神戸RANDOM句会

シニアの俳句仲間の吟行・句会、俳句紀行、句集などを記録する。

2013=青森アートと俳句ひとり旅 播町

2013-07-16 | 俳句紀行

 

 

 

 

*

    外はみぞれ、何を笑うやレニン像。

 太宰治『晩年』の「葉」にある1行である。太宰は20代のころ朱鱗という俳号で俳句をつくっている。この1行は、句読点があるが、俳句のようでもある。当方、これを真似て、 

   しぐれきて何を笑ふや野の佛

 という句をつくったことがある。

  だがいま季節は夏。緑濃い青森が眼下に見えてきた。JAL2151便。定刻の10時10分、青森空港着。

 

  JR青森駅前の観光交流情報センターで、青森県立美術館は本日休館を知る。ガイド本にあった月曜休館以外に常設展示も休みだとは驚く。訳があり旅を早め、そこまでチェックできなかった。まあいいか、青森出身の奈良美智の作品は見たくもないし、と悪態をつく。

 そうなると隣接する三内丸山遺跡も行かない。じつはわが家の近くに弥生後期の遺跡や考古博物館があり、日々の散策コースになっている。巨大なスケールの三内丸山遺跡はずっと前から行きたかったのだが。一人旅は、つねに即断即決である。失策と指摘する人がそばにいない。

  司馬遼太郎は『街道をゆく41・北のまほろば』に興奮気味に書いている。「白昼夢のような話である」と。「大阪の自宅で朝日新聞の夕刊をひろげたとき(1994.7.16)一面トップに大変な記事が出ていることに驚かされた。『4500年前の巨大木柱出土』という。青森県にである。縄文中期という大むかしに、塔までそびえさせているような大集落遺跡がみつかったのである。〔…〕場所は青森市郊外の三内丸山である」

 

   JRバス横内線で、青森公立大学国際芸術センター。ここを知ったのは、マガジンハウスの「Casa別冊・日本の美術館ベスト100ガイド」である。安藤忠雄設計による建物。森に埋め込むような「見えない建築」という説明に惹かれた。だがこのガイド本、地中美術館など直島とその近辺にある島の美術館が7館も選ばれており、恣意的な「ベスト100」と感じていたが、その通りだった。

  展示棟は、円を二つに割り、小さな半円の野外ステージとそれを背後で囲むギャラリー棟、残りの半円は水を浮かべた皿のようなテラスである。安藤のミュージアムとしては魅力に乏しい。ギャラリーでは三瀬夏之介「ぼくの神さま」展。

    茂り中廃屋それともミュージアム

   わくらばや水のテラスのさざめきて

 

   タクシーで棟方志功記念館へ。このあたりから機嫌が直り、旅の高揚感がでてきた。庭に高田博厚の彫刻「海」がある。なぜと思いながら入ると、棟方の胸像がある。なるほど。お目当ては「釈迦十大弟子」。入場券に摩訶迦葉の柵がプリントされている。

  司馬遼太郎がここを訪れたときの記述に、棟方50代のころ大阪の日本工芸館で会ったとある。「下手な絵描きほど仏さまは手を貸してくださるのです。彫っているのではなく、彫らされているので」と語ったという。

  自伝『板極道』に、子どものころ、ネブタとともに惹かれた凧の絵について熱く語っている。町民の町青森では優艶な役者絵、武士どころの弘前は勇壮な豪傑絵、五所川原は鷹揚な「能」風な顔だという。

  また「このネブタの色、これこそ絶対まじりげのないわたくしの色彩でもあります」と。ねぶた祭りを描いた長さ15メートルの「禰武多運行連々絵巻」など、あふれる色彩の中で踊る女人たちの歓喜の表情が、なんだか豊かな気持ちにさせてくれる。

  気に入ったのは、渓流も木々も踊っているような、ほぼはがき大の「十和田奥入瀬C」、茶、青、緑などの荒々しい線で描き、ムナシコとサインのある「阿修羅奥入瀬の図」という初期の油絵。

    鉢巻の棟方舞いしねぶたかな

    奥入瀬のしぶき蛍となって消ゆ

  市内巡回バスねぶたん号を待つ間、近くの市民センターへ。「友情の碑」という太宰治「走れメロス」の一節を刻んだ文学碑があった。乗車してすぐ記念館の裏に堤小学校があるはずと気づいた。

  堤小学校は消しゴム版画家ナンシー関の出身校。なぜ版画をと訊かれ、「私の出身小学校の隣には棟方志功舘があり、図工は版画ばかりやらされてた」と答える。「嘘なんだけど嘘でもないし」と書き残している。

  

  青森のベイエリアは、りんご酒工房のA-FACTRYのWの字、観光物産館アスパムがAの字、ベイブリッジが逆Yの字、ねぶたの家わ・らっせのワイングラスを伏せたような入口など、建築を楽しませてくれる。

