「縦横無尽」 フローレ21社長のコラム

花の仲卸フローレ21社長小池潔がつれづれに語ります 快調に更新中

さくらとオードリー・ヘップバーン

2012-05-26 12:46:51 | Weblog
十代の後半映画に夢中になった。年間200本見た年もあった。
お金がない身なので片っ端から試写会の抽選に応募、見たい映画は何人もの名を借りて申し込んだ。
映画を見て飯が食える映画評論家か映画の雑誌社を将来の仕事として真剣に考え、見た映画は全てにわたり評論と言えるものではないが本人は評論のつもりで書いていた。
お気に入りはオードリー・ペッバーン、ほとんどの作品は一度と言わず二度三度見た。
オードリー28歳のとき、ビリーワイルダー監督でゲリー・クパーと競演した「昼下がりの情事」は余すことなくオードリーの魅力をスクリーンに映し出した。
オードリーの美しさ、チャーミングなところ、お茶目で純粋。昼下がりの情事の主人公「アリアンヌ」こそオードリー・ヘップバーンそのもののような気がした。

南三陸町志津川一体が津波で流された。推定標高
40メートル、海岸から約530メートルのこの高台にある東山公園には、毎年美しい桜が咲き、皆が楽しみにしていた。ここに植わっていた桜は今回の津波でなぎ倒されてしまいました。
この地へ再びさくら並木を作ろうと呼びかけ、答えてくれた桜提供者とロンドンのSakuraFrontのメンバーで一時帰国していた、E女史も参加し植樹しました。
E女史は多くの社会貢献活動に参加、自身でも小児病院の療養環境改善のための活動に取り組んでおられます。
一ヶ月ばかりの滞在中、我々と行動を共にし「さくら並木ネットワーク」として存分に働いてくれた。
ロンドンへ帰るとき私に一冊の本をプレゼントしてくれました。それはオードリーの息子ショーンが綴った「母、オードリーのこと」A4版で二百数十ページでオードリーの写真もいっぱい詰っていた。

オードリーは晩年ユニセフの活動に旺盛に取り組みました。
ユニセフ親善大使としてアフリカの貧しい国は勿論、インドネシア、バングラディシュ、インド、フィリッピン。それは富める国の少しの善意で一日4万人の死んでゆく子供達を救える。オードリーは献身的に全世界に向け訴え続けました。

E女史は息子ショーンとメールのやり取りをしていてショーンに一通のメールを打ちました。
オードリー・ヘップバーンは生涯「花」を愛し続け、スイスの家は花で覆われていました、そして水彩画や油絵で花を描いたものを多く残しています。さらに桜は大のお気に入りで家の庭にも桜を何本も植えていました。
ショーンはオードリーが亡くなったとき、そのお墓は「桜の木があるお墓がいい」そばに桜の木のあるお墓を見つけ埋葬しました。
E女史はショーンに桜を好きだったオードリーのこと「さくら並木ネットワーク」の活動のことをメールで知らせました。ショーンは「素晴らしい活動だ」「オードリーヘップバーン児童基金事務局にこの話しを伝えておく」とE女史と約束を交わしました。
私はいただいた本の中のオードリーの愛情に満ちたいくつもの言葉に涙しました。
「エチオピアでね、配給されたパン1個をしっかり握った大勢の子供達が私のまわりに集まってきたの。そして、私の目の前でそのパンを半分にちぎって、ハイどうぞ、ってその半分を私にくれるの。硬いそのパン1個が丸一日分の食料なのによ・・・。彼らの目は澄んでいて、キラキラと輝いていた。私は一人一人を抱きしめたわ。
私は彼らから大きな愛をもらったの・・・」

オードリー・ヘップバーンは貧しい子供達に大きな援助を続けながら、子供達から計り知れない力をもらっていた。
「さくら並木ネットワーク」の我々も、支援した何倍もの力を被災地被災者から与えられている。そしてその力が明日への活力になっていることだけは間違いない気がする。
いつの日にか東北の地へ私達の手で「オードリーヘップバーン」の名前の入った桜の木が植えられることを夢みています。
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「繋ぎ束ね届ける」

