欧州雑派

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「ある島の可能性」読書メモ 13 ~ 最終回  やはり、スピノザである

2017-05-03 | ウエルベック

Amazonの商品紹介には、辛口コメディアンのダニエルが生きる現代と、その遺伝子で再生されるクローンが生きる人類滅亡後の世界が交錯するSF的長篇。とあり、

更に、内容(「BOOK」データベースより)の引用として、世界の終りの後、僕は電話ボックスに居る―快楽の果ての絶望に陥った過激なコメディアン兼映画監督のダニエルは、“永遠の生”を謳うカルト教団に接近する。二千年後、旧人類がほぼ絶滅し、ユーモアと性愛の失われた孤独な世界で、彼のクローンは平穏な毎日を生き続ける。『服従』著者による“新しい人類”の物語。と、書かれているが、いずれもミスリードである。

ある島の可能性 (河出文庫)
Michel Houellebecq,中村 佳子
河出書房新社

まず、青字上段の商品紹介においては、人類は滅亡していないし、2つの世界は交錯していない。この物語はクローン(ネオヒューマン)が未来人に向けて書いた”人間に関する情報”を提供したものでしかない。従って、二つの世界が交錯することはない。

次に、青字下段についてだが、世界の終わりのあと、僕は電話ボックスに」はいない。これはウエルベックが本作品を書くに至った動機を書いているだけだ。

ハリエット・ウォルフという架空のドイツ人のジャーナリストがウエルベックに語った小さな物語に「世界の終わりのあと、僕は電話ボックスにいる」と書いているだけである。p7をきちんと読めばわかることだ。これらの商品紹介文はミスリードである。

服従
大塚桃
河出書房新社

更に、文庫本訳者あとがきにもミスリードがある。翻訳者はウエルベックの最新作「服従」と「ある島の可能性」とを比較して、以下のように書いている。

「ある島の可能性」は「服従しない」とはどういうことかを大いに語った本だとも言えます。その意味で「服従」のあとで、なおさら面白く読める一冊なのです。

と書いているが、小説「服従」とは、フランス社会が政治的にはイスラム政権になるが、フランス人が精神的に(イスラムに)「服従」する話ではないのである。

新作「服従」を要約すると以下である。

フランス社会は若者の失業率が高い。イスラム教徒をいち早く受け入れてきたため、彼らが不満分子の主流となり頻繁に暴動が起こっている。移民の流入、テロの多発、若者に職がない。

架空のイスラム政党が経済的にも疲弊しているフランス社会全体の行き詰まりを打破する策を提案した。大企業の税制優遇をやめ、職人と自営業を優遇させる政策をとることを宣言した。結果、大いに支持されていく。イスラム政党の経済思想は、資本と仕事を分離を掲揚している訳だ。(p194)つまり、物語においては、多くのフランス人たちは、己の仕事のために、或いは、再雇用されるためにイスラム政党を支持しているに過ぎない。

更に、フランス社会では、現実的にも、自由恋愛の行き過ぎで多くの家庭が大崩壊しているようだ。メディアやネットで頻繁に取り上げられている問題だ。フランス社会は自由恋愛のために、社会の仕組みを変えてきた。結果、益々、家庭の存在が希薄化してきているようだ。

それらの事象を鑑みると、フランス社会は、マクロ・レベル(政治経済)においても、ミクロ・レベル(個人)においても、隘路(あいろ)に入り込んでしまっている。どうすれば良いのだろう?とウエルベックは考えたのである。ウエルベックの胸騒ぎだ。

そこで、そうだ!イスラム政党に支配される国になれば、多くのことが解決するかもしれない!と、書いてみたのである。だから、壊れてしまったフランス社会を修正するために、その手段として、イスラム政権の誕生を仮想提案しているに過ぎない。SFという技法を用い、インパクトを軽減させた。

