((足跡))
1.薩摩國一之宮新田神社 → 2.薩摩國二之宮加紫久利神社 → 3.忠元神社 → 4.諏訪神社 → 5.新納忠元墓
→ 6.人吉城跡 → 7.青井阿蘇神社 → 8.肥後國一之宮阿蘇神社 → 9.國造神社 → 10.阿蘇山 → 11.熊本城跡
→ 12.長崎ちゃんぽん リンガーハット
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大口から山の中を車で走り、人吉のインターに向かっていたら、同じ方向に人吉城跡の看板が見え、通り道なので、よることにした。
相良氏自体そんなに大きな大名ではなかったので、そんなに大きな城とは思っていなかったが、意外と、大きな城郭であり、感激した。
個人的には、熊本城よりも感触がよかった。まあ、個人的に、加藤清正が死ぬほど嫌いなこともあるのだけれど。
素晴らしい城だったと思う。
1.三の丸石垣

2.清兵衛門跡

3.相良護国神社


人吉城跡(三の丸跡と思われる)に鎮座。人吉および球磨地域の国事殉難の英霊を祀る。
4.大村米御蔵跡、欠米蔵跡

5.御下門跡


6.中の御門跡

7.二の丸跡と御殿跡


8.本丸跡

9.水ノ手門跡

10.武者返し

ヨーロッパの築城技術である槹出工法を応用した「武者返し」と呼ばれる独特の石垣。武者返しは城壁最上部に平らな石がやや突き出して
積んであり、ねずみ返しのように城壁越えを阻止すると共に、割合簡単に落下させられるようになっており、城壁に張り付いた敵への
攻撃にもなるような構造になっている。日本では、他に函館の五稜郭のみである。
★人吉城跡★ 熊本県人吉市麓町
国史跡
・梯郭式平山城。
・相良長頼が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたって居城であった。
・江戸時代には人吉藩の藩庁があった。
・本丸には天守は築かれず護摩堂があったらしい。
・享和二年(1802)には城内から出火、文久二年(1862)二月には城下町の鍛冶屋から出火があり「寅助火事」と呼ばれる大火になり、
この二度の大火で城は全焼している。
・明治十年(1877)に起こった西南戦争で、西郷隆盛軍の拠点となり戦闘が行われ、この時に幕末に再建された建造物も全焼した。
1.薩摩國一之宮新田神社 → 2.薩摩國二之宮加紫久利神社 → 3.忠元神社 → 4.諏訪神社 → 5.新納忠元墓
→ 6.人吉城跡 → 7.青井阿蘇神社 → 8.肥後國一之宮阿蘇神社 → 9.國造神社 → 10.阿蘇山 → 11.熊本城跡
→ 12.長崎ちゃんぽん リンガーハット
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大口から山の中を車で走り、人吉のインターに向かっていたら、同じ方向に人吉城跡の看板が見え、通り道なので、よることにした。
相良氏自体そんなに大きな大名ではなかったので、そんなに大きな城とは思っていなかったが、意外と、大きな城郭であり、感激した。
個人的には、熊本城よりも感触がよかった。まあ、個人的に、加藤清正が死ぬほど嫌いなこともあるのだけれど。
素晴らしい城だったと思う。
1.三の丸石垣

2.清兵衛門跡

3.相良護国神社


人吉城跡(三の丸跡と思われる)に鎮座。人吉および球磨地域の国事殉難の英霊を祀る。
4.大村米御蔵跡、欠米蔵跡

5.御下門跡


6.中の御門跡

7.二の丸跡と御殿跡


8.本丸跡

9.水ノ手門跡

10.武者返し

ヨーロッパの築城技術である槹出工法を応用した「武者返し」と呼ばれる独特の石垣。武者返しは城壁最上部に平らな石がやや突き出して
積んであり、ねずみ返しのように城壁越えを阻止すると共に、割合簡単に落下させられるようになっており、城壁に張り付いた敵への
攻撃にもなるような構造になっている。日本では、他に函館の五稜郭のみである。
★人吉城跡★ 熊本県人吉市麓町
国史跡
・梯郭式平山城。
・相良長頼が鎌倉時代に地頭として人吉荘に赴任して以来35代670年の長きにわたって居城であった。
・江戸時代には人吉藩の藩庁があった。
・本丸には天守は築かれず護摩堂があったらしい。
・享和二年(1802)には城内から出火、文久二年(1862)二月には城下町の鍛冶屋から出火があり「寅助火事」と呼ばれる大火になり、
この二度の大火で城は全焼している。
・明治十年(1877)に起こった西南戦争で、西郷隆盛軍の拠点となり戦闘が行われ、この時に幕末に再建された建造物も全焼した。