2012-04-28 11:48:52 | Weblog
さくら並木ネットワーク(SNN)が設立され半年が過ぎた。SNNに新しい便りが次々届き、未来に大きな可能性が生まれつつあります。486本の植樹した桜から新しい力が生まれ、さくら並木ネットワークに質的変化をもたらせようとしています。

数日前気仙沼前浜から1通のメールが「花のミプリ」さんへ届きました。3月10日に植樹した一年生の桜「江戸彼岸のしだれ」に花が咲いたと言う便りです。
半年前ミプリさんへ伺い、SNNへの協力を要請したところ快く賛助会員に登録頂きました。後日SNNへ多額の振込みがあり、驚いた私がお電話をしました。電話口から返ってきた言葉は「私は素人から花屋を始め今年で十年、何とか細々営業してきました。十年たった記念にお客様に何かお返ししたいと思い蓄えたお金がありました」「桜を植えることに使っていただければお客様にも納得していただけると思い申し込みました」。
我々はこのような思いをなんとしても被災地被災者に届け、一日も早い復興の力となること、100年先まで津波の被害を伝え続けなければならないとメンバー全員は確認しあいました。
この話を聞いた前浜の菊池さんは「ミプリさんに桜を自宅前の津波が到達した地点に植えていただくことができないか?」ミプリさんは忙しい中、前浜に出向き、菊池さんと二人で桜を植えました。「ミプリの桜です。かわいくて、可憐で、はかなくて、きれいで、こんなチャーミングな桜は見たことがありません。本当に素敵です。とてもうれしいです。桜並木ネットワークのみなさまのおかげです。ありがとうございました」(桜の写真は SNN ホームページ記載)1本の小さな桜が支援者と被災者を強い絆で結びつけ、新しい物語が再び始まります。

6月にSNNの新聞「さくらだより」(仮称)ができます。賛助会員全員へ送付されす。この編集委員会に賛助会員から新しいボランティアが加わり、積極的で斬新な意見を頂き、間違いなく賛助会員と被災地を結びつける「さくらだより」になると確信しました。

賛助会員から「ホームページから記事を抜粋し、SNNお知らせの資料を作り、多くの人に広めたい」このような要望が届きました。この方は観光バスの添乗員をされていて、SNNの活動に賛同され、バスでのお仕事先、乗車されているお客さんは勿論、道の駅や宿泊先あらゆるところにSNNのリーフレットを置かせていただく依頼をやってくれています。
お会いしお話をうかがったところ、あまりの積極性でSNNの問い合わせがバス会社へ頻繁にあり困っているとのお話でした。SNNの「ひろめ隊」として活動を引き続き展開していただき、SNNの名刺を作りバス会社の迷惑に成らないよう興味のあるお客様にはSNN事務局へ問い合わせが入るようしました。

ロンドンのさくらブローチを日本で制作したいとの依頼がSNN事務局へ届きました。ロンドン SakuraFront と繋げその許可と制作上の注意点のアドバイスを頂き、日本製のさくらブローチが200個、出来上がりました。雰囲気のあるブローチが素敵なボランティアグループにより完成し、多くの力がSNNに寄せられていることに感謝しています。
私達はこれからも多くの感動の物語を賛助会員の方と分け合い、新しい道を切り開きたいと思っています。それにはあなたの力が必要です!
復興、復旧への道は始まったばかりです。それぞれの力は小さくて弱い、しかしその力を繋げ束ねることで、大きくて強い力へと変わり、希望と夢になり被災地と共に歩んでいく。それが「さくら並木ネットワーク」です。
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「津波てんでんこ」

