小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

毎朝新聞若手記者の会話

2014年05月17日 19時11分07秒 | コント
毎朝新聞若手記者の会話



 ところは東京築地、お昼時のとある喫茶店。五月の爽やかな光がドア越しに差し込んでいます。私はアメリカン・コーヒーを味わいながら、西郷信綱の『古事記の世界』を読んでおりました。
 すると二人の若い男が入ってきて、私の隣のテーブルに腰を下ろし、何やら困惑したような表情で、新聞を見合いながら話し出しました。どうやら二人とも、すぐ近くにある毎朝新聞に同期で入社した記者らしい。キャリア6、7年ほど、というところか。興味を引き付けられたので、彼らの会話の一部始終を聴いてしまいました。
 以下はその忠実な再現です。

A記者:ウチの社説、読んだ?

B記者:いや、今日の午前中まで『美味しんぼ』の追っかけやんなきゃならなくてそれどころじゃなかった。俺はだいたい自社の社説なんてめったに読まないよ。文化部さんは読むのかい。
A:必要がなきゃ読まないけどさ。たまたま読んだら、これはいくらなんでもちょっとひどいんじゃないかと思って持ってきたんだ。

B:昨日の集団的自衛権のやつ?

A:あれはまあ、護憲、安倍政権反対、平和主義がウチの社是だから、型通りの一本調子で仕方がないよ。特定秘密保護法の時も、文化人、芸能人を駆り出す役目振られて苦労したよ。マンネリもいいかげんにしてくれと正直思ったけどな。

B:で、その持ってるのは?

A:15日の「路上の民主主義 自ら考え動き出す人たち」。ちょっと読んでみてくれ。

(B、読み始める)

 私はこれを聴いて、帰宅してからその記事を探し出しました。ここに全文転載します。

 変わらなければ。
 変えなければ。
 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故を経験した2011年。「第二の敗戦」といった言葉も飛び交うなか、日本社会は深い自省と、根源的な変革を求める空気に満ちていた。
 それを目に見える形で示したのが、震災から約半年後に東京で開かれた「さようなら原発」集会だ。主催者発表で6万人が参加。ノーベル賞作家・大江健三郎さんは訴えた。「何ができるか。私らにはこの民主主義の集会、市民のデモしかない」
 あれから3年近くが経った。
 ■首相がまく種
 自民党が政権に戻り、原発再稼働が推進され、大型公共事業が復活する。
 何も変えられなかった。
 冷めた人。折れた人。疲れた人。民主党政権への深い失望と相まって膨らんだ諦念(ていねん)が、安倍政権の政治的原資となってきたことは否めない。
 反対意見に向き合い、議論を深める。民主制の根幹だ。しかし首相はどうやら、選挙で選ばれた、最高責任者の自分がやりたいようにやるのが政治で、反対意見なんか聞くだけ無駄だと考えているようだ。
 憲法の縛りさえ、閣議決定で「ない」ことにしてしまおうという粗雑さ。これに対し、与党が圧倒的議席をもつ国会は、単なる追認機関と化しつつある。
 気づいているだろうか。
 首相の強権的な政治手法とふがいない国会のありようが、自ら思考し、行動する政治的な主体を新たに生み、育てていることに。怠慢なこの国の政治家にとっては、幸か、不幸か。
 ■声を響かせる
 「『Fight the power』、これは権力と闘えって意味で、ちょっと過激なんすけど、まあ英語だから大丈夫かなと」
 憲法記念日に東京・新宿で行われた「特定秘密保護法に反対する学生デモ」。集合場所の公園で約400人が声を合わせ、コールの練習を始めた。都内の大学生らが主催した、党派によらない個人参加のデモ。ネットや友人関係を通じて集まった。
 出発。重低音のリズムを刻むサウンドカーを先頭に、繰り返される「特定秘密保護法反対」「憲法守れ」。堅苦しい言葉がうまくリズムに乗っかって、新宿の街にあふれ出していく。
 大学生たちがマイクを握る。
 「自分らしく、自由に生きられる日本に生まれたことを幸せに思っています。でも、特定秘密保護法が反対を押し切って成立した。このままじゃ大好きな日本が壊れちゃうかもしれないって思ったら、動かずにはいられませんでした」
 「私は、私の自由と権利を守るために意思表示することを恥じません。そしてそのことこそが、私の『不断の努力』であることを信じます」
 私。僕。俺。借り物でない、主語が明確な言葉がつながる。
 社会を変えたい?
 いや、伝わってくるのはむしろ、「守りたい」だ。
 強引な秘密法の採決に際し、胸の内に膨らんだ疑問。
 民主主義ってなんだ?
 手繰り寄せた、当座の答え。
 間違ってもいいから、自分の頭で考え続けること。おかしいと思ったら、声をあげること。
 だから路上に繰り出し、響かせる。自分たちの声を。
 「Tell me what democracy looks like?(民主主義ってどんなの?)」のコール。
 「This is what democracy looks like!(これが民主主義だ!)」のレスポンス。
 ある学者は言う。頭で考えても見通しをもてない動乱期には、人は身体を動かして何かをつかもうとするんです――。
 彼らは極めて自覚的だ。社会はそう簡単には変わらない。でも諦める必要はない。志向するのは「闘い」に「勝つ」ことよりも、闘い「続ける」ことだ。
 ■深く、緩やかに
 5月最初の金曜日に100回目を迎えた、首相官邸前デモ。
 数は減り、熱気は失せ、そのぶんすっかり日常化している。植え込みに座って、おにぎりを食べるカップル。歌をうたうグループ。「開放」された官邸周辺を思い思いに楽しんでいる。
 非暴力。訴えを絞る。個人参加。官邸前で積み上げられた日常と、新しいデモの「知恵」がなければ、昨年12月に秘密法に反対する人々が国会前に押し寄せることも、学生たちのデモも、なかったかもしれない。
 つよいその根は眼にみえぬ。
 見えぬけれどもあるんだよ、
 見えぬものでもあるんだよ。
 (金子みすゞ「星とたんぽぽ」)
 たんぽぽのように、日常に深く根を張り、種をつけた綿毛が風に乗って飛んでいく。それがどこかで、新たに根を張る。
 きょう、集団的自衛権の行使容認に向け、安倍政権が一歩を踏み出す。また多くの綿毛が、空に舞いゆくことだろう。
 社会は変わっている。
 深く、静かに、緩やかに。


