十代の後半映画に夢中になった。年間200本見た年もあった。
お金がない身なので片っ端から試写会の抽選に応募、見たい映画は何人もの名を借りて申し込んだ。
映画を見て飯が食える映画評論家か映画の雑誌社を将来の仕事として真剣に考え、見た映画は全てにわたり評論と言えるものではないが本人は評論のつもりで書いていた。
お気に入りはオードリー・ペッバーン、ほとんどの作品は一度と言わず二度三度見た。
オードリー28歳のとき、ビリーワイルダー監督でゲリー・クパーと競演した「昼下がりの情事」は余すことなくオードリーの魅力をスクリーンに映し出した。
オードリーの美しさ、チャーミングなところ、お茶目で純粋。昼下がりの情事の主人公「アリアンヌ」こそオードリー・ヘップバーンそのもののような気がした。
南三陸町志津川一体が津波で流された。推定標高
40メートル、海岸から約530メートルのこの高台にある東山公園には、毎年美しい桜が咲き、皆が楽しみにしていた。ここに植わっていた桜は今回の津波でなぎ倒されてしまいました。
この地へ再びさくら並木を作ろうと呼びかけ、答えてくれた桜提供者とロンドンのSakuraFrontのメンバーで一時帰国していた、E女史も参加し植樹しました。
E女史は多くの社会貢献活動に参加、自身でも小児病院の療養環境改善のための活動に取り組んでおられます。
一ヶ月ばかりの滞在中、我々と行動を共にし「さくら並木ネットワーク」として存分に働いてくれた。
ロンドンへ帰るとき私に一冊の本をプレゼントしてくれました。それはオードリーの息子ショーンが綴った「母、オードリーのこと」A4版で二百数十ページでオードリーの写真もいっぱい詰っていた。
オードリーは晩年ユニセフの活動に旺盛に取り組みました。
ユニセフ親善大使としてアフリカの貧しい国は勿論、インドネシア、バングラディシュ、インド、フィリッピン。それは富める国の少しの善意で一日4万人の死んでゆく子供達を救える。オードリーは献身的に全世界に向け訴え続けました。
E女史は息子ショーンとメールのやり取りをしていてショーンに一通のメールを打ちました。
オードリー・ヘップバーンは生涯「花」を愛し続け、スイスの家は花で覆われていました、そして水彩画や油絵で花を描いたものを多く残しています。さらに桜は大のお気に入りで家の庭にも桜を何本も植えていました。
ショーンはオードリーが亡くなったとき、そのお墓は「桜の木があるお墓がいい」そばに桜の木のあるお墓を見つけ埋葬しました。
E女史はショーンに桜を好きだったオードリーのこと「さくら並木ネットワーク」の活動のことをメールで知らせました。ショーンは「素晴らしい活動だ」「オードリーヘップバーン児童基金事務局にこの話しを伝えておく」とE女史と約束を交わしました。
私はいただいた本の中のオードリーの愛情に満ちたいくつもの言葉に涙しました。
「エチオピアでね、配給されたパン1個をしっかり握った大勢の子供達が私のまわりに集まってきたの。そして、私の目の前でそのパンを半分にちぎって、ハイどうぞ、ってその半分を私にくれるの。硬いそのパン1個が丸一日分の食料なのによ・・・。彼らの目は澄んでいて、キラキラと輝いていた。私は一人一人を抱きしめたわ。
私は彼らから大きな愛をもらったの・・・」
オードリー・ヘップバーンは貧しい子供達に大きな援助を続けながら、子供達から計り知れない力をもらっていた。
「さくら並木ネットワーク」の我々も、支援した何倍もの力を被災地被災者から与えられている。そしてその力が明日への活力になっていることだけは間違いない気がする。
いつの日にか東北の地へ私達の手で「オードリーヘップバーン」の名前の入った桜の木が植えられることを夢みています。
お金がない身なので片っ端から試写会の抽選に応募、見たい映画は何人もの名を借りて申し込んだ。
映画を見て飯が食える映画評論家か映画の雑誌社を将来の仕事として真剣に考え、見た映画は全てにわたり評論と言えるものではないが本人は評論のつもりで書いていた。
お気に入りはオードリー・ペッバーン、ほとんどの作品は一度と言わず二度三度見た。
オードリー28歳のとき、ビリーワイルダー監督でゲリー・クパーと競演した「昼下がりの情事」は余すことなくオードリーの魅力をスクリーンに映し出した。
オードリーの美しさ、チャーミングなところ、お茶目で純粋。昼下がりの情事の主人公「アリアンヌ」こそオードリー・ヘップバーンそのもののような気がした。
南三陸町志津川一体が津波で流された。推定標高
40メートル、海岸から約530メートルのこの高台にある東山公園には、毎年美しい桜が咲き、皆が楽しみにしていた。ここに植わっていた桜は今回の津波でなぎ倒されてしまいました。
この地へ再びさくら並木を作ろうと呼びかけ、答えてくれた桜提供者とロンドンのSakuraFrontのメンバーで一時帰国していた、E女史も参加し植樹しました。
E女史は多くの社会貢献活動に参加、自身でも小児病院の療養環境改善のための活動に取り組んでおられます。
一ヶ月ばかりの滞在中、我々と行動を共にし「さくら並木ネットワーク」として存分に働いてくれた。
ロンドンへ帰るとき私に一冊の本をプレゼントしてくれました。それはオードリーの息子ショーンが綴った「母、オードリーのこと」A4版で二百数十ページでオードリーの写真もいっぱい詰っていた。
オードリーは晩年ユニセフの活動に旺盛に取り組みました。
ユニセフ親善大使としてアフリカの貧しい国は勿論、インドネシア、バングラディシュ、インド、フィリッピン。それは富める国の少しの善意で一日4万人の死んでゆく子供達を救える。オードリーは献身的に全世界に向け訴え続けました。
E女史は息子ショーンとメールのやり取りをしていてショーンに一通のメールを打ちました。
オードリー・ヘップバーンは生涯「花」を愛し続け、スイスの家は花で覆われていました、そして水彩画や油絵で花を描いたものを多く残しています。さらに桜は大のお気に入りで家の庭にも桜を何本も植えていました。
ショーンはオードリーが亡くなったとき、そのお墓は「桜の木があるお墓がいい」そばに桜の木のあるお墓を見つけ埋葬しました。
E女史はショーンに桜を好きだったオードリーのこと「さくら並木ネットワーク」の活動のことをメールで知らせました。ショーンは「素晴らしい活動だ」「オードリーヘップバーン児童基金事務局にこの話しを伝えておく」とE女史と約束を交わしました。
私はいただいた本の中のオードリーの愛情に満ちたいくつもの言葉に涙しました。
「エチオピアでね、配給されたパン1個をしっかり握った大勢の子供達が私のまわりに集まってきたの。そして、私の目の前でそのパンを半分にちぎって、ハイどうぞ、ってその半分を私にくれるの。硬いそのパン1個が丸一日分の食料なのによ・・・。彼らの目は澄んでいて、キラキラと輝いていた。私は一人一人を抱きしめたわ。
私は彼らから大きな愛をもらったの・・・」
オードリー・ヘップバーンは貧しい子供達に大きな援助を続けながら、子供達から計り知れない力をもらっていた。
「さくら並木ネットワーク」の我々も、支援した何倍もの力を被災地被災者から与えられている。そしてその力が明日への活力になっていることだけは間違いない気がする。
いつの日にか東北の地へ私達の手で「オードリーヘップバーン」の名前の入った桜の木が植えられることを夢みています。
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