2012-04-14 13:11:39 | Weblog
南三陸町波伝谷、先々週植樹を行った上山神社の対岸に位置する地。津波で流された家屋を見下ろすとそこは谷の様でもあった。
南三陸の語り部、後藤一磨さんはこう言った「昔の人は伝え続けなければならないものは地名として残したところは数多くある」
波伝谷地区は全ての家屋が津波で流され、15人の尊い命を失った。
津波で大きな犠牲を出したこの谷は後世まで伝え続けなければならない。きっと昔の人の思いが「波伝谷」と言う地名となって伝えられていた。
家を流され、高台に移転しようとしてみれば、そこは縄文時代の遺跡や館跡であった。
現代に生きる人間は自然とどのように向き合い生きてきたのか?便利さや意味のない豊かさを求め自然を人間の力で封じ込めようとしていたとさえ思える。一磨さんはこう語った。

一磨さんは戸倉中学校で、翌日の卒業式の後に開かれる同窓会入会式の準備をしていた。経験したことのない大きな揺れ。
「必ず津波が来る」と直感した。急いで帰宅し、妻子を連れて自宅裏の高台に逃げて間もなく大津波が押し寄せた。
自宅は大丈夫だと思った。しかし、かやぶき屋根が引き波に乗って島の向こうに消えていくのをぼうぜんと眺めた。
「なぜか、幼いころにアリの巣を壊した時のことを思い出した。アリたちは卵を運び出したり巣を直したり、右往左往していた。自分たちも同じだ」
縄文時代の遺跡や古い神社が「不思議と津波の被害に遭っていない」ことに気付いた。
「先人たちは津波にやられたり、生き延びたりしながら、安全な場所を定めてきたのでしょう。それが人間の生活と自然との関係だったはず。
私たちに「自然を操れる」というおごりや慢心がなかっただろうか、植樹の前夜、三陸の語り部後藤一磨さんに皆でお話を伺った。

古くから「津波てんでんこ」と言う言葉がある。津波が来て生死を分けるもの、それは自分の事だけを考え、一目散に逃げる事。
他人のことは一切考えるな自分の命は、自分の責任で守れという意味も含みます。
さらには「他人を助けられなかったとしても、それを非難しない」という暗黙の約束事にもなっているのです。
あの時、津波によって亡くなったのは、せっかく避難をしたのに身内を心配して家に戻った、貴重品などをとりに行き引き波でさらわれる。

「てんでんこ」とは、「てんでんばらばらに」を表し「人にかまわず1人で高台へ逃げろ」という意味。
上山神社の目の前に南三陸町防災センターがさび付いた鉄骨だけを残し痛々しく建っている。町の職員が最後までこの防災センターで大津波警報と避難を呼びかけていた。
避難された人は「緊迫した呼びかけは危機が迫っている事を感じさせてくれた」「呼びかけに背中を押されるように逃げて助かった」
しかし26名の防災担当職員は命を失った。多くの消防団員や職員の大切な命、大切な職務、答えは「てんでんこ」だと思う。
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「三春の滝桜」

2012-04-07 09:00:54 | Weblog
砧公園の桜もこの土曜日曜が見ごろを迎える。半月ばかり遅い春がやってきた。大勢の人でお花見だ、皆桜を愛でて何を思うのか?
10人が10人きっとさまざまな思いを抱き今年のさくらを眺めるのだろう。

4月初旬福島三春町を訪問、「三春の滝桜」に会いに行った。現場に着いたのは日落ちる少し前だった。
勿論一輪の花もつけていない滝桜が20mもあると思われる枝を東西南北に大きく張り出し垂れ下がっているようすは、桜の王者を十分感じさせる存在であった。
この桜が満開の花を咲かしたら自分は何を思い、何を感じるのか、花の咲いた滝桜に巡り合いたいとも思った。
三春町への訪問は滝桜に会うことが目的ではなく、この滝桜をも守っている村田春治(82歳)さんに会うためである。

