kochikika ノート

旧「こちら某中堅企業企画室」。リーマン話、時事の話、パリーグ話など。ぼちぼちやってます。

「バブルへGO!!」に出てこなかった話

2007-02-25 23:33:44 | 読・観・聴



映画は前評判にたがわず、楽しめました。
本日夕方観にいきましたが、満員でしたしね(新宿)。口コミで評判が広がってるのでしょうかね。

しかし当方、いわゆるバブル入社組で、かつ軟派な私立大出ですけど、あのバブル的な軽佻浮薄な雰囲気が当時から大嫌いで、テニスサークルのスタジャンとか、フジテレビの作る番組とか、ディスコの入り口のドレスコードとか、ホイチョイなどというふざけた制作集団などは、浜省じゃないけど、♪何もかもみんな~ 爆破したい~ Oh~!! ってな感じだったのですよ。

そんな当方であっても、純粋に前評判が高いということだけで観にいけるようになったのは、これが年輪というものなんでしょうかねということで、本作のレビューは既にいたるところでなされてるでしょうから、話題を絞って、「映画の中で使われなかったアイテム」についてだらだらと行きたいと思います。

それは車ですね。
バブルに白い車は欠かせないアイテムだと思うのですよね。
何せ「ハイソカー」ですから。笑わせますが。

この映画を作った人たちがバブル期に作ったスキーとユーミンの映画(観ていない。半分意地で・笑)では、カローラⅡとかセリカの4駆が出てきたと聞いていますから、本作にも白のマークⅡ、白とパールのツートンのソアラ、あるいは赤か白のプレリュードが出てくるものと。まあ見落としたかもしれませんが。

ちなみに、
マークⅡは、↓ この形。グレードはgrande以上。



ソアラは、↓ この形。グレードは2000GT以上。できればツインターボ以上。



 プレリュードは、↓ この形。グレードはXX以上。Siならなお可。




記憶するところでは、プレリュードで200~250万、マークⅡで250~300万、ソアラで350~450万くらいだったかな?これらが若者向け雑誌に載っていたのですから、凄い時代でした。
グレードまで書きましたが、この点は実に厳密でした。これ以外のグレードはマークⅡであってマークⅡでないという。このグレードにこだわるところが今にして思えばいかにもバブルっぽい点でしたね。

ところで、この時代のモテ車というのは、大衆車クラスの場合でもシビック、カローラⅡ、ちょっと頑張ってレビン、トレノ、インテグラといったあたりで、国産であればトヨタ、ホンダ車がメインであったのですね。

それから覚えてる人はピンと来ると思いますが、トヨタ、ホンダの両者と、ニッサン、マツダの両者(ミツビシは記憶にない。申し訳ない)では、微妙なところで違いがあったのですよね。以下、細かい話になりますが、列挙します。

まずバブルのときの生命線であった、車体の白の色が違ってました。バブル期の白い車といえば、トヨタ、ホンダ車の色を指します。ニッサン・マツダ組はくすんでました。

バブル期の頃にほぼ行き渡ったドアミラー、畳んだときにトヨタ、ホンダ車はネジやバネなどを見せることなくたためてましたが、一部のニッサン、ホンダ車ではそうでなかった。

バブル期から市民権を得てきたといえるAT車、トヨタ、ホンダ車はカローラ、シビッククラスでも4速ATを用意していましたが、ニッサン、マツダ組では導入が遅れました。

そんなこんなで、実はこの頃からその後の自動車各社の行く末について、おぼろげに傾向は見えていたのですけど、シーマだとかシルビアだとかがバブルで売れちゃったから、「まあええじゃないか」みたいな感じになっちゃったのが後の大きなアレになっちゃったのかなと、傍から見てて思ったりしてました。

経営の善し悪しってのもありますが、基本的には一般消費者向けメーカーの場合は、経営の具合ってのは商品に出ますよね。
そんな目で見て、ゴーンさん以降のニッサン、どう思います・・・って話になるとまた長くなりますので、話あの頃に戻ります。

当方はこんな車乗れるはずもなく、中古のファミリアを家族共用で(親が免許持っていなかった)乗ってました。L・アームストロングの歌が印象的だったシビックに乗りたかったですけどね。





ちなみに映画の主演、阿部寛デビューのきっかけとなった「ノンノボーイフレンド大賞」の副賞である車がファミリアだったと記憶してます。これは都市伝説でしょうが、でか過ぎてサンルーフから頭が出たという話を聞いたことがあります。そのファミリアを宣伝してたのは中井貴一でした。

バブルと車に絡んでもひとつ。
上記画像つきの3車種(シビック除く)は、地方に行くと、砂利道走れないようなスポイラーくっつけて走ってたわけですが、それが新車かどうかは別にして、カネがかかってるという意味では、都会の軟派青年を超えた投資額になっていたかもしれません。

何をいいたいかと言うと、あの頃のバブルが奥深い(笑)のは、地方にもちゃんと波及してたよということ。本日現在どうかというと、改造車市場の現況を知る立場にはありませんけど、たまに見る限りでは、bBとかエスティマとかが多いような感。
これがアルファードとかエルグランドとかになれば、今回の景気回復も多少は信じて良いのかもしれません。

しかし、映画の中では銀行が消えた話が出てましたが、ファミリアも、マークⅡも、プレリュードも、ソアラも消えてしまったわけです。ただ違うのは片ややむなく消えて、片や一抹の寂しさはあるものの発展的解消ということ。
消される前に消えると書くと後向きな感じがありますが、求められるのは、消される前に変わるということなんでしょうかね。

締めはこの映画のラストのような、模範的回答にて。

※ついでに。
観にいったのが出来たばっかりの新宿初のシネコン、「バルト9」だったのですが、新しいだけあって、見易さはOK。ポップコーンは六本木の方が美味かったが。



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4 コメント

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もう20年も前かよ (もりしゅん)
2007-02-26 14:45:01
 我が家の様な田舎のサラリーマン家庭でさえ『1人1台』状態で、狭い庭に3台捩じ込んでおりました(4人家族だったが1名ペーパーだった)。

 自分(当時大学生)の車も一応白でしたが、日産ブルーバードを新古車でしかもマニュアルという、この記事からするとバブル裏街道(?)をコソコソ歩いていたわけですから、現在惜し気も無く発しているアングラ臭はこの時点で既に仄かに漂っていたのかも知れません。
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Unknown (kochikika)
2007-02-26 21:53:50
毎度どうもです。

そうなんですよねえ、20年ですよ。
こんな中でポリスとか再結成されてしまったら、また時代感覚が麻痺してしまうという。

もりしゅんさんは“ブル”でしたか。グレードはSSSってやつでしたかね。
当方、マニュアル車は、免許取得翌日に乗ったレンタカーをぶつけて以来、一般道では乗っておりません。
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うちの実家は (音次郎)
2007-03-04 12:00:14
なぜか日産レパード(ソアラに対抗しようとして大コケした)でした。母親がアクセルが重いと嘆いてましたが・・・。
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Unknown (kochikika)
2007-03-05 22:13:23
やや、レパードとはハイソではないですか。

徳大寺氏はこの車を手厳しく非難してましたが、名前は失念したものの、徳大寺氏に対抗するかのようにレパードを絶賛してた評論家がいたのを思い出しました。
レパードはこのクーペタイプの前のタイプと、この後のタイプ(Jフェリーだったかな?)は、唯一無二のスタイルで、極めて独創的でした。このスタイルを煮詰めていけばと思ったりしますね。
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