欧州雑派

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パスカル、もしかして「メンタル・コントラスティング」 ~「パンセ」メモ①

2017-05-15 | ※雑記

最近、「白痴」の再読を始めた。しかし、かなりスローペースで、現在、p28/395という状態だ。冒頭の数ページは、まるで、演劇舞台を見ているようなシーンが続く。ちびちび味わいながら読んでいる。

白痴 1 (河出文庫)
望月 哲男
河出書房新社

ちびちび読んでいるのは理由(わけ)がある。ウエルベックを完全読破した今、僕は、パスカルの幾何学的精神が気になってショウガナイのである。だから、ドストエフスキーを平気で後回しにしてしまう。


ウエルベックは「ある島の可能性」で何が言いたかったのか、そのヒントがパスカルとスピノザの精神に隠れている、僕はそのように読んでいる。だから、当初はその視座から彼らの代表的な著作を読んでいたが、徐々に、著作そのものに心が惹かれてきている。


だが、スピノザの「エティカ」は難解だから、自宅で、更に、時間が自由にとれる休日に読むことにした。朝晩の電車の中ではまず読めない。集中できない。

従って、日々、読んでいるのが「パンセ」ということになる。何度もページを捲っていると、この本は、実用的な読み物としても有効だ。 
パンセ (中公文庫)
前田 陽一,由木 康
中央公論新社
ただし、キリスト教に関する文脈に関しては全く分からない。理解できていない。それは、僕が無宗教だからか?キリスト教徒でないから?

僕が一神教をかなり胡散臭い宗教だと思っているからだろうか?ユダヤ教、キリスト教、イスラム教。僕は、たった一つの信仰(宗教)に支配される自分の精神状態に耐えられないのだ。ありえない。

何故ならば、どうしてもそこに詭弁を見つけ、論理的な破綻を探し出し、そこに気が付いてしまう。


僕の精神は古代日本の神道的な八百万の神の存在を自然に受け入れる信仰を好んでいる。田んぼの神様、台所の神様、お米の神様、トイレの神様などなどを素直に崇拝できる。神とは自然である。そして、僕のライフ・スタイルが生活仏教徒であることに全くの違和感がない。だから、日本人に生まれて本当に良かったと思っている。

そうでありながら、僕の情念が、幾何学的な精神を持ちたいと願っている。日本的な信仰心に幾何学的な精神を付随強化できればば、毎日が楽しいだろう!(^^)!と考えているからだ。日々、追求したいのは、その融合の進化だ。

だから、パスカルに惹かれ始めた。しかし、そこで、僕は混乱する。

その訳は、幾何学的な精神を持つパスカルが、何故もキリストを過激に信仰するようになったのか?ということだ。史実によると、彼の姪に(健康上・肉体上の)奇跡が起きたからだそうだ。

幾何学的な精神の持ち主でも、身近な人間に肉体的な軌跡が起きれば、信仰が強度になるものだろうか?ここ(パンセ)に書いてある(信仰についてに部分)を読めば読む程、そのことを訝しく思ってしまう。ありえない、、のだが、、。

そして、パンセはとうとう幾何学的な精神を捨てることになる。全く馬鹿なことをしたものだ、、と僕は思っている。実に、モッタイナイ。

 

パンセの書くキリスト教崇拝の文脈に辟易したら、「エティカ」に逃げる。そんなパターンが出来てきた。何となく落ち着くのだ。だって、宗教に関しては、スピノザの方が俄然イケているからだ!

何せ、スピノザの神の解釈が、自然=神であるからだ。しかし、スピノザは奥が深い。自然=神なのだが、結論はキリスト教が求めるものとスピノザの求めるものがイコールだからだ。そうなると、再び、行き詰まり、パスカルに戻る。で、「パンセ」に飽きたら「白痴」へ逃げるという流れだ。だから、「白痴」はチビチビよむことになってしまう。その循環が今の僕の読書スタイルだ。


キリスト教以外のことを書いてある「パンセ」は、アトランダムに読める。とにかく自由に読めるのがヨロシイ。とても気が楽になるからだ。

今回、面白い、と感じたところを書いてみたい。以下(p79)


104
われわれの情念が、われわれに何ごとかをさせるときには、われわれは自分の義務を忘れてしまう。たとえば、ある本がおもしろいと、ほかのことをしなければならない時でも、それを読んでしまう。

けれども、その義務を思い起こすためには、何か自分が嫌いなことをしようと思い立つことである。そうすれば、ほかにしなければいけないことがある言いわけをすることになり、この方法で自分の義務を 思い出すようになる。
 
 
なるほどな、、と思ったのだが、ふと、これを読みながら、この考え方は、もしかして、メンタル・コントラスティングではないのか?ということだ。


「メンタル・コントラスティング」は心理学で使われる(概念としての)ツールだ。「メンタル・コントラスティング」とは、ポジティブな計画(夢)を立てた後、そのプロセスで起きる障害までを考え、当初の計画を成功に導くツールのことである。夢を現実に立ちはだかる障害と対比させる・・メンタル(頭の中での)コントラスティング(対比)・・・することで、単なる弱い空想も、現実で裏付けできれば、夢の鎮静効果を封じて、直接的な行動を促すことが可能ととなるツールとして夢の実現に活用できる訳だ。
 
 
パスカルの指摘は、何かの行動目標があったのだが、ふと、目先の楽しみごとに心を奪われてしまった(=誘惑)。そんな状況に陥りそうになった時、別の強力な気分障害を己の精神に注ぎ込めば、その誘惑(情念)を吹っ飛ばすことができ、当初の行動規範に戻ることができる!ということだ。
 
これは間違いなく「メンタル・コントラスティング」の手法だ。

その「メンタル・コントラスティング」に関しては面白い本がある。「メンタル・コントラスティング」を現実的な活用方法について書いてある本が存在する。「メンタル・コントラスティング」をマスターできれば、コーチングなど不要だと思っている。それについては、後日、紹介しつつ、感想も書いてみたい。

ということで、僕はパスカルの「パンセ」を気に入ったみたいだ。だから、今日から、「パンセ」メモを書くことにした。ぺこり。
 
続く。
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