「さくら並木ネットワーク」が今春、植樹した90%の桜は「江戸彼岸桜」だった。樹齢が長く、東北の地へ植えるのに適した品種と言うことで推奨した桜である。
「三春の滝桜」も原木はこの江戸彼岸桜が突然変異で枝垂れたものらしい。
「三春の滝桜」の種子を育てても2割3割しか枝垂れるものは現れない、三春以外の枝垂れではその確立はさらに十分一程度になると言う。
突然変異の突然変異が三春の滝桜らしい。これを守っている村田春治さんも滝桜と変わらぬぐらい、変わってる人であった。
82歳で後継者がいなくて、一人で何町歩もの畑と庭を管理するのは酷な話である。
残念ながら手入れがいきとどいてなくて、頂ける「三春の滝桜」は一本もなかったが、多くの貴重なお話を聞かせて頂き勉強になった。
しかしどうしても今回の三春訪問で純粋の「滝桜」を5本6本、目途を付けなければならい事情があった。
時間がない中走り回り、手入れのいきとどいた立派な畑で「三春の滝桜」に出会うことができた。
その畑の滝桜は、何度も移植を繰り返し、根きりをして新しい根毛を育て移植に耐え、成長するような立ち姿を素人の私たちにも感じさせてくれた。

樹木に特別の知見を持っておられる、東京農大の濱野教授を訪問。お話を伺った折「さくらは人の手が入れば入るだけ、良い木となる」「それも小さいうちが大切である」人の子を育てるのと変わりがないのだなと思った。
その畑の「三春の桜」は子供を育てるように育てている愛情が私にも伝わり「この滝桜なら喜んで頂ける」と確信した。

大した知識もなく「さくら並木ネットワーク」を立ち上げ、問題にぶつかるたび識者に教えを乞い解決してきた。
桜の持っている力にも驚かされたが、桜を植え、育てる過程おいても深い深い知識と経験が必要だと感じさせられた。

「さくら並木ネットワーク」が遠い将来、発展的に解消する時が来たとしたら、その後の組織は「さくら並木を守る会」として再出発しなければならないが、それは次の世代に託すしかない。
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桜の力

2012-04-05 10:10:53 | Weblog
さくら並木ネットワークのスタッフと3月8日から11日まで東北の地へ桜の植樹に行ってきました。
何度も東北の地へ足を踏み入れてきたが、いつもいつもたくさんのことを教えられ多くの感動をお土産に帰ってきます。
今回の訪問ではとびっきりのお土産を何人もの方に頂き、爽快な気分で疲れを東北の地へ置いてきたようでした。
どの植樹地でも宮城岩手の造園業者の方がしっかりした仕事をして頂き感激しました。
さくらを植える地は、水はけが悪い所が多く、ユンボで水抜けの溝を掘り、堆肥もたっぷりと使い植えてくれました。
地元住民と桜並木のスタッフが力を合わせ植え込み、しっかりした鳥居支柱で桜を支え、どのような強風にもびくともしない立派なものに仕上げて頂いた。
桜基金に寄付を頂いた賛助会員に見ていただいても納得いただける仕事だと思った。

気仙沼本吉町天ヶ沢で桜の植樹式を行った。農林水産省や桜寄贈者の全花協のメンバー、桜並木のメンバー、そして地元の多くの皆様。

3月11日を境に被災地や被災者の間で生き方や考え方に変化がでてきた。気仙沼本吉町天が沢で9人の犠牲者がでた。
一つにまとまっていた浜が震災以降、被害の度合いでまとまらなくなりました。 家族をなくした人、家を流された人、浸水した家、被害の少なかった家、無事だった家。無事だった人はいつも「無事でなんともなくてご免なさい」との思いで被災した人に接した。
何をしても意見がまとまらない気まずい関係が続きました。
私達が桜の植樹での住民集会を開いた時、最後に発言した人がこういいました「思い思いのさくらを植えるのもいいですが、みんなが前向きに生きてお花見でもしたいと思ったとき、浜のみんなが寄れる桜並木があると良いね」
別の方が「うちの土地を使ってください、海が見えて、津波が直ぐ下まで到達した地点で、広々としてお花見にはうってつけだと思います」
住民集会で桜並木、それも9人の鎮魂と地域の復興を願った桜を9本植えることになりました。
3.11の植樹式で「やっと浜のみんなが、一つになれた」といいました。私達の活動が少し、お役にたった実感がわいた。
この活動を地元で支え続けてくれた三浦君は3.11でお母様を亡くされました。その悲しみを心に閉じ込め復旧復興の先頭に立ち行動してきました。
そして気仙沼の合同慰霊祭で遺族代表の挨拶をしました。
その日の朝、彼はお母様に初めてのお別れを言ったそうです。桜を植え、「この桜にきれいな花を咲かせてください」とお願いしました。
「この桜を贈ってくれた人がこの地へ見に来てくれたとき」そして多くの人に支えられふるさとの復興を誓いました。
桜を機軸をした感動的なドラマがその植樹先で起こっている。それは想像も出来ないほどの力が桜にあることを実証した一日でした。
さくら並木ネットワークには連日さまざまな問い合わせが続いています。それはどうしたらもっと支援できるか?という問い合わせです。
仲間を増やし、支援の輪を広げ、東北の地へさくら並木を作り続けるために。

