その思索と展開力にいつも感心してしまう、こちら様のホワイトカラー・エグゼンプションの話。
社会人の振出しが実質的なホワエグ社で、現在サラリ社にいる当方としては(残業代もらえる年齢ではなくなったが)、今回は特に身につまされますね。。
17歳でリングに立てば、ボクシングのチャンピオンになれたかも知れない人間が、なんのスポーツもやらないままだらだらと年をとり、体の衰えてきた40歳になってから、いきなりリングにあげられるのです。
いやー、きついっすね。
もう身体の衰えは隠せない身ではありますが、自戒しつつ頑張ってまいりますよ。
ただ、あえてそうされてるのでしょうけど、分裂さんの話の世界はゼロサムというか、今後こうなる、だからこうするしかない、みたいな展開が多く、当方が好きなグレーな、ファジーな、ニッチな話はあまり出てこないですね。
当方としては、あのエントリの中に出てくる「取るべき戦略」の中に、フラット化も、インド人や中国人も、行き過ぎた市場原理主義も、デスマーチの響くような労働環境も、マスコミの魔女狩り的な視線もあまり関係のない世界を探すという選択肢を付け加えたいところです。
そんな世界あるのかと思われるかもしれないが、探せば結構あるもんですよ。「日経ビジネス」とか読んでたら、それらしき会社が必ず毎週1社取り上げられてるじゃないですか。
流行りの言葉ならブルーオーシャンて言い方するのかもしれませんけど、未知の「オーシャン」というよりは、陰日なたの泉みたいな感じでしょうかね。
分裂さんはサラリを大企業に、ホワエグを中堅ベンチャーになぞらえてましたが、逆方向で見た方が見つかるかもしれません。
具体的には前のエントリで取り上げられた超優良中小企業なんかが該当するんでしょうけど、当方が今身を寄せてる会社なんかもこれに近い。こんなお気楽な昭和経営陣でよく生き残ってるなと思う反面、会社の強みを客観的に眺めてみるとしぶとさも理解できたりしますしね(その分買収される可能性は結構ありますけど、リーマンの立場ならされた方がいい場合もありますから)。
もちろんそういった会社(集団)、「戦っていない」わけではなくて、局面では相当頑張ってるはずなんです。ですがおそらく“社内で”戦うこと―「徹底して高速に鋭い判断を求められ続ける職場の空気」は少ないのだろうと。
個人に宿ってる“戦いのための原資”のほとんどを純粋に外、あるいは商品に向けられるというか、そういうことが違いとしてあるんだろうと思うんですね。
野球好きの当方などは、加藤秀司とか片岡篤史とか松井稼頭央とか、パリーグでは素晴らしい成績を残しておきながら、憧れの「ホワエグ・リーグ」に移ったとたんに力を発揮できなくなるパターンを思い出してしまうのですが、そういう選手がダメかというとそういうことではないですよね。六本木では活躍できなくても、茨城の工業団地で主力たりえれば何の問題もないです。
また、「サラリ・リーグ」が生き残れないのかというと、それも違うと思うのですね。
というか、金融とかITとか、国内的には派手ながら、国際的に弱いとされる部門ほどホワエグ度が高く、一部の精密機器とか環境とか、国内的には地味ながら、国際的には強いとされる部門にサラリ度が高い会社が多いように映ってしまうんですけど、どうでしょうかね。
で、これは強いから「サラリ」でいられるのか、逆に「サラリ・リーグ」であるから強さが醸成されるのか、今のご時世だと前者を取る人が多いのでしょうが、こないだのエントリにあるように意外と後者の線も強いと思うんですよね。
ところで、ホワエグ制そのものについて。
この点については、分裂さんが仰るように、労組側の仕事ぶりを時間で測ることの理も厳しいと思うのですが、経営側に成果を評価する術もなく、またコンプラ度も怪しく、その一方で社内コンペの賭けを摘発する余裕のなさもあっては、現状では導入する立場の方がもっと厳しかろうと。
導入側は、何でこれの評判が悪いのかをもう一度考え直した方がいいですよね。
ただ「懐の豊かさを選ぶか、気持ちの安易さを選ぶか」というとても分かりやすい選択を迫られる方向にも見え、(あくまでも理屈上では)納得が行く世の中なのかなとも思えます。