(B、読み終わる。しばらく無言)

A:どうだい。

B:これだれが書いたのかな。

A:そりゃ、PさんかQさんか、どっちかだろう。他にいるわけない。

B:あの二人、たしか団塊だったよな。

A:そう、全共闘世代。

B:あの世代の感覚って、こんなもんじゃないの。

A:お前、そんな他人事みたいな言い方で済ませられる問題か。

B:だけど社会部にも、こんなのたくさんいるぞ。

A:でもこれってさ、社会部や生活部発信の記事ならまだわかるよ。社説は社の顔だぜ。社説だよ、社説。これ、全然論説にも何にもなってないじゃん。俺、これ読んだとき同じ社の社員として恥ずかしくて思わず顔が赤くなったよ。

B:まあ、お堅い政治論説ばかり書いてる彼らも時々は情緒に浸りたくなるんじゃないか。それにしても、お前にしては珍しくいきり立つな。失恋でもしたか。

A:冗談はよせ。はばかりながら、これでも文化部記者のはしくれだからな。言語表現にはちょっとばかりうるさいんだ。社説には社説のモードってものがあるだろう。へたくそな詩みたいな文章がこういう場所に許されるのか。

B:でもさ、PさんもQさんもたしか文化部上がりじゃなかったか。それで、論説委員会でたまには「文化の香り」がする文章をって考えたんじゃないの。集団的自衛権の行使容認を前にして、その方が一般読者向けにアピールするんじゃないかって。

A:「文化の香り」が聞いてあきれるぜ。安っぽい文句のオンパレードだ。文化表現が政治言説に利用されてはならないというのは、俺たち表現で飯食ってる者が守るべき鉄則じゃないのか。
 そもそもなんでたかだか400人の学生集会やデモのことを社説に麗々しく載せるんだ。それって、きちんと論理で安倍政権の政策を批判できない無力と敗北を自分から露呈しているようなもんじゃないか。