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青春

2012-03-13 15:56:25 | Weblog
明治45年(1912年)2月14日横浜港より12種類6040本の桜の苗木を積んだ「阿波丸」が出航した。一ヵ月後の3月13日ワシントンについた。
実は3年前明治42年ワシントンへ送った2000本の桜の苗木から害虫が多数発生、すべてが焼却処分になりました。
二度目の桜は米国農務省の検査官が荷物を広げたところ「素晴らしい害虫の姿が見えない」「病気にかかっている木は一本もない」昆虫局長ハーワード博士も、「私は今までこのような完全な輸入植物は見たことがない」と驚いたそうです。
この桜の苗はワシントンポトマック公園に植えられ、半数はニューヨークのハドソン河河川敷に植えられました。これはハドソン河開発100周年記念式に贈られたものでした。
3月27日ポトマック公園での植樹式が行われた、今年2012年は100年の節目の年として盛大なイベントが計画されています。

100年前2度目の桜の輸出に携わった業者は現在創業120年を迎える「横浜植木」です。ハワード博士を感嘆させた桜の苗木は「横浜植木」による丹念な燻蒸と消毒によるところが大きかったのでしょう。
さくら並木ネットワークは東北の各地で津波到達地点への桜並木の造成、桜並木が100年先まで津波の災害を伝え続ける役割を担う。
このような活動をする組織が100年前にワシントンへ桜を無事送り届けた「横浜植木」という会社に挨拶をしておくことは当然の礼儀であると思っていた。

横浜植木の渡辺社長と面会する事ができた。忙しい中一時間を越える時間を頂き、さくら並木ネットワークを御支持頂き、長いお付き合いができるのではないかとの感触を得た。

そしてニュヨークから1通のメールが届いた。ニュヨーク在中の日本の方が,「桜太鼓」という子供の太鼓の組織を中心に大掛かりな震災支援に取り組んでおられる。
今まで赤十字に支援金を贈っていたが支援金の行く先がわからない「桜太鼓」の名前の通り、さくら並木ネットワークへ支援金を贈り桜の木に変えたいとの申し出がありました。

桜並木が津波の到達地点来年は2kmにわたる桜並木の植樹などの依頼も届いています。今後このような計画も多数出てくる状況です。
ポットマックにさくらが植えられ100年。ニューヨークの善意が最大の被害を出した宮城県石巻の津波到達地点に2kmにわたるさくら並木に変わったら、米国だけに止まらず世界中が勇気づけられます。
さくらは10m間隔(成長した時に必要な幅)で植えていきます、ですから2kmといっても200本です。200本一本1万円で200万円のプロジェクトです。
たった200万円という表現が正しいかどうかは別にして、どれだけの人がこのことで勇気や希望を持てることが出来るでしょう。まだ復旧復興は緒についたばかりです。この桜並木が出来たなら何千何万の人に大きな力を与える事は必至です。
ニュヨークと日本が同じ夢を共有出来たなら私たち自身にも大きな幸せが訪れるような気がしています。

