ほとほと通信

89歳の母と二人暮らしの61歳男性の日記。老人ホームでケアマネジャーをしています。

二つの場面

2017-10-16 | 家族
今日は4連休の四日目です。



母と待ち合わせて、実家近くの総合病院に入院している父のお見舞いに行きました。
誤嚥性肺炎で入院している父は絶食10日目ですが、顔色は案外悪くありませんでした。
もうすぐ嚥下訓練が始まると言います。
簡単ではないでしょうが、持ち前の粘り腰で頑張って欲しいと思います。



このところ父との出来事を想い出すことがしばしばあります。
その中でも、2004年の二つの場面が頭に浮かぶことが多いのです。



その年の5月、もう少しで45歳になる私は、ほとんど無一文でした。
数年前に勤めを辞めて「新しい仕事を始める」と言ったものの、うまく行かなかったのです。
2003年の秋ころから再就職活動を始めましたが、履歴書をいくら送っても落とされてしまいます。

進退窮まった私は、図書館に行って「すぐ受験が出来て受かれば仕事に就ける」資格を探しました。
すると、高齢者介護のケアマネジャーの受験資格を満たしていることが分かりました。
「これを受けよう!」と思い、以前働いていた障害者施設に在籍証明書を発行してもらったりして、願書を発送しました。


試験は10月なので、それまで少しでも蓄えを作ろうと、アルバイトをすることになりました。
職場は明大前にある某銀行の「証券業務代行センター」というところで、軽作業なので簡単に採用されました。

ところが、職場の下見に行った帰り、私は財布を落としてしまったのです。
そのころの私は百円均一ショップで買った小銭入れを財布として使い、ジーンズの前ポケットにだらしなく突っ込んでいました。
ところが、それがどこを探してもないのです。
もちろん定期はもってないし、その頃はまだパスモのようなものはありません。
家に帰るには、7~8駅分を歩いて行くしかない…。

自分がどうやって実家に連絡を取ったかは覚えていませんが、恐らくテレホンカードを持っていたのだと思います。
電話に出た母に窮状を告げると、代った父が「待ってろ。金を持っていく」と言いました。
実家から明大前駅までは一時間以上掛かります。
改札を下りた父は、現金で7、8千円をくれました。

夕刻の上り方面ホームに立った父が新宿行きの電車に乗り込むのを見たとき、さすがに私は情けなく思いました。
父はそのとき、77歳でした。


その年の12月、私はケアマネジャー試験に合格することが出来ました。
それを両親に報告すると、両親ともとても喜びました。
「合格祝い」と、両親は私の自宅近くのレストランで食事会を開いてくれました。
78歳になっていた父は、私に「合格通知が見たい」と言うと、テーブルに出した通知を立ち上がって何回も写真を撮りました。
とても照れ臭かったけれど、この先の人生ようやく一筋の光を見つけた私も、内心とても嬉しく感じていました。



私は果して何かを返しただろうか…と思います。