B:そうかもな。だから初めの部分で「何も変えられなかった」と書いてて、悲壮感さえ漂っているじゃないか。結局、こういう方が効果があるって見方も成り立つ。

A:効果なんてないよ。いや、なまじあるからまずいのかな。
 ともかくこの文章、常識的に見てめちゃくちゃだぜ。たとえば、特定秘密保護法のどこがまずいのか、集団的自衛権容認の何がいけないのか、こういう政策が出てくる背景には、どういう国際環境の変化があるのか、一切書いてない。ただ権力がやることだから全部反対と騒いでいるだけだ。
「首相はどうやら、選挙で選ばれた、最高責任者の自分がやりたいようにやるのが政治で、反対意見なんか聞くだけ無駄だと考えているようだ」と書いてるけど、これも客観的に見て事実に反する。安倍首相は、与党内野党の公明党の了解を何とか取り付けようと石橋を叩いて渡るくらいの時間とエネルギーを注いでいる。
「憲法の縛りさえ、閣議決定で『ない』ことにしてしまおうという粗雑さ」という表現こそ粗雑だ。国会議決が不可欠のプロセスであることは自明で、たとえ形式的とはいえ、自民党はそういう民主主義的な手続きをきちんと踏もうとしている。
「自ら思考し、行動する政治的な主体を新たに生み」なんて書いてるけど、6万人が400人に減っちゃったんだろ。何にも新たに生んでなんかいないじゃないか。
「『Fight the power』、これは権力と闘えって意味で、ちょっと過激なんすけど、まあ英語だから大丈夫かなと」――こいつはとんでもないバカだな。初めから腰が引けてるじゃないか。英語だから大丈夫とは、聴いてるこっちの顔が赤くなる。どうせなら国境を超えて「Fight the power!」と叫べよ。このグローバル時代に応援者がたくさん期待できるかもよ。それよりなにより、こんなバカ学生のその場限りの発言を大真面目に取り上げて、「自ら思考する政治的な主体」とは恐れ入ったな。
「コールの練習」だってさ。練習しなきゃ動き出せない集団がなんで「自ら思考する政治的な主体」なのかね。
 400人で、なんで「新宿の街にあふれ出す」ことができるんだよ。毎日数十万人の人々であふれかえっているのが新宿の街なんだ。
「何も変えられなかった」とか「守りたい」とか言ってながら、「社会は変わっている」だってさ。
「私。僕。俺。借り物でない、主語が明確な言葉がつながる」なんてのも、政治がそんな簡単なものじゃないってことを知らない中学生みたいな幼稚な調子だ。
 一番おかしいのは、「自ら思考し」と書いてながら、「ある学者」を引っ張ってきて「頭で考えても見通しをもてない動乱期には、人は身体を動かして何かをつかもうとするんです――。」などと言わせていることだ。これは語るに落ちていて、集会やデモ参加者が何も「自ら思考し」てなんかいないことを自己暴露しているじゃないか。

B:まあ、まあ、そうカッカするな。言葉尻をとらえれば、たしかにボロはたくさんある。でも、これはわが社の社是に矛盾しているわけじゃない。お前がなんでそんなに熱くなるのか、俺にはそっちのほうが興味があるな。

A:いや、要するに、ただの反権力気分に便乗するんじゃなくて、いまの政治の何がどうおかしいのかをきちんと論理的な言葉で説得するのが論説の使命だろうということだよ。論説はアジテーションじゃないんだから、ちゃんと現実を総合的かつ公正に見るべきだろう。いやしくもわが社は「一流新聞」の看板を掲げているんだぜ。でも俺には最近のわが社の政治記事は三流紙にしか見えない。文化欄だって、社の政治方針に思うざま利用されているんだ。

B:あんまりそんなことを本気になって考えていると、周囲に敵を作るぞ。「自由な」文化部さんといえども、風向き次第でガシャンと封殺されることなんかいくらでもある。

A:そういう処世術はありがたく承っておくよ。でも俺はわが社のために言っているんだ。こういう水準の低い文章を「社説」などと称してのっけていると、そのうち必ずしっぺ返しを食らうよ。「公正な報道を旨とする一流紙」という看板に胡坐をかいている傲慢な社風から一刻も早く抜け出さなくちゃいけない。

B:うーん、正論だ。少し説得された。
 ああ、そうそう。それで思い出したけど、今年の入社試験には、東大生が一人も受けなかったんだってな。他紙で初めて知ったよ。ウチのデスクが嘆いてたっけ。

A:残念ながら、さもありなむと思うよ。こんなことを続けていたら、優秀な若い奴にどんどん見放されるぞ。
まあ、お互い、部局は違うけど、できることをやっていこうぜ。

B:わかったわかった。俺だって金のためだけじゃなくて毎朝に希望を抱いて入ったんだからな。「自ら考え動き出す人たち」にならなくちゃな。

 二人とも、快活なような、沈鬱なような、何とも複雑な表情を浮かべながら、席を立って店を出ていきました。あの毎朝新聞にもこういう若い人がちらほら出てきたのでしょうか。大新聞の下っ端記者も、あれでなかなか大変なんだな、という感想を抱きつつ、私は、再び『古事記の世界』に没頭したのでした。午後の日差しはまだ衰えを見せないようです。


*この文章を書くにあたり、朝日新聞5月15日付の社説をそのまま拝借いたしました。


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2 コメント

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痛烈ですね (ランピアン)
2014-05-23 00:23:07
痛烈ですね。朝日も毎日も、組織内部は実際こういう状況なんでしょう。いくら何でも、あんな浮ついたことを社員皆が信じているということはないでしょうから。