この会の代表は私と細沼社長、海外を中心に多くの働きかけをしていただいている細沼弘良氏、3人の年齢を合計すると200歳を超える。
しかしこの3人は青春を生きている実感を味わっている。アメリカのサミュエル・ウルマンの詩を思い出した「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の様相を言うのだ。・・・年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。・・・」
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さくら大使普天間かおり

2012-03-07 15:40:43 | Weblog
昨年の6月だった、7月16日「花の力For Japan」の二度目の打ち合わせだった。
花の力で被災地に笑顔と元気を取り戻す震災支援イベントとして1000人規模で取り組んでいた。
花の力だけでなく「歌の力」もかりて1000人の思いを一つに被災地に届けたかった。
普天間かおりの活動をたまたまYouTobeで知り、当日の出演依頼を取り付けて30分〜40分のステージをお願いした。

津波到達地点にさくら並木を作る、しかもそれは東北全土で津波被害がでた地域全てにさくら並木をつくる壮大な計画だった。
普天間にこの話をし、桜並木が完成し、満開の花を咲かせたら「普天間、桜の下で歌ってくれる?」普天間は右手を少し持ち上げ胸のところで握りこぶしを作り「頑張ります」といって微笑んだ。

普天間かおりとはライブやコンサートだけでなく、花の力プロジェクトと震災復興支援活動を共に行ってきた。
沖縄の出身だが第二のふるさととして福島に大きなエールを送り続けている。
更にさくら並木ネットワークの立ち上げにも協力して頂き、現在は「さくら大使」としてさまざまな場面でさくら並木ネットワークの普及に尽力いただいている。
普天間かおりは歌もトークも一流の才能を持っているが、私は普天間かおりのハートこそ誰よりも誇れるものだと思っている。

福島県いわき市豊間地区、豊間中学校3.11地震と共に大きな津波に襲われた。体育館にあったピアノも再生不可能と思われるほど塩や砂がピアノの内部まで入っていた。
「ピアノショップいわき」のピアノ調律師遠藤さんの粘り強く諦めない修復が奇跡のピアノ復活に繋がった。
さまざまなマスメデァで取上げられ、紅白にも復活のシンボルとして出場した。
「直せる傷はあるのですがあえて直しませんでした、ありのままの姿を見て頂き後世に震災語り継いで欲しい」
そして紅白にこのピアノが出場したことに触れ、「そのようなものが目標でなく、子供達にまた元気に校歌を歌って欲しかった」と言われた。
そしてピアノの上には普天間が歌い続けてきた「Smile Again」のCDフォトスタンドと「守りたいもの」のCDブックが置いてあった。
遠藤さんの願いは普天間かおりにこのピアノの伴奏で一周忌3.11、体育館で「SmileAgain」を歌って欲しい、これが本当の願いでした。
11日ラジオ福島の特別番組で生のライブで11時ごろ歌うことが決まりました。
大きな傷跡が癒えない福島の人達に元気や希望が湧き出るような歌声を聞かせてくれると信じてます。

気仙沼本吉町天ヶ沢で9人の津波による犠牲者がでました。11日同じ時刻に9人の鎮魂と一日も早い復興を願い9本の桜の成木を植えます。
来年には美しい花を咲かせてくれます。それほど遠くない未来に、満開の桜の下で、普天間かおりがの澄んだ美しい声が聞けると思います。それは「さくら並木」を歌った楽曲だと思う。
      参考資料         http://futenmakaori.ti-da.net/
普天間かおりブログ 絶対だはずよ!?
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東日本大震災一周忌

2012-02-25 17:08:00 | Weblog
8月28日仙台の「花と緑の復興フォーラム」で花弘の細沼社長が「津波到達最高地点にさくら並木を作る」現在の「さくら並木ネットワーク」構想を発表した。
この半年、私達の周りにはいくつもの感動的な出来事、涙なしでは語れない、生きている事への感謝と喜び、人生で味わった事のないような経験をさせていただいた。
先の見えないこの「さくら並木ネットワーク」に600万円を超す貴重な浄財が集まった。これからの活動を考えると充分とは言えないが大変なお金だ。

