產田ノ眞名井戶ノ神ノ末裔ヨリ

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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2017年7月2日 吉野 2 熊野神社

2017-07-28 23:14:23 | 近畿(奈良)
 波比賣神社の近くにあったので訪問。熊野という名稱が氣になったのも事實である。因みに、當社は波比賣神社にいたおばさんにいただいたピザのお店の近くであったようである。

 この神社の前の道は、西吉野の銀峯山頂鎭座の式内社波寶神社の參道ともいわれているらしい。知らなかったので行かなかったのであるが、ぜひ、次の歸國時に入ってみたいと思う。

 當社に關しては、由緖に若干の疑いもないとも言えない。紀伊國牟婁羣有馬村というのは、今の三重縣熊野市有馬町に當たる。すなわち、產田神社と花乃窟のある地であり、熊野三所權現というよりは、伊弉册、軻遇突智の二柱と考えるのが普通であり、速玉神社は存在しない。特に、平安時代のことでりこの地域が完全に大和朝廷の支配下であったかというと樣樣な狀況から考えても微妙であり、資料のような分祀があったとは思われにくい。速玉神社はおそらく、新宮の熊野早玉神社のことであると思われ、熊野の元の神を有馬村としたうえでの誤記、もしくは誤解であったのではなかろうかと推測する。

 ちなみに、石段が百六十段もあり、疲れた。神社は好きな感じで、惡くなかったね。また行くことがあるかもしれない。

1.鳥居と杜

 
 

2.參道石段


 

3.拜殿



4.本殿

 
 
 

5.社殿側から見る參道

 

★熊野神社★ 奈良県吉野郡下市町平原字宮阪

・祭神は事解男命。
・往古紀伊國牟婁郡有馬村に鎭座の速玉神社祭神である速玉男命、事解男命、伊弉册尊の三柱を以て、熊野三所權現と稱していたものを、故あって僧の西了という者が、天長三丙午年(826)二月下旬に三柱の中、事解男命の一柱を分祀し本村へ遷座、字宮阪の地を卜し祠を建て熊野神社と稱された。
・明治三年(1870)、正式に熊野神社と改稱。
・もとは平原、唐戶の二村の氏神として奉祀されていたが現在は平原のみの氏神である。

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(足跡)
波比賣神社 → 熊野神社 → 金峯神社 → 奧千本・西行庵 → 村上義隆墓所 → 勝手神社 → 村上義光墓所 → 蜻蛉瀧
ジャンル:
びっくり
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