私は生来怠惰で保守的な人間なので、自衛隊と安保があれば九条を変えなくとも、と考えておりましたが、近年の論壇の惨状をみると、そうも言っていられないと思うようになりました。

何より解せないのは、護憲派の間から自衛隊違憲論がまったく聞こえてこなくなったことです。芦部信喜や樋口陽一の手になる憲法概説書によれば、自衛隊は明白に違憲と読めるのですが、左翼諸氏は護憲派の巨頭である芦部や樋口の憲法解釈を否定するに到ったのでしょうか。たとえば、防大生は日本の恥だと述べた大江健三郎は、その後自衛隊容認に転じたのでしょうか。

そんなことはないはずで、彼らの多くは、今も腹の底では自衛隊廃止、非武装中立論を奉じているはずです。しかし、今の状況で自衛隊違憲論を口にすれば、彼らのいうところの護憲が自衛隊の廃止・解体とイコールであることが明らかとなり、改憲派に「自衛隊存置のためには改憲が必要」というもう一つの論拠を与えてしまう、だから彼らは口を噤んでいる。私はそう思っています。

非武装中立論を空想的だと嗤うつもりはありませんが、自らの信条を正面から主張しない、彼らのこうした不誠実かつ卑劣な態度にだけは、どうしても我慢がなりません。

このままだと、彼らは表面上は自衛隊を容認したような顔をしながら、実際にはその行動を陰に陽に妨害しようとするでしょう。これでは自衛隊の存在意義がありません。

先日の朝日新聞に「リベラル保守」を自称する中島岳志という政治史学者が稿を寄せ、保守主義にとって最も重要なものは憲法であり、それを踏みにじる安倍晋三は保守ではない、憲法を護ろうとしている朝日新聞こそ真の保守だという、意味不明なことを述べていました。

私は、保守が最も重んじるのは伝統と習俗だと思っていたのですが、保守の定義がいつの間にか変わっていたようです(笑)。

この人に限らず、最近自民党を「保守ではない」と中傷する左翼が増えてきましたが、これまで散々保守を腐してきたくせに、今度は体を入れ替えて右側から自民党を叩こうというわけです。

中島岳志は西部さんと対談したりして、私も割と好意的に見ていた人でしたが、とんだ眼鏡違いでした。内田樹といい、最近は知識人に裏切られることが多くて寂しい限りです。
ランピアンさんへ (kohamaitsuo)
2014-05-23 16:17:54
力作コメント、ありがとうございます。
こういう方が読者にいるということを再確認し、たいへん心強く感じました。

朝日新聞はじめ、国内の反日メディアは、国際社会の動向をも織り込んだ総合的な視野をまったく持たず、ただ反体制感情に溺れて、自他に対してそれを煽っているだけの無責任で卑劣な連中です。原発、対中韓、安全保障、憲法など、あらゆる政治問題に関してこのことは当てはまります。そのくせ経済問題に関しては、財務省や財界のポチを演じ(消費増税や法人税減税)、アメリカに媚びへつらい(TPP交渉)、日本国民の生活を悪化させるような方向にばかり誘導しています。

なお、経済問題に関しては、安倍政権の主要政策も構造改革派に引きずられて同じ方向を向いています。

大飯原発再稼働中止判決や、厚木基地自衛隊機夜間飛行差し止め判決など、司法もいよいよ「裁害」の様相を色濃くしてきました。

まずいのは、「知識人」なる存在の多くが、これらをきちんと相対化する能力を喪失している点ですね。

憲法と自衛隊の関係に関する貴兄の分析、お見事と感服いたしました。

「自衛隊は違憲」というのは、客観的な事実認識としてだけ見るならその通りなのですが、サヨクは「だから憲法を守れ」と言い、保守派は「だから憲法を現実に合わせよ」と言って、この対立は平行線です。サヨクはこの平行線の間隙を縫って、貴兄の言われるような悪知恵をはたらかせているわけですね。油断大敵。

でもここには、民主党が政権をとっても、党内左派がまさか自衛隊を廃止の対象として違憲だとするわけにはいかなかったので、その遅すぎる認識が、今の彼らをして、うやむや、ごにょごにょの態度を取らせているという面もあるように思います。何しろあの村山元首相でさえ、政権を取ったら自衛隊を認めたのですから。

つまり彼らは、自分たちにとっての「臭いもの」に「蓋」をすることを決め込んでいるので、その欺瞞性につては大いに突く必要があるでしょうね。

しかくさように、日本のサヨクは、体制攻撃だけしていれば自分たちのアイデンティティが当面維持できるので、、あとは知らないという甘えきった集団です。

少しでも多くの若い人たちが、このことに気づけばよいのですが。

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