監査法人国際部(KPMG)を経て、国連世界食糧計画(WFP)勤務。これまでアメリカ、イギリス、フランス、イタリア、ラオス、アルメニアに日本を加えた7ヵ国で生活、60ヵ国籍以上の同僚達と共に仕事をしてきた。途上国/先進国、アジア/ヨーロッパ/アメリカ/アフリカを横断する自由な視点をもつ。東京都出身。オックスフォード大学院修士課程修了。青山学院大学国際政治経済学部卒。

(貼り付け終り)

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