山 鳩 通 信

日常の発見をめざして

志賀直哉の雪

2017-06-18 18:56:22 | 随想

   この有名な作家を、私ごときが呼びつけでお呼びするのは本当に畏れ多いのだが、では 「志賀先生」 としても 「志賀さん」 としても失礼に思われるし、むしろ 「志賀直哉」 と呼んだ方が、かえって自然であり、尊敬の気持ちも表せるのではないかと思うので、そう呼ぶことを許されたい。
   私は前掲の 『雪の想い出』 を書き印字した時、文人の書いた 《雪》 を読みたくなり漁っていて、志賀直哉の 『雪の日―我孫子日誌―』 に行き着いた。
   

  二月八日
   昼頃からサラサラと粉雪が降って来た。
   前から我孫子の雪が見たいと云っていた K 君が泊まりに来ている時で丁度よかった。
   自分は雪だと妙に家にじっとしていられない癖があった。それで女中の行く筈だった町の使いを引きうけて K 君と一緒に家を出る。K 君は妻の出して来た、赤城出来の 「背負ご (しょいご) 」 を持って行ってくれた。

   (中略)

   わざと廻り路をして鉄道線路の方へ出た。乾いた所に降り出したので、雪は片っ端から積もる。屋根も、道も、木も、藪も、畑も、鉄道線路も、枕木の柵も、見る見る白くなった。
   自分達の胸には何となく快活な気分が往来している。その辺のどんな一隅でも、そのままで妙に面白く見える。雪には情緒がある。その平常 (ふだん) 忘れられている情緒が湧いて来る。これが自分を楽しませる。

 

   この作者独特の歯切れのいい言葉につりこまれながら、私は詩情が少しずつ募って行くのを意識しつつ、次の文章を見出した時、なんとも言えない歓びを味わった。

 

雪は降って降っている。書斎から細い急な坂をおりて、田圃路に出る。沼の方は一帯に薄墨ではいたようになって、いつも見えている対岸が全く見えない。沼べりの枯葭 (かれよし) が穂に雪を頂いて、その薄墨の背景からクッキリと浮き出している。その葭の間に、雪の積った細長い沼船が乗捨ててある。本統に絵のようだ。東洋の勝れた墨絵が実にこの印象を確かに掴み、それを強い効果で現している事を今更に感嘆した。所謂 (いわゆる) 印象だけではなく、それから起って来る吾々の精神の勇躍をまで掴んでいる点に驚く。そして自分は目前のこの景色に対し、彼等の表現外に出て見る事はどうしても出来ない気がした。

 

   このあと長い叙述が続き、最後に作者は次のように締めくくっている。

 

《  K君が寝床へいってから、自分は毎日決めている仕事に掛った。
   時々窓をあけて見る。雪は止んだ。星が出ている。ランプの光で見ると、前の梅の枝に積った雪が非常に美しかった。

 

   私はこの文章を読んで、この作者の詩人としての一面を理解し、そのお蔭で 《雪》 という存在に目の覚めるような思いをしたことも記したかった。

  

 

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2 コメント

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我孫子 (手賀沼日記)
2017-06-19 09:39:43
毎日興味深く読ませていただいています。今日は私が住む我孫子の話。
市内に志賀直哉旧居が残っています。時々公開されています。白樺文学館の筋向いです。
景色はすっかり変わり、そこから手賀沼は見えません。
手賀沼日記様 (こがら)
2017-06-19 12:17:14
こんにちは。コメントうれしく拝見しました。
我孫子市は志賀直哉にゆかりの深い地として、一度は訪れたいと思いつつ、年取ってしまいました。手賀沼も大きい沼ですね。まだ葭の見られる場所はありませんか。
「白樺文学館」 発のブログにも注意しています。

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