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シャセリオー展

2017-05-27 13:49:43 | 一期一絵

副題は  ―19世紀フランス・ロマン主義の異才

風薫る5月、優雅なこちらの肖像画に惹かれテオドール・シャセリオー(Théodore Chassériau 1819-1856)の展覧会を鑑賞してきました

5月は就学旅行の季節で上野公園には制服を着て並んで歩く中高生をよく見かけました。
きっと建物が世界遺産となった国立西洋美術館は京都なら金閣寺や清水寺などの名刹と同じくらい重要な訪問場所なのでしょう。いろんな制服の中高生を見かけました。

私がシャセリオー展の会場に入って間もなく、やはりグループで見学する高校生が入ってきました。大概の生徒さんはお友達とさらっと作品を見て回ってましたが、一人男子高校生が足を止めて会場入ってすぐ見られるこの自画像をしばらく見てました。

《自画像》1835年 ルーヴル美術館
シャセリオー16歳の自画像。見つめた高校生とほぼ同い歳。16〜17歳頃の少年のような青年のような年頃はとても瑞々しい爽やかな雰囲気を持ってます。そんな年頃同志の時空を超えた邂逅をさりげなく見ることができて、この展覧会が青春の薫りを感じ印象深いものになりました。

画面の向かって左上にはパレットが描かれ、明暗をくっきり描き分けた顔立ちは形を的確に写し取る技術の高さをうかがわせます。きりっとした表情、胸に左手を当てているポーズに画家としての誇りを感じました。

シャセリオーはカリブの島国、現在のドミニカ共和国で生まれ次の年にはフランスに帰国。父親は外交官の裕福な家庭で生まれ、11歳にはアングルの弟子になったそうです。そして16歳には早くも画壇デビュー。アングルが「「この子はやがて絵画会のナポレオンになる」とまで言わしめてます。


《16世紀スペイン女性の肖像の模写》1834-35年 個人コレクション
なんと15歳で描いてます。アングルも絶賛したのだとか。シャセリオーも会心の出来だったようでこの作品に愛着があったそうです。


《放蕩息子の帰還》1836年 ラ・ロシェル美術館
この作品は17歳の時のもの。「放蕩息子の帰還」といえば2年前に鑑賞した「グエルチーノ展」にもありましたね♪ワンコが放蕩息子の帰還を喜んでましたが、こちらの作品にも懐かしそうに匂いを嗅ごうとしているワンコが描かれています。放蕩息子とワンコはセットで描かれる題材なのかも
シャセリオー展の公式Twitterに最後の日に放蕩息子のお顔のアップが載っていました

息子は涙を流していたのね。そして父親は傷つき落ちぶれた息子を不憫に思い、帰還の喜びを噛みしめ受け入れている・・・
17歳にしてこの深い情感を表現してしまうとは・・・・


《黒人男性の習作》1837-38年
アングルが紙に簡単にデッサンした黒人男性像をもとに油絵に描き上げた作品。かっちりした筋肉質の体つきや顔立ちをとても的確に表現しています。これは18歳の作品。


アングル師匠が重点を置いた厳密なデッサン力を土台として、歴史を再現したような叙事詩的で整然とした新古典主義絵画をシャセリオーは自分の技術にして後、さらにドラクロワが展開していった抒情的なロマン派へと傾倒し、ロマン派とはそりが合わなかったアングル師匠と袂を分けたそうです。


《海からあがるウェヌス》1842年 国立西洋美術館
アングルの整然とした筆致ともドラクロワの情熱的な筆致とも違う、情感を醸し出した美しい作品。


このころ
シャセリオーはオルセー河岸にある会計検査院の内部の壁画を依頼され24~5歳だった1844年からはじめ、1848年まで建物内部の大壁画に取り組みました。
きっとシャセリオーは意識したに違いないと思いました。ルネッサンス時代のラファエロの事を。彼も24歳でヴァティカン教皇庁の署名の間の壁画製作に取り掛かり、その中の「アテネの学堂」はルネッサンスを代表する傑作になっていてラファエロの天才ぶりを後世に残す作品になりました。
シャセリオーも寓意に満ちた素晴らしい作品を作ったそうです。この作品が今も残っていれば美術史において重要な位置にいたでしょう。不運にも彼の死後1871年のパリ・コミューン運動で建物が焼け壁画のほとんどを消失してしまったそうです。
その会計検査院跡はしばらく廃墟のままだったそうですが、鉄道が敷かれオルセー駅が立てられ、今はオルセー美術館になっているそうです。
わずかに焼け残った壁画はオルセー駅を作るため解体する前に救出され今はルーヴル美術館に保管されているそうです。

《会計検査院の建物のためのシャセリオーの装飾壁画の断片―力と秩序》1890年にカーボンに焼き付け 
メッセージ性を持つ力強い絵画。この作品が残っていたらフランス美術を代表する作品になっていたでしょう。すごく残念。


