時々囲碁日誌+

プロ棋士藤澤八段ブログ。教室、道場の話中心ですが、ガンダムやニコ動他そういう話題も・・・

本因坊家と幻庵因碩3

2012年07月31日 | Weblog
本因坊丈和の妙手で先手をとられ、左下に白に打ちこまれてからの戦いで、白が自分から二目のアタマに突き当り、黒ノビの時に白のアキ三角が強手(妙手の三)。敗れた因徹は、対局後吐血し、回復する事なく数日後(一説に二か月後)に息を引き取ります。享年二十五歳。結核を患っていたと言われていますが、この一局、一敗が、命を縮めたのは間違いありません。まさに命懸けですね。時が流れ、丈和が引退(名人碁所就任時の強引な政治的運動が問題になったとの説)した後、幻庵因碩が、自身の名人への昇格への意思を表明、丈和の後を継いだ本因坊丈策が異議を唱え、争碁に。この時因碩の前に立ちはだかったのが本因坊跡目秀和(秀策の師匠)。一局目に敗れた因碩は体調を崩し、争碁は中止、名人への望みは断たれます。しかし、巡る因果はなんとやらで、物語はこれで終わりではありませんでした。

本因坊家と幻庵因碩2

2012年07月29日 | Weblog
師匠の打倒本因坊丈和の期待を一身に背負った赤星因徹、実は病身をおしての対局(因徹吐血の局、丈和の三妙手で歴史に残る一局)。名人碁所の名誉を賭けた丈和にとっても絶対負けられない一局で、打継ぎ、打継ぎ、で四日掛かりの対局となりました。序盤、井上家の秘手で、優勢に打ちすすめますが、右辺、とられている白二子からケイマにスベリ(妙手の一)、黒の突き当りにカドに打ち(妙手の二、この後黒カケツギ)、右下の白を先手で補強して最後の大所、左下の黒に打ち込みます。

本因坊家と幻庵因碩

2012年07月29日 | Weblog
大阪で本因坊秀策と対局、研究済みと思われる大斜定石の新手を繰り出し優勢を築くも「耳赤の一手」から敗れた幻庵因碩。本因坊家との因縁は丈和の名人碁所就位。異議を唱えるも認められなかった幻庵因碩に好機が訪れます。後援者の大名家の碁会で対局の機会(名人は御城碁を打たなくていい)を得、成長著しい、弟子の赤星因徹を自身の替わりにあてます。ここで因徹が勝てば再び「名人の技量にあらず」と異議申し立てる腹積もり。この碁も大斜定石、一門研究の新手から(大斜にかけたのは白の丈和)優勢に打ち進めます。つづく

こども逹の成長2

2012年07月28日 | Weblog
明日から文部科学大臣杯少年少女囲碁大会が始まります。今から3、4年前、伸び悩んでいた小学生に「中学入ったら囲碁部引っ張るつもりで頑張ろうよ」と声を掛け続けているうちに、本人もその気で頑張り、昨年は個人戦、今年は団体戦主将として、個人戦と両方で全国大会に出場となりました。主将としての自覚を持ち、中学生ながらしっかりしています。小、中、と何校か教室から大会に出場するこどもがいますが、皆、後悔無い様力を出し切って戦って欲しいですね。

こども逹の成長

2012年07月27日 | Weblog
教室を始めた頃のこども逹も、もう大学生。棋力にかかわらず囲碁を楽しんで続けてくれるだけで嬉しいですが、アシスタントとして教室に戻って来てくれるのも。今日金曜日は有段者特訓。こども同士の対局に加え、詰碁や指導碁、布石の練習対局等、いつもと少し違う雰囲気の中で、能力を伸ばします。

天豊道場リーグ戦

2012年07月26日 | Weblog
今年度第28回リーグ戦。今回、内田七段が初参加してくれました。弟子逹に良い刺激になります。

夏休み特訓コース開始

2012年07月25日 | Weblog
今日から夏休み特訓コース開始です。院生含めて35名程。朝10時~で、一部院生は18時まで。学校が休みの間に、集中して頑張りましょう。多くの日程に申し込んでいる子もいて、どのくらい強くなるか楽しみです。

本因坊秀策「耳赤の一手」2

2012年07月20日 | Weblog
秀策、四段になり、帰郷後、江戸へ戻る途中、幻庵因碩(十一世井上因碩(井上家の祖中村道碩を数えるか否かにより異なります)、本因坊丈和の名人碁所就位をめぐり争う。丈和引退後、名人碁所を望むも秀策の師匠秀和に敗れ断念)と大阪で対局。大斜定石の新手で白の因碩有利に打ち進めるも、中盤の終わり、下辺からの白の様子見に対し中央天元の一路上に打った手が、全局のバランスをとった好手で黒秀策の勝利に終わります。観戦していた一人が、途中退出後、因碩の門人に黒勝ちを予想し、門人に理由を問われ、「自分は碁は分らぬが、黒が中央の辺りに打った手を見て因碩殿の耳が赤くなった(127手目、耳赤の一手)医師である自分から見ると、耳が赤くなったのは、優勢と思っていた因碩殿がその一手を見て動揺し、自信を失ったのでは。」と語ったと伝えられています。その後、秀策先(当時はコミ無し)で3局打ち、秀策二勝、一打ち掛け。この二年後、跡目となりますが、本因坊家を継ぐ事無く、御城碁19勝、無敗の成績を残し、コレラにより夭折。秀和の長男、秀悦が本因坊家を継ぎますが、幕末、維新の混乱の中、囲碁界も大変な時代に。

本因坊秀策「耳赤の一手」

2012年07月19日 | Weblog
今期の本因坊戦も今日で最終日です。ヒカルの碁で、囲碁を知らない人達に名を知られるほど有名になった本因坊秀策ですが、今週の週刊碁の「棋士130人が選んだ尊敬する棋士好きな棋士」に載っています。今回も取り上げられている「耳赤の一手」ですが、古碁をあまり並べなくなった昨今、知らない方も多いのではないかと思い書いてみました。秀策17歳、四段になり、帰郷を許された翌年、江戸に戻る途中、在阪していた幻庵因碩(本因坊丈和の名人碁所就位をめぐり争った。丈和引退した後、名人碁所を望むが、秀策の師匠、秀和に敗れ断念)と対局、まず二子で対局するも、因碩、打ち掛けとし(昔は白番の者が打ち掛けに出来た)、翌日打ち継がず、新たに先で対局。既に二子のレベルではないと因碩が判断したのでしょう。この時、因碩、大斜の新手を(一枚目の画像、当然研究済みと思われます)打ち、優勢に局面を進めます(画像2)。中盤の終わり頃、白が下辺からの様子見に対し、中央、天元の一路上に打った手が、後世「耳赤の一手」と呼ばれる好手(画像3)。呼び名の由来を次回に(つづく)

本因坊戦最終局

2012年07月18日 | Weblog
いよいよ今日明日で終わりですね。ニコ生午後からですが、お時間ある方ご覧頂ければと思います。