產田ノ眞名井戶ノ神ノ末裔ヨリ

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2017年7月6日 富士山 9 富士山本宮淺閒大社奧宮、そして、下山へ・・・

2017-07-14 01:23:48 | 中部
 微妙に上り下りしているうちに鳥居が見えてきた。御殿場や富士宮方面の登山道。その近くにいろいろなものが目に入ってきた。社殿もしかり、銀明水。一番気になったのが駒ヶ岳の裏の立ち入り禁止になっている潰れかけの小祠。銅馬舍というらしい。聖德太子が馬に乗って飛んできたなんて… ま、あくまで伝承なので好きにすればいい。

 で、ついに奧宮。流石に久須志神社よりはしっかりしている。背後の浅間ヶ岳の頂上に鳥居があるのが淺閒大神、本来の祭神なんだろうか。そうなのだろうね。なんかすごく寒くて、感動よりも、健康の心配のほうが強かったけど、これで無事富士登山の目的を達成した。歯を食いしばってよく頑張った。

 そして、少し、奧宮の前で休憩するも、寒さで体が冷えていく一方で疲労は回復しないので、剣ヶ峰はあきらめて、下山に向けて須走側に戻ることに。

 途中で、いろいろな人、外人さんも含めて話しながら戻り、それなりに楽しかった。

 せっかくなので、最後に自分の写真もほしいなと思ったので、久須志神社の前で休んでおられた60歳くらいの夫婦にお願いして一枚撮影していただいた。感謝ですね。

 そして、下山となります・・・

1.成就ヶ岳方面東安の河原から見る奧宮周邊

 
 

2.富士山頂淺閒大社銀明水


 

3.駒ヶ岳と銅馬舍

 


・聖德太子が馬に乘って富士山に飛來したことに由來する銅製の馬が納められている。

4.富士山本宮淺閒大社奧宮(静岡県富士宮市富士山頂上官有無番地)および淺閒ヶ岳



 
 

・延喜式内社、駿河國富士郡、淺閒神社、名神大。
・舊社格は官幣大社。
・祭神は木花之佐久夜毘賣命。天津日髙日子番能邇邇藝命と大山津見命を配祀。本來の祭神は富士山の神靈「淺間大神」で、いつごろからか木花之佐久夜毘賣命と同一視され、定著したという。
・日本國内に千三百餘にのぼる淺閒神社の總本宮で、大宮淺閒とも言われる。
・本宮の名稱は、靜岡淺閒神社の舊通稱淺閒新宮を踏まえたものであるという。
・富士山の八合目より上の部分は、登山道、富士山測候所を除き、淺閒大社の境内とされ、國との裁判の末、最髙裁判所が認めた。
・現社地は、式内富知神社舊社地と傳えられる。
・第七代孝靈天皇の時に富士山が噴火し國中が荒れ果て、その後、十一代垂仁天皇が富士山の神靈「淺閒大神」を鎭めるために、山宮の地に祀ったのが當社の始まりと傳わり、大同元年(806)、征夷大將軍坂上田村麻呂が敕を奉じ、山宮より、現社地である富知神社舊社地へと遷したという。山宮の位置は、富士山表參道を現社地より、五キロメートルほど登った位置にあり、社殿のない磐境であったという。
・中世以降、武家の尊崇篤く、源賴朝をはじめとして源實朝、北條義時、足利尊氏、武田勝賴、中村一氏、豐臣秀吉らによる社領寄進、社殿造營と修復などが相次ぎ、德川家康も朱印地を安堵、關が原の勝利を謝して慶長四年(1604)に社殿を再建した。

5.三島岳

 


6.霧で見えない剣ヶ峰


  

7.戻り道・・・岩



8.銀明水のわきから見る火口

 

9.東安の河原からもう一度振り返る

 

10.雲

 

11.恐ろしき歸り道

 

12.虎岩

 

13.歸り道 ここだけなぜかのどか



14.大日岳頂上付近に屯する外人集団

 

15.久須志神社周辺と久須志岳を見下ろして



16.久須志神社の前でそれがし

  
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