《アポロンとダフネ》1845年 ルーヴル美術館
題材はよりロマンチックになり筆運びは大胆になり流れるようになり動きを感じます。  
ダフネのポーズは先ほどの《海から上げるウェヌス》ともつながりを感じます。そしてアポロンの横顔のほっそりとした端正で優雅な横顔。


《泉のほとりで眠るニンフ》1850年 アヴィニョン、カルヴェ美術館に寄託
この作品のモデルは当時のシャセリオーの恋人で人気ナンバーワンだったクルチザンヌのアリス・オジー。最も完璧なスタイルを持っていると賛美されていたそうです。クルチザンヌはいわゆる高級娼婦ですが、社交界にデビューして上流階級で名士を相手とするので教養も高く物腰もマナーも優雅。そういう女性と付き合うのも男性にとってはステイタスだったとか。
会場にはアリス・オジーがシャセリオーを相手に人前でいちゃついている様子を書き表した書簡(確かフランスの文豪が記したもの)が展示されていました。恋人の顔をけなしたり、胸をはだけて見せて「でもあなたに夢中なの」と言ったり・・。この文章は広まったようです。その傍にアリス・オジー本人の抗議の手紙が展示されていて、先ほどの書き残された行為を強く否定してました。「そんなことをしていたら私は生きていけません。」何となく、アリス・オジーの方が正しいような気がします。文豪は面白おかしく脚色したのじゃないかな。それにはクルチザンヌという職業への男性の目線も感じます。2人の関係は2年で終了したそうです。


《気絶したマゼッパを見つけるコサックの娘》1851年 ルーヴル美術館(ストラスブール美術館に寄託)
ポーランドの英雄マゼッパのエピソードをバイロンが詩にしてそれから着想して描いたそうです。地元の親分の奥さんと関係を持ったマゼッパは馬に括り付けられ疾走したのち馬と共に倒れてしまい、それをコサックの娘が発見し驚いてます。その娘さんの民族服がこの作品を印象的にしています


演劇への関心もあり、シェークスピアの戯曲をもとにした銅板画には舞台美術の影響がうかがわれるそうです。その銅版画は説明によるとおそらく下絵をせずいきなり銅板に刻んだそうで、即興的に描かれている自由さがあると書かれていましたが、それでもかなりきっちりわかりやすくロマンチックな作品になってました。後年のイギリスのラファエル前派の作品を想わせました。もしかしたら影響を与えていたのかも。

連作「オセロ」より《もし私があなたより先に死んだら…》1844年

そして肖像画も。当時のフランスの名士との親交があったようです。展示されたメモ書きに何人かの名前が書かれてましたが、その中にジョルジュ・サンドの名前がありました。・・・ということはシャセリオ―より9歳年上のショパンにも会っていたのだろうか。


《カバリュス嬢の肖像》1848年 カンペール美術館
社交界の花形の女性だそうです。とても美しい。そして衣装と言い花飾りと言いセンスが良くて上品で優雅さを感じます。そしてシャセリオーの絵の特徴として目をくっきり大きく描いてます。
それにしても、半世紀前に世界に先駆けて市民革命が起きて市民の統治する国を目指したのに、相変わらず貴族や上流社会があって一般の市民とは比べ物にならない豪奢な生活をしてるのだよねえ、て何だか絵のきれいさと合わせて思ってしまったのです。今だって貴族が存在するのもフランスって不思議です。


《アレクシ・ド・トクヴィル》1850年 ヴェルサイユ宮美術館
会計検査院の壁画を描く画家にシャセリオーを推薦した人物だそうです。知識人として知られた人物で快活で聡明な人柄が絵に現れてます。ご本人もこの肖像画をとても気に入ったそうで丁重なお礼状が展示されてました。

そして1846年に当時フランス領だったアルジェリアに訪問します。アラブの文化とシャセリオーのエキゾチックな作風がとても相性が良くてのびのびとした筆致で描かれてます。

《コンスタンティーヌのユダヤ人街の情景》1851年 メトロポリタン美術館
揺りかごに赤ちゃんを載せて揺らす母親たち。シャセリオーは意識的に聖母子を思い起こす姿を取り入れて作品を描いているそうです。


《雌馬を見せるアラブの商人》1853年 ルーヴル美術館(リール美術館に寄託)
アラブの馬は競走馬にもなる速くて美しい姿をしていますよね。高値で売れたのかな。そして、そばにやはり母子が睦まじく佇んでいます。


《コンスタンティーヌのユダヤの娘》1846-1856年 エティエンヌ・ブレトン・コレクション
大きな目とくっきりとした眉が印象的で、きゅっと固く結んだ口に意思の強さを感じました。きっとシャセリオー御本人も強く心引かれて夢中になってこの少女をスケッチしたのでしょう。
その目もとが友人と似ていて個人的に嬉しくなりました🎵