    青森のAの字が突く夏の空

   夕凪にグラスを伏せてまどろみぬ

   そこに取り残されているのがJR青森駅。かつて青函連絡船に乗り換えるためにみんなあわただしく走ったホームや桟橋あたりは雑草が生い茂り、八甲田丸がミュージアムとして岸壁に係留されている。黄色い船体の大きさに驚く。津軽海峡冬景色の歌碑があり、そばに立つと3番まで歌をがなり立てるのが侘しい。

 

   かつて上野発の夜行列車で、平泉での途中下車をへて、青森駅に夜に着き、新町通りにある木造2階建ての旅館に泊まった。20代のころである。このたびは駅前のホテルルートイン。近くの壱之助という居酒屋。仕事帰りの人たちがビール片手に口角をとばしている。味噌をつけて食べるにんにく丸焼き、貝焼き味噌、ヒラメの刺身などで夕食。一人だから酒も進まない。新町通りはトチノキのピンクの花が咲いていた。「晩涼の新町橡の紅明り」の句ができ、ご機嫌。

    トチノキの紅夕闇を溶かしけり

   新町を抜けてねぶたが耳鳴りに

 

 **

  青森駅と新青森駅は仲が悪いのか。それとも待つことに苦痛を感じないのか。新青森駅8時30分発はやて26号に乗るために、在来線8時28分着では乗り換えに間に合わない。一つ前は8時1分着。そのせいか新青森駅の待合室は広い。七戸十和田駅まで14分。ほとんどトンネル。

  駅前で小学校2校合同の元気な修学旅行結団式。たぶん2校でバス1台分。函館、道南へ行くらしい。児童、教師、旅行社の発言に、きびしい「管理」を感じる。しばらく待ち七戸十和田駅前9時12分発のバスで十和田市現代美術館前まで約40分。バスは買い物と病院通いの老嬢たち。会話は地のことばでよく分からない。

    老嬢がバス占拠する青田風

   いっそ涼し原発マネーのミュージアム

  

   十和田市現代美術館は、十和田市の中心部に忽然と現れた人工的な大通りの中にある。この官庁街通りという無粋な名前で呼ばれている通りは桜並木で有名だが、じっさいに来てみると大きな松並木の通りでもある。市役所、市民病院など人口7万の市とも思えない堂々たる趣きがあり、青森のイメージを覆す。現代美術館も原発マネーによって2008年に開館した。

   館内では、やはりロン・ミュエクの高さ4メートルある女性像、栗林隆の椅子に乗って天井裏を覗くと異空間が現れる「サンプランド」などに魅かれる。開館5周年で草間弥生「真夜中の咲く花」シリーズの2点が展示され、珍しく写真撮影可であった。屋外の作品群も足早に堪能した。

 

   なにしろ時刻表にあわせた旅なので、急ぐ。11時29分発焼山まで47分のバス。焼山渓流館でレンタサイクル。自転車は電動をすすめられ、これが正解だった。ゆるやかな登り道を子ノ口まで14キロ。奥入瀬渓流である。ここを自転車で走るため、東北が梅雨に入る前にと、急遽旅を早めたのだ。

   六月の渓に絮飛ぶ茶店かな

   滴りのしるべ湖指す渓の道

   自転車のうねうねと行く百の瀑

   かなかなや既に避暑地の領域に

  昨日、棟方志功記念館で見た「阿修羅奥入瀬の図」。じっさいに阿修羅の流れと名づけられた渓流があったのだ。遊歩道で自転車を押し奥入瀬の流れを見たり、自転車をこぎながら次々現れる滝を見たり、その背景の白い花が咲くトチノキの森を眺め、満喫の90分。子ノ口湖畔食堂の2階から十和田湖を眺めながら、ビール。

 

  JRバスおいらせ25号で十和田湖休屋へ。渋沢敬三ゆかりの十和田科学博物館を訪れたが閉鎖中。このあたり観光情報センターと名のつく施設が多いが、すべて土産物、食堂のたぐい。高村光太郎「乙女の像」まで歩く。遠い。見事な彫刻だが、しかし十和田湖観光の目玉が50年にわたりこの像とは情けない。

 

  十和田プリンスホテルの送迎車に乗って、ホテルが秋田県だと知る。小さな溝のような川が県境。17時前チェックインし、さっそく湖に面した露天風呂へ。夕食は、比内地鶏の生ハム、八戸産さば・たこの燻製、十和田高原牛乳でつくったスープ、十和田湖ひめますオーブン焼き、青森で栽培しているアピオス、リンゴ入りサラダなど。酒は豊盃「ん」の冷酒。なれど一人なり。

    十和田湖へ蛍を放つかの失意

   夕月のこぼるるを見る湯浴みかな

 

 

