產田ノ眞名井戶ノ神ノ末裔ヨリ

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2017年7月6日 富士山 6 八合五勺からラストスパート

2017-07-13 02:46:41 | 中部
 肺が悪いとはいえ、多分、七、八年前ならばここまでの疲労はなく来れていたであろうから、違った感覚で上を見て歩けたんだろうけれど、ちょっとそこにある九合目に行くのが地獄だった。見ているのだが、肺が言うことを聞かぬので、血中の酸素が足りないのだろうね。筋が動かない。正直、SpO2をはかったらおもしろかっただろうね。ま、普段から、健常な若者より3-5低いんだけれども、多分、そこそこの呼吸困難くらいになっていたように思う。でも、まあ、自分のことながら意地っ張りで強情なんだねえ。這ってでも上に上がるという気持ちなわけだ。

 しかし、本当にお迎えが来るのではないだろうか、という状態だった。登る前に下山無理じゃねえか?という感じだが、いや、自力で下りる、と。まあ、そう思いながら登り続けた。九合目の鳥居の付近でぐったりしていた時に、登るり始めに一緒だった自衛隊の人たちが下っていくの会い、少し話してお別れをした。あの方々はあの方々で隊列を崩せないので全員大変なんだろうねえ。

 さて、九合目は館などなく、今は閉ざされている迎久須志之神社と廃屋があるだけ。その廃屋のわずかな部分に外人たちが休んでいるので座ることもできず、それがしは少し先に進み、岩を探しての休憩。そして、その後も命を削りながら、ラストスパートだった。

1.赤いのが目立ってきた

 

2.上を見るとあとわずか何だが…



3.休憩中に見たかなり高い位置(八合五勺と九合目の間)にいたカメムシ

 

4.見えてきた九合目の鳥居

 
  

5.鳥居近くでなかなか登れないので雲を激写



6.ようやく九合目

 

7.迎久須志神社

 

★迎久須志之神社★ 静岡県駿東郡小山町須走地先富士山胸無番地  

・祭神は大己貴命、少彥名命。
・須走口九合目(標髙三六〇〇米)に鎮座。頂上を目前にした胸突と呼ばれる急峻な場所に位置する。
・創建年代等不詳。
・元祿三年(1690)には、その存在が文献にて触れられており、存在したことがわかる。
・神佛習合の江戸時代、須走口頂上には藥師堂(現在の富士山本宮淺閒大社奧宮久須志神社)が存在し、藥師如來が安置されていた。これと同樣に、九合目には迎藥師如來が安置され、薬師堂という佛寺であったが、冨士淺閒神社(東口本宮)の神主が代代、管理を務めていた。
・明治時代の神佛判然令の際に迎久須志之神社となり、迎藥師如來に替わり、同樣に藥の神である大己貴命と少彥名命の二柱が祀られた。

8.九合目からさらに上へ

 
  
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