シャセリオーは37歳になってほどなく人生を終えたそうです。やはりラファエロを思い起こします。ラファエロも37歳の誕生日に亡くなりました。日本では菱田春草が37歳の5日前に亡くなっています。才能ある画家にとって37歳は厄年なのだろうか。
晩年のシャセリオーを、彼の作品を崇拝していたギュウターブ・モローがデッサンしています。

ギュスターブ・モロー《シャセリオーの肖像》パリ、ギュスターブ・モロー美術館
髪の毛は若い頃とちがうけど、繊細で優雅な雰囲気は同じようです。

こちらは最晩年の作品。当時の恋人をマリアさまのモデルにしたそうです。

《東方三博士の礼拝》1856年 プティ・パレ美術館
マリアさまのモデルさんは美しい女性ですね。シャセリオーはモテたようです。ナイジェリアで開花したアラブの要素もあります。マリアさまと博士達の醸し出す優しい雰囲気に癒される一方
後ろで星を指差す人物が気になります。


その他に教会の壁画を描いてます。その模型が展示されてました。それはルネッサンス初期の趣をもつ美しく厳粛な作品でした。
短い生涯のなか、体も弱い方だったそうですが壁画を始めかなりの作品を残しています。短い生涯を燃焼した人物。
私はこの展覧会で初めて知った画家ですが、ロマン薫る画風にとても惹かれました。フランスでは「シャセリオー友の会」があり、管理研究しているそうです。
日本で初めての展覧会。フランスでもこれだけ揃えた展覧会はないそうで、本当に出会えて良かったと思えた展覧会でした。


シャセリオーから影響を受けた画家の作品も載せます



ギュスターヴ・モロー《アポロンとダフネ》 ギュスターヴ・モロー美術館
シャセリオーの会計検査院の壁画に感激し影響を受けて、シャセリオーの隣にアトリエを置いて交流したそうです。幻想的で優雅な象徴派絵画作品を描き、後の20世紀絵画を推進する画家を育てます。



ピエール・ピュヴィス・ド・シャバンヌ《海辺の娘たち》1879年
こちらは《海から上がるウェヌス》の影響を受けてます。シャバンヌも会計検査院の壁画絵に感激して影響を受けたそうです。そして壁画画家として大成しました。



オディロン・ルドン《・・・日を着たる女ありて(連作「ヨハネ黙示録」より)》
手のポーズはダフネに、そして印象的な横顔のラインはアポロとよく似てます。


2 コメント

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掘り出し物展覧会 (ごみつ)
2017-05-28 01:57:20
こんばんは!

Himariさんもシャセリオー行かれたんですね!
この作家の名前をまったく知らず知人からチケットをいただいたので足を運んだのですが、思いがけず私も大いに堪能させられた展覧会でした。

彼の才能は凄いものがあるけれど、ちょうどムーブメントの端境期にいたことと、若くして亡くなってしまった事が、知名度を下げてしまったのでしょうが、そんな作家の展覧会をこれだけおおがかりに日本で開催してくれるとは嬉しい限りです。

ところで、私、シャバンヌの絵をシャセリオーの絵と勘違いしてブログ記事にしてました。
この絵、気に入ってハガキも購入したんですよね。
後でブログ記事直しておかなくちゃ~。

himariさんの丁寧な記事のおかげで気が付きました。有難うございます。
展覧会みょうり♪ (himari)
2017-05-28 14:57:14
ごみつさん
私もシャセリオーは知らない画家だったのですが、あのカバリュス嬢の肖像看板には惹かれるものがあり鑑賞してみたら、良かったですね。19世紀前半フランスの美術と言えば権威的なアングルやダヴィッド、情熱的なドラクロワの作品が思い浮かびますが、こういうロマン香る瑞々しい感性の画家もいたのを知りとてもいい出会いを感じました。油彩作品もいいですが、銅版画も素晴らしかったです。
こんな風に素敵な作家を知ることができるのも展覧会巡りをする醍醐味ですね☆
会場は、シャセリオーだけでなく関連する画家の作品も同じように展示されていたので、私もアングルやらドラクロワやらルノワールやら間違えそうになってました(汗)描いた絵が似てるとつい混同してしまいますよね
シャセリオーは若くして亡くなったことと、そして代表作となるあの会計検査院の大壁画が残っていたら、今の知名度はもっと高かっただろうなあと思ってしまいました。フランスの19世紀は激動の時代でしたからね。
そして、実は3年ほど前にシャバンヌ展の感想を書いたことがありまして、よろしければと思いリンクしますね
http://blog.goo.ne.jp/kogiku-tamae-tibi/e/a50368e6a4a87a2fe8854c5db4e34676?utm_source=admin_page&utm_medium=realtime&utm_campaign=realtime

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