kochikika ノート

旧「こちら某中堅企業企画室」。リーマン話、時事の話、パリーグ話など。ぼちぼちやってます。

産業紙が伝えるゆかりタンとマサル君の話

2006-01-28 12:05:50 | 産業紙から



ネット上では市民権を得ているとはいえ「ゆかりタン」も後のも失礼なのですが、深い意味はありません。佐藤ゆかり氏と佐藤優氏の寄稿記事が26日のフジサンケイビジネスアイにあったので、概要を紹介するものです。ごめんなさい。

まずはゆかりさんの方。

○日本人の心にある保守思想を取り戻し、再構築することが日本の繁栄につながる
○その思想を表すものが昔にはあった互助の精神、地域や学校など小さなコミュニティーの存在
○子供への事件、教育の荒廃、技術力の低下、これらの遠因になったものとして、コミュニティーの空洞化とそれへの無関心がある
○戦後の教育では自由主義の何たるかが教えられてこなかった。それは与えられる権利と社会的責任の契約社会
○少子化、ニート問題を経済政策のみの観点で語っては実効性が薄い。背後に思想が無くては
○その思想は、「善良な保守思想」であり、コミュニティーを原単位とするソフトな契約社会を再構築することで描かれるのではないか

たぶん要約もまずいのだが、ちょっと分りづらいかもしれません。「保守思想」という言葉が「コミュニティー」に変換しにくいからかも。

いいこと言ってると思うのですが、小泉チルドレンであること、アメリカ帰りのエコノミストであること、外資出身であることという情報から、どうしても彼女はネオリベそのものではないかという先入観があります。

もしそうだとしたら、その追求過程で貧富の差が広がり、ご自身の理想とする社会とは相容れなくなる局面が出てくるのではないかと私なぞは思ってしまうのですが。

(衣食足りて礼節を知る、それが倫理と「超バカの壁」でも書いてあるし・・・「飛訳」ながら。で、倫理があればゆかりタンの理想社会にも近づくだろうと)

まあそこで折り合いをつける(両立は当面難しかろうと)のも政治家の仕事ですんで、これの実現のためには長い道のりながらも王道と思われる教育関係で手腕を発揮していただければと思います。


で、国家が変革を遂げようとするとき、国家自身に生存本能がはたらく― 
としたのが佐藤優氏です。
日本の場合の変革はそのネオリベ社会にというわけです。

○表面的には政治家の権力闘争、経済人の汚職に見える事象もそれは国家の生存本能の表れである。国家は生き物である
○旧ソ連のペレストロイカと連邦崩壊を通じてそれを感じた。改革の痛みに堪えきれずに自壊したのだ
○私が逮捕されたとき、特捜検事に「国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要。時代を転換するためにあなたを断罪する」といわれた
○ムネオ型分配政治から小泉流ネオリベ政策への転換の意思が現れたわけだ
○今の日本は小泉構造改革が進んでいるが、耐震偽造問題やBSE問題などによりここにきてそれを見直す動きが出始めている
○その象徴がホリエモン逮捕だ
○この検察の動きの背後には、ネオリベ継続では国家が壊れるという日本国家の生き残り本能がある
○だが「時代のけじめ」をつけるのは検察官僚ではなく、選挙で選ばれた政治家の仕事である

実は一つ前のエントリにコメントを頂いたので、ふぉーりん・あとにーさんのところへ返礼コメントを出したのですが、それが使う言葉は違うものの、これと似たような感じの内容でしたので、ちょいと驚いたのでした。
(まあ、法務のプロや思索者が集まったコメント群の中では浮いていましたが)

構造改革への反動があるというのは想定の範囲内でしたので、その点はほくそえんでいるのですが、その担い手がいきなり検察というのはやはりまずい。
むろん反動の戻りすぎもヨシとはしない。「ほどほどがよいのです」。

ただこの「ほどほど」の解釈が人によって違うことが問題です。
ひとつは多くの人がちょうど良いと思うであろう「ほどほど」ラインを設定し、そこにもっていくよう政治家なり官僚なりが時に動くという考え方。
ひとつはある考え方とある考え方がぶつかり合いつつも、いつかはちょうどいいところに収まるだろうと。で、その点が「ほどほど」であろうとする考え方。

長い目で見れば、両者の落ち着くところは同じではないかとも思えるのですが、どっちにしても時とともに「ほどほどライン」が変化していくというのが曲者で、これが変わらないなら前者が楽なんですが、変化に対する柔軟性では後者の方がよさそうです。

しかしそれは構成者である国民が流される懸念というか、例えばゆかりタンの言う「保守思想」そのものが消えていく可能性もあるんじゃないかと。

てなことで、考えていくと私レベルでは埒があかなくなるのですが、ひとつ言えるのはここが日本であるということで、佐藤氏の言うように「国家」と大括りにせず、日本としてどうなのよという点をじっくり詰めていく必要があるんじゃなかろうかと。

ここで「日本としてどうなのよ」という点と「日本人としてどうなのよ」という点でまた微妙に違ってきてややこしくなるのですが、じっくり詰めるという作業を考えれば、上の2パターンで言えば前者の方に余地があると思われます。

そういうことで、ちゃんと考えられる人がある程度ラインを引くというのは悪い話ではないんじゃないかと現時点では思っております。
あとは手続きの問題ですね。

なんか話がでかくなってむず痒いのですが、そんなところで。。



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2 コメント

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フジサンケイビジネスアイとは (日暮れて途遠し)
2006-02-08 22:43:18
佐藤優氏のフジサンケイビジネスアイへの連載を貴兄の記事で知りました。

私の記事にリンクさせていただきましたのでご了承ください。

会社に新聞があったので全部確認しました。

これから木曜日楽しみです。それにしても佐藤ゆかり???ゴーストライターがいるのでは?
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Unknown (kochikika)
2006-02-08 23:37:25
日暮れて途遠し さん、コメントありがとうございます。

ネタがないときは産業紙でつないでおります。

恒例のサラリーマン川柳に

「チルドレン きっと来る来る 反抗期」というのがありました。

反抗期がないと健全に育ちません。期待したいところです。
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