 ***

  朝9時30分発ホテル送迎車のただ一人の乗客として、新青森駅まで90分。恐縮する。十和田湖は観光地として、古いのか、大震災の影響か、オフシーズンか。客がいない。紅葉が人気ですが、ほんとうは新緑がベスト・シーズンです、と運転士の弁。北上し、山を越えると、農地の向こうに凛とした岩木山が見えだした。

  「津軽出身の小説の名手、蔦西善蔵氏は、郷土の後輩にこう言って教えている。自惚れちゃいけないぜ。岩木山が素晴らしく見えるのは、岩木山の周囲に高い山が無いからだ。他の国に行ってみろ。あれくらいの山は、ざらにあら」(太宰治『津軽』)

  司馬遼太郎はこの一節を引き、「葛西善蔵はそういうが、私は岩木山ほどの山がざらにあるとは思えない」としている。

    故郷は聳へ立つもの雲の峰

   従へるものなく聳へ夏の雪

 

   旅の準備をしているとき、偶然にも一枚の写真がでてきた。津軽半島竜飛崎である。青森駅前の新町通りの旅館に泊まった翌日、車内に木炭ストーブのある津軽線で三厩駅まで行った。そこから竜飛の灯台まで行った。崖の下に青函トンネル工事のためプレハブが幾棟かあった。

  「小さな食堂が、『本州最北端の食堂』と、大看板をかかげている。そういう大看板でもかかげねば、とてもこの風浪のなかで平静を保ってはいられないといった格好である」(『北のまほろば』)

 当方が行った50年前も茶店のような小さな食堂があり、ラーメンを頼んだらインスタントのものが出てきた。

 

   ホテルの車は十和田湖から北上し90分で、新青森駅に11時着。ちょっと早いが魚っ喰いの田という店ですしとビール。青森は魚介類がうまい。そういえば前日のわ・らっせで海鮮丼をたべたのも魚っ喰いの田だった。

 奥羽線各停で約40分、弘前に着いた。ここの駅頭もありふれた街である。桜のシーズンがとっくに終ったころ、毎年テレビのニュースで弘前城が満開と報じられる。太宰バージョンでは、「津軽では、梅、桃、桜、林檎、梨、すもも、一度にこの頃、花が咲くのである」。弘前城を歩いた。

 

  天守閣は江戸初期に焼失している。「雪の津軽平野を見遙かすうちに、岩木山を凌ごうとするものは現れるべきではないという気がしてくる。寛永4年の落雷は、あるいは天意だったかもしれない」とまで、司馬遼太郎は書いている。姫路城を身近に見ている者からすれば何ということはない弘前公園だった。

    汗ぬぐい各停でゆく奥羽線

   うちわもて弘前浪漫の町歩き

   涼風に時を止めたる旧図書館

   真夏日の百円バスのゆらゆらと

  旧図書館、郷土文学館、青森銀行記念館を足早に見て、弘前公園を通り抜け、奇跡のリンゴかりんとう、農家の干したりんごを土産に買い、百円バスでバスターミナルへ。ぼんやりと町行く人を眺めていると、こんなフレーズが浮かんだ。「雪の閉ざされた地は、昔、作家やアーチストをつくり、現代は、10人に1人の肥満女性をつくる」。

 

 「たけが私の家へ奉公に来て、私をおぶったのは、私が三つで、たけが十四の時だったという。それから六年間ばかり私は、たけに育てられ教えられた」(『津軽』)

 「たけは、いつの間にかいなくなっていた。或漁村へ嫁に行ったのであるが、私がそのあとを追うだろうという懸念からか、私には何も言わずに突然いなくなった」(『思い出』)。

 それから30年。昭和19年、太宰36歳。

  小泊の越野たけ。ただそれだけをたよりに会いに行く。津軽鉄道を北上し、金木を素通りし、終点の中里へ。ここから北は生れてはじめて見る土地で、小泊行きのバスに立ったまま2時間、本州北端の寒村にたどり着くのである。

  『津軽』の感動的なラストを思い小泊や金木へ行くべきだったか、と不意に思った。出発前にガイドブックを見ると、金木には太宰らうめんがあり、小泊には乳母たけと太宰の像があるという。太宰が観光に汚されている。恐れをなして、やめたのだが。

  青森空港17時55分発、JAL2158便。座席76席は、ビジネスマンたちで、ほぼ満席。半世紀ぶりの青森再訪が終わった。

    小泊に乳母の像ある暑さかな

   歌枕のやうな太宰のみぞれの地

 

                                          (2013.06.12~14、経費12万円)

 

 

 

 

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1 コメント

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Unknown (yuki)
2013-10-28 22:23:16
こんばんは。
いい旅ですね。写真で見た感じ、
私が思っていた青森のイメージとも
全然違いました。

十和田市現代美術館、奥入瀬渓流、十和田プリンスホテル、行ってみたいです。
空気が良さそう(笑)

現代美術ってあまり見たことないから、
一度見てみたいなと思いました。

九州の旅もブログにしてください、
なかなか遠くには行けないので、
気分だけ味わいたいです。


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