その結果、理論的には、家父長制度(=イスラム制度)が復権することでフランスの家庭崩壊は防げることになる。ウエルベックがユイスマンスの「家庭」という作品に拘っている訳は、家庭の安定を象徴させるためだ。「ポトフ女」(「服従」p90)こそ、「服従」という物語のキーワードとなる。 

ところが、これが現実となれば、フランス人はどうなるだろうか?たぶん、多くのフランス人は発狂するだろう。家庭崩壊は防げたとしても、イスラムにおいては自由恋愛が禁止されている。愛こそすべてのフランス女やフランス野郎たちが、自由恋愛を捨てることなど到底出来まい。フランス人から、愛をとったら何が残るだろうか?スカスカな人生を彼らが率先して選ぶとは到底考えられない。

それは、フランス映画、フランス文学を鑑賞すれば明快だ。そこには、愛という名の不倫、愛という名のエロス、そして純愛に溢れている。情念が渦巻いている。そんなこと、ウエルベックにもわかっている。

従って、フランス社会にイスラム政権誕生の物語は表面上の出来事であり、本当のテーマはそこにはない。ウエルベックが追求したかったことは、行き過ぎた自由恋愛の行方である。放置するとフランスの家庭はもっと崩壊していくぞ!と。

ところが、残念なことに、「服従」の発売日に実際にテロが起こってしまった。ウエルベックにも関係があった(イスラム政権誕生の物語=「服従」が販売されるぞ!)から大きく騒がれた。イスラムに「服従」することばかりが、話題をさらっていった。

仮に、あのパリテロが(あの日に)起こらなかったら、ウエルベックの真意はきちんと伝わったかもしれない。単行本の解説を読んでも、佐藤優氏がピント外れな解説を書いている。彼が書いていることは、物語の表層でしかないのだ。

従って、話を戻すと、「ある島の可能性」は、「服従しない」とはどういうことかを大いに語るどころか、そんなことは全く語っていないである。この小説は、文字通りの「服従しない」のではなく、ネオヒューマンが設計されている彼の人生から「逸脱する」意志を描いた作品なのである。

だから、「ある島の可能性」は「服従しない」物語ではなく「逸脱する」物語だ。つまり、翻訳者の指摘はミスリードである、と言える。

逸脱するには、精神の磨滅したネオヒューマン(クローン)の心の変容を描く必要がある。即ち、精神の「誕生」の気配である。これも前回書いたが、冒頭に(ウエルベック)はそのことについて書いている。

物語らしく、ダニエル25は「ある島」へ辿り着けば、何らかの可能性を掴むことが出来るかもしれない、そんな希望を掲げて歩き始めるのである。ある島とは、ランサローテ島である。

ランサローテ島
Michel Houellebecq,野崎 歓
河出書房新社

そのあたりの件(くだり)は、前回も書いた。

そして、結論としては、プラトンとスピノザを読む必要がある、とウエルベックは読者にヒントを与えてくれているようだ。僕ら現代人も、愛について、神について、スピノザの明晰な思索を読んでみることで、自らの立ち位置をスッキリさせることは可能だと思われる。それもウエルベックの狙いかもしれない。

エティカ (中公クラシックス)
工藤 喜作,斎藤 博
中央公論新社

最後に、冒頭に近いp13に書かれている詩に注意したい。以下のように書いてある。

 あの古(いにしえ)の死んだオランダ人が、、、、、

そのオランダ人こそが、たぶん、スピノザなのである。僕はそのように読んでいる。

スピノザ―実践の哲学 (平凡社ライブラリー (440))
鈴木 雅大
平凡社

僕は、このメモを書き始めた日から今日まで、とても幸せな時間を過ごすことが出来た。大いに満足できた日々だった。ウエルベックに感謝したい。そして、今、「エティカ」を少しづつ読み始めている。ウエルベックからのヒントを大いに享受したいから、、。

小説「ある島の可能性」こそ、ウエルベックの最高傑作、と僕は高く評価している。

評価:☆☆☆☆☆

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