欧州雑派

欧州各国の小説などの書評、映画評、音楽評、美術評、欧州旅行記など。

旅することで、、、

2017-03-08 | ※雑記

どこかへ旅をするという行為で動いていたものは、僕の身体(カラダ)だけではなかった。むしろ、心の方が大きかった。


身体(カラダ)は移動とともに、風を感じ、光を感じ、音を聞き、音(声・・笑い)を発していた。どこかを彷徨(さまよ)ったあと、足は疲れてしまい、温泉につかると、身体の隅々まで緩み、安堵し、その後、胃袋は喜び、身体は熟睡した。

身体の各パーツは全員総出で活動していた。僕の感覚もフル出動していた。


しかし、旅から帰ると、それらの日々における身体が持つ記憶は、いつもの日常の行動と大して差異がある訳ではなく、いつもの行動パターンへと戻り始めていく。

唯一、僕の感覚の小さな残り香だけが、身体の周辺に浮揚している。そんな感じがする。非日常的な部分に身体が影響を受けていたからだ。

でも、その特異な感覚も、段々といつもの日常の感覚へ飲み込まれていくだろう。明日の今頃は、遠い昔の記憶の一コマとして、どこかへ紛れ込んでいく。そして、消えていく。忘れ去られていく。

 

ところが、唯一、明快なことが起こっている。僕の心の何かが変わってしまったようだ。かなり良い意味で変化している。心というものが、一体全体、どこに存在しているのか皆目分からない。(それを)見つけることもできない。でも、何かが変わってしまった。

 

 

先日、久しぶりに、故郷へ戻った。数日、多くの人と同じように時を過ごした。故郷の光・風・空気・匂いなどを身体中に浴びた。

「鹿児島」の画像検索結果

僕の心は鹿児島では沈黙を守っていた。でも、どうしたのだろうか?自宅に戻り、気がついた。いつもの自分の心と違う心が存在している。変容しつつあるものが何であるのか全く分からない。しかし、疼いているものがある。だから、その正体を暴こうと、これを書いている。

書くことで疼きは少しは治まるだろうか。

 

先日も書いたが、それは、都会の生活への違和感から始まっていた。そして、今日になって、人に対する接し方において、微妙な変化が起こりつつある。人を観察している自分に僕は気づいている。冷静で自然な動きだ。

他人を裁くとか批判するとか、そんなことではない。この人はどういう人なのだろう?と、耳を澄まして、つまり”心”で(彼の彼女の)声を聴いている。彼らの瞳の奥を覗いている自分が存在している。

 

今朝から、接する人々皆が優しかった。いつもより、会話が弾んだ。長いこと色々なことを話していた。Y君が学生時代、サッカーをしていてプロを目指していたことなど知らなかった。初めて人に話しました、と彼は言った。

何かが彼を動かしたのか、、、。仕事でいつも会う人が、実は大学の後輩だった。弁護士になりたかったけど何度も(試験に)落ちて、結局、司法書士になりました。そう笑いながら教えてくれた。何だろう、、、この流れは、、。

「南米 ブラジル」の画像検索結果

帰宅時の京浜東北線でも起こった。

目の前の席に若い南米人の女性がいた。ふたり。最初は気が付かなかったが、2駅目あたりで存在に気が付いた。彫の深い顔をしていた。モデルのような感じ。その一人と目が会った。

いつもはそんなこと、絶対にしないのに、僕が笑顔で見つめたら、満面の笑みを返された。何度も目が会い、お互いが微笑んだ。彼女たちが下車するとき、サヨナラ!って、言われた。

何だろう、この流れは。

 

もう、自分を飾ることを止めにした。知らないことは知らない、と言う。経験のないことに対して意見を求められたら、初めてのことだから、分からない、、と言うことにした。すると、誰もが納得した様子だった。特に、妻が、そうだよね!そうなんだよね、余計なことは言っちゃダメなんだよね、、と独り言を言っていた。

『国内旅行』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「直虎」、そして、家康、更... | トップ | ウエルベックの「プラットフ... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

※雑記」カテゴリの最新記事