さくら並木ネットワークのロゴマークやリーフレットの製作を請け負って頂いた会社は数十万円の代金を全てボランティアとして代金を受け取らなかった。
さくら並木ネットワークのNPO法人設立に尽力して頂いた司法書士の先生は僅かしか受け取っていない報酬に自分のお金を足して賛助会員と桜基金の申し込みをしていただいた。
先生の年賀状には「さくら並木ネットワークという東日本大震災での津波被害を100年先まで伝え続けるために、東北全土の津波最終到達地点に桜並木を作るというNPO法人の設立にかかわったことは何よりもの喜びでありました」このような年賀状を出して頂いた。

さくら基金Åを20本分、賛助会員一口、合計202000円振り込んでいただいた花屋さんがいた。驚いて電話し「何かの間違いでは?」
「間違いでないんです、自分は素人から花屋を開業して10年、10周年にお客様に何かしたいと思って蓄えたお金です。さくらを植えることに使ってもお客さんは許してくれるでしょう」
こう言ってくれた。電話口で涙が止まりませんでした。20本のさくらが必ず東北の地で、今回の津波の被害を風化せず、次の代まで語り続けてくれる事を願って植えます。
この花屋さんは3月10日の桜の植樹に気仙沼までさくらを植えにきてくれます。
3月10日一周忌で植樹する気仙沼天が沢、「いずれ、村の人達が前向きに成ったとき、お花見ができるところがあってもいいのでは」見晴らしのいい、直線のご自分の土地を提供してくれた。
この御夫婦がこの花屋さんの話を聞き「我が家に植える一本の桜をこの花屋さんに植えて頂きたい」このようなお申し入れが有り、「当日お昼のご飯を作って待っていますと伝えてください」こう言われた。
これからもまだまだ感動の出会や涙の出来事が起こることでしょう。

明治29年三陸を襲った大津波、岩手県南部の気仙沼群吉浜村、人口1079人中982人死亡。村は全滅した。
先日岩手を訪問した折、吉浜村の東日本大震災での津波被害を見た。流された家屋ゼロ、死亡1名、その1名、引き波のとき、畑へ忘れ物をとりに行っての死亡、残念な結果だった。
明治の教訓を今日に活かした数少ない村落です。明治に作った古ぼけた石碑を新しく大きなものを再び建立したのは一昨年だった。
そして明治の先人の教えをかたくなに守り最少限の被害で今回の津波を繰りぬけた。
次の津波は80年後か100年後か、私たちはこの世に存在しない、だけどこのような惨いことはこれが最後にしたい。
それはさくら並木に託す他にないことだけは確かだ。


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sakura front

2012-02-20 07:16:02 | Weblog
第84回アカデミー賞のノミネーションが発表され、東日本大震災の被災地にカメラを向けたルーシー・ウォーカー監督作「津波そして桜」がドキメンタリー短編賞にノミネートされた。
東日本大震災で巨大津波に襲われ被災した人々が、復興へ向けて歩む姿をとらえている。
映画『カウントダウンZERO』で核兵器の現状を暴いたルーシー・ウォーカー監督が、未曾有の大津波に直面した、日本人に二度とこのようなむごい事が起きないようフィルムによって記憶にとどめた作品だそうだ。。
作品は、被災地の人たちの姿を、日本人にとって桜がどういう存在か、というサブテーマを重ねつつ描いたものだった。
放射能の話も、東電の話もちらりと出てくるけれど、主役は人と桜。
予告編の中で年老いた老人が満開の桜に向かって「桜に、人の気持ちわかってもらえて、こおいうこと二度と起きないよう住民を守ってくださいとお願いするしかないね」
さくら並木ネットワークの理念、この活動の大本、人間に代わり長い命の桜に、平成の大津波を100年先まで伝え続ける。ルーシーウォーカー監督の思いとさくら並木ネットワークが響きあっていると感じた。

