神戸RANDOM句会

シニアの俳句仲間の吟行・句会、俳句紀行、句集などを記録する。

2013=天王山もみじ句会

2013-11-19 | 吟行句会

 

 

 名にし負ふ天王山の紅葉句座  つきひ

 行く秋の天王山の句合戦    だっくす③

 第18回RANDOM句会は、神戸を離れ、山城・摂津の国境天王山へ――だっくすさんから句会のご案内。

 大山崎山荘美術館と宝積寺で吟行、離宮八幡宮経由、てんぷらの老舗三笑亭で昼食、大山崎ふるさとセンターで句会、というスケジュール。

宵ごとに都へ出づる油売り 更けてのみ見る山崎の月

―職人歌合せー

 山崎の八幡宮の油で思い浮かぶのは、司馬遼太郎「国盗り物語」。京の油売りから美濃の主となった斎藤道三と、織田信長、明智光秀の物語です。昭和48年のNHK大河ドラマでは、道三は平幹二朗、信長は高橋英樹、光秀は近藤正臣。みんな若かった。

 紅葉の季節、天王山ではどんな紅葉狩りが待っているでしょうか。

 

大山崎へ -今でしょ!-

 11月19日、夜中に激しい雨音がしましたが、朝は青空。

 天王山天下分け目の冬日和    一風①(数字は句会での得点)

 見渡して冬麗と云へば今でせう  播町

 「冬麗」は麒麟の発泡酒かと