欧州雑派

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「ある島の可能性」読書メモ 11 ~  この小説のテーマについて、、

2017-04-23 | ウエルベック

現在、p427/537まで読了。その先を今日も読んでいない。書きたいことが沢山あるから、まだまだ先に進めない。P427まで、色々なところを何度も丁寧に読んでいる。

ウエルベックの作品をいい加減に読むと消化不良になる。僕の経験則だ。思うに、消化不良になる理由は,ウエルベックが意地悪だからだ。

意地悪と言う意味は、作品の表面に漂っている出来事が、(彼の書く)夫々の小説の本当のテーマではない、という事実(意味)である。作品の本当のテーマは、それらを抉(えぐ)りとったところに存在している。

ウエルベックが狙うテーマは、現代社会(人間)における闇、矛盾、閉塞感、障害等についての言及であり、それらの本質を突いてみせる。このような作家は極めて貴重である。

ある島の可能性 (河出文庫)
Michel Houellebecq,中村 佳子
河出書房新社

例えば、この「ある島の可能性」という小説においては、物語の表面を彩っている出来事(事象)とは、セックスのことであり、新興宗教のことであり、クローン(またはネオヒューマン)のことである。そこに多くの紙面が割かれている。

しかし、本当のテーマを捜していくと、それら表層の事象のすべてが連鎖しており、共通事項が浮上してくる。今回の作品、「ある島の可能性」においては、①老いへの恐怖、②愛を巡る葛藤、③不死への願望、、などが本質的なテーマである。

そして、①+②+③の共通事項が、”人間としての存在の苦しみ”に帰結していくことになる。しかも、人間の苦悩の全て(=嫉妬、性欲、性食欲など)は、”存在する苦しみ”に起源しているとも書いている。つまり、ループだ!

だからこそ、人間は存在する苦しみの一時しのぎとして、他人を求めていき、そして、愛が生まれる、、と指摘しする。しかし、その愛が生まれることで、多くの葛藤が始まり、それらが循環(ループ)していき、存在の苦しみが続く。人間とは、その繰り返しである。だから、人生は喜劇ではない、とまで書いている。

しかも、それを証明するために、手を変え品を変え、本質的なテーマを多様な角度から分析してみせるのである。ペダンチック全開となる。

例えば、上記①の”老い”に関しては、アガサ・クリスティを称える(p160)ことで、老いの問題を完全に抽象化させてみせる。実に、見事である。ウエルベックはアガサ・クリスティを推理小説としては読んでいないのである。

終りなき夜に生れつく (クリスティー文庫)
矢沢 聖子
早川書房

彼の小説技法に僕は痺れてしまう。何故ならば、、

僕は、ウエルベックを理解したいがために、アガサ・クリスティを読むことになるだろう。そうすると、アガサ・クリスティを理解し、同時にウエルベックの言いたいことがより理解できるようになる。結果、老いに関する洞察を(アガサ・クリスティにより)認知できるという仕組みを(ウエルベックにより)プレゼントされたことになる。

見方を変えれば、ウエルベックの書く小説は素晴らしいガイドブックでもあるのだ。多くの作品に該当する特徴だ。これはクンデラも同様であるが、ウエルベックの方が鋭角的である。よく効くという意味だ。

 

上記②の”愛を巡る葛藤”に関しては、全てが、犬のフォックスの存在に集約されている。人間にとって犬の存在、それは実に驚くべきことであり、犬とはまさに「愛を実現する機械」なのだ、と書いている。この指摘は真実だ。フォックスに関する描写は詩的でもある。素晴らしい文章が点在している。泣けてくる。

 

上記③の”不死への願望”こそ、ネオヒューマン誕生の経緯であり、この小説のテーマの一角を表しているものだ。ウエルベックは不死への願望(エロヒムを迎えて不死の方法を教えてもらうこと)を、人間は自身をネオヒューマンとして再生することに成功し、夢を差し替えた訳である。ここで、奇抜な新興宗教集団の夢がすり替えられていっても、小説の文脈としては何ら矛盾はない。

しかし、ネオヒューマンにおいては、人間としての存在の苦しみを完全消去できても、人間の精神について謎を引きづり、ヴァージョンアップしていくしか術はない。が、未だに解決できない(消化難の)問題として、書き綴っている。つまり、この人間の精神性の謎の追求こそが、本当のテーマかもしれない。
 
悪の華 (新潮文庫)
堀口 大學
新潮社

そうでありながら、人間の精神性は謎ではあるが、段々と精神性は希薄化していった、とも書いている。ウエルベックは、人間の精神性の希薄化に関しては、現代社会(人間社会)から、詩の立ち位置が消えている、と鋭いところを突くことで、簡単に完結させた。

それは、逆説的に、ボードレールの視座をサブカルチャーへ活用することで、主人公ダニエルのセンスを高めることに利用している。ボードレールの時代と僕らの時代の違いを指摘している。(p203)

ウエルベック自身も詩人であり、詩集を数冊出している訳で、感覚としての分析のようだ。ウエルベックの詩など読んだことはないが、ボードレールを持ち出すことで、汎用性を齎した。それでも(ウエルベックは)諦観できないのか、多くの詩を披露している。恐らく、ダニエルの書いた詩(ウエルベックの書いた詩)こそが、全ての答えを導き出すものかもしれない、、と僕はそのように考えている。

 

ところが、唯一、僕には大きな疑問が残っている。それは、ウエルベックは、何故、わざわざSFという手法を用い、”人間の存在の苦悩”と”人間の精神性の重要性(謎)”について書き綴っているのだろうか?ということである。

と考えながら読んでいたら、驚くことに、その答えがあっさり書いてあったのである。僕にとって、この小説での最大の収穫は、そこにもあった。そのことを知っただけでも、もう大満足かもしれない。

 
後日、それについて書いてみたい。たぶん、今月末まで読了できると思う。続く。
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