ロンドンに東日本大震災を支援するボランティア団体sakurafrontの存在を知らされた。ボランテァで桜ブローチを手作りで製作販売、この収益金で被災地を支援する団体です。
この会から、その収益金で津波到達地点に桜並木を作りたい、sakurafrontとさくら並木ネットワークの連携を願うメールが届きました。
勿論我々も喜んで申し入れを受け入れ活動のふくらみに期待しております。
ルーシーウォーカー監督はイギリス人ということも有り、sakurafrontの考えにも共鳴、2月27日アカデミー賞授賞式にはスタッフ全員で「桜ブローチ」を付けることになりました。
さくら並木ネットワークも早速「桜ブローチ」の販売を申し入れ、数量は限定されますが届く事になりました。3月9日からの桜植樹にはさくらネットワークのスタッフもこのさくらブローチを付けて臨みます。

近い将来ルーシーウォーカー監督はこの作品を持ち日本を訪れます。受け入れにはロンドンのsakurafrontとさくら並木ネットワークが共同で受け入れ組織の一つになるよう働きかけています。
そしてウォーカー監督にも津波到達地点に桜の植樹をお願いしたいとも思っています。
ウォーカー監督はもともと桜が大好きで、桜をテーマにした短編を撮ろうと思っていたという。ところが震災が起き、それで一度は諦めかけたものの、やっぱり震災と桜を絡めた作品にしようと思ったのだという。

さくら並木ネットワークとsakurafrontそしてウォーカー監督の想いは深いところで結びつき、きっと大きな力になり、東北の地へいくつものさくら並木を作るり、幸せを運んでくれるように思っています。


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2012-01-20 16:34:10 | Weblog
9月10日初めて気仙沼本吉地区天ヶ沢を訪れた。天ヶ沢地区の高台に仮設住宅ができ避難所からの引越しが終わったばかりのころだった。
まだ瓦礫の山が町のあちらこちらに積み残したまま、津波の爪あとが訪れた我々の心に深く突き刺さるようであった。
「花の力プロジェクト」や炊き出しをする「チームカイト」など複数の支援組織の混生チームでの仮設住宅の完成と復興への第一歩を踏み出すお祝いの会を催した。夜の炊き出し後、地元の歓迎の宴、男女30人による「大漁うたいこみ」での歌と踊りのおもてなしだった。父や母を亡くし、家を失い、大切な物を失ってそれほどの時がたってない人達。力いっぱい歌い踊ってくれた姿を見て心を揺さぶられ涙が止まらなかった。
漁師にとって大切な漁場の海、豊かな海の恵みに生かされている。その人達が同じ海に大きな災いをもたされた。
彼らは決して海を憎まず、再び海と共に生きようとする。そんな姿を「大漁うたいこみ」を拝見し感じ取った。

それから4ヶ月が過ぎ、同じ場所で天ヶ沢の人達と「さくら並木ネットワーク」の役員がさくらの植樹についての説明会を行った。地元の地権者からさくらを植えて欲しいという承諾書を頂き、それぞれの思いや要望をお聞きした。
合計74本の桜植樹が決まった。直線100mの海を望む高台に8本のさくら並木の造成も現地の要望で決定した。
74本全て私有地での植樹です、「皆さん仮にその桜に寄付をした人のネームプレートが付いたらどうですか?」と恐る恐る聞いてみると「東京に知人ができたようだ」「もしその人が花が咲いたとき来てくれたら、新しい親戚が増えたようだろう」
私達が願っていた、津波の被害を100年先まで伝え続ける、私達と東北を結ぶ絆に桜が立派に役割を果たしてくれそうである。

8本のさくら並木は花のオールジャパン、全花協(JFTD・花市場協会・花生産協会・日花協・全国花卸協会・インドア協会)で3月11日植樹する事が決定した。
さくら並木ネットワークは第一歩踏み出した。
これからの長丁場、会の存続には一年間2000円を支払って頂く協賛会員の存在が欠かせない。
賛助会員2000人獲得に向け新たな幕が開いた。
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