蒲田耕二の発言

コメントは実名で願います。

「自分がいる」

2016-04-09 | 社会
普通に「~です」と言えばいいところを「~となります」と言ったり、「美人すぎる検事」だの「かわいすぎる猫」だの、いまの社会はネットに限らず気持ち悪「すぎる」言葉遣いの氾濫だが、「~している自分がいる」もその一つ。

違法カジノに出入りしていたバドミントンの選手が、謝罪会見で「やめられない自分がいた」「楽しんでいる自分もいた」などと連発しているのを読んでゲンナリしたね。世間知らずの若手アスリートではあるし、情状酌量の余地もあるかとか思っていたのが、きれいサッパリ消えてしまった。

ヴォキャビュラリーを学ぶ機会の少ないアスリートとしては、はやりの言い回しに頼らざるを得ないんだろうが、その心底には、間違いなく責任逃れの意思が働いてるよな。他人事のように表現すりゃ、気持ちがラクだもん。

商売人が「~となります」なる言い方をしたがるのと動機は同じ。「~です」と言い切ると、なんか全責任を引っ被っちまう感じがして。

こういう責任回避のトレンドと真逆なのが、山尾志桜里議員だろう。安保法制や待機児童の問題で容赦なく安倍を問い詰め、しばしば立ち往生させた。その姿勢には、国民の付託を受けた責任感がみなぎっていた。

その彼女が秘書の使い込みをめぐって、メディアの集中バッシングを受けている。どうせ官邸が、血眼で山尾議員のアラを探し回ったのだろう。

小沢と鳩山を政権の座から追い落としたのと同じやり方だね。

田中龍作さんのブログによれば、山尾議員の釈明会見でネチネチともっとも嫌らしく彼女を追及したのは、産経でも読売でもなくテレビ朝日だったそうだ。

この局、変節がロコツ「すぎる」よな。いずれ、報ステのキャスターに橋下徹を据えるって噂だし。

変節の直接的なきっかけは総務相の「電波停止の可能性あり」発言なんだろうが、閣僚の発言一つで右往左往するとは、かつて安倍自身が言ったとおりメディアとして情けなさ「すぎ」ないか。

あの高市なる厚化粧のババア、権力を握る心地よさに高笑いしていることだろう。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 地下鉄事故 | トップ | 報道の不自由 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

社会」カテゴリの最新記事