山 鳩 通 信

日常の発見をめざして

雪の想い出

2017-06-16 04:15:52 | 想い出

   この団地に住むようになって七年たった。環境にもようやくなじんで来た。ここは山間部なので、冬の冷気は厳しく、雪も多いところである。朝起きて窓から外を見ると、一面の白い世界になっていて、街の中とは違う独特の美しさを感ずる。
  印刷業をやめてここに来たばかりの頃、この団地をひと回りしてみたことがある。そのときも雪が降っていた。南の方に大きな公園があったので入って行き、そこの見晴らしの良いところに立って、何かを思い出そうとしていた。それまで何年も忙しく過ごして来たので、忘れていたものも多いような気がしていたのである。
  私は美しいものに飢えていた。過ぎ去った日々のなかにあったかも知れない大事なものを探らなくてはならない、という焦燥感を抱きつつ、それが見つからなかった。
  公園には人影がなく、所々に立っている木々の枝が雪の重みでしなっていた。その向こうは薄くけぶって、白と灰色の、墨絵のような世界を見せていた。目の覚めるような感動を覚えた。私はいつまでもそこに佇んでいた。 

     
  私は、なぜ雪に惹かれるのだろう。周りの何もかもが変わってしまった内で、雪だけは昔のままの姿を保っていると思われるからである。あの時見た故郷の雪を追想することで、あの頃の情趣を取り戻すことができそうである。
  五十年前の冬の夕方、中学三年の私は、中学校と併設していた小学校の教師をしている姉といっしょに家路についたことがある。人も通らなかった田舎道は、いつになく透明で静かだった。朝のうちに積もった雪が溶けて、舗装されていない道の黒い土をのぞかせ、斑 (まだら) 模様を作っていた。残った雪は、忍び寄る寒気でまた凍みはじめていて、それを踏んで歩くと、カサコソという音がしていた。
  後谷地 (うしろやち) を通ると、奥羽山脈の山々が最も美しく望まれる。秀麗の船形山が雪を頂いていたし、その手前に七ツ森がくっきりと並んでいた。この時私は詩を見つけたのだと思う。下校時姉といっしょになるのも珍しく、なにか特別気持ちが満たされたような思いで家に帰りついた、あの情緒的な 〈たそがれ〉 がよみがえる。

      

  幼い時の冬は、雪が降ることを待ち望んでいた。雪は時が来ればいつもしめやかに天から降って来ていた (降れば地にほどよく積もるような土地柄でもあった)。そして真っ白な世界を作り出していた。それが冬の陽射しを受けきらきらとしていたのが美しかった。寒いからと家の中に閉じこもっていることができない私は、ゴム長靴をはいて飛び出して行っては、その上をふみしめつつ走ったり、素手で雪ダルマを作ったり、父が桜の丸太を削って作ってくれた橇で坂道を滑ったりして (自動車などめったに通らなかった)、身も心も歓びにふるえていたのである。
  すぐそばに雪の積もる庭や畑のあるわが家では、正月を楽しくさせる演出のうまかった父母 (ちちはは) がいて、私と弟が雪ダルマを作れば、それに木炭で眉や目鼻をつけてくれる姉がいた。
  父丹精の形もよく剪定された庭の木が雪をかぶっているのを、吹きさらしの縁側からよく眺めていた。                                       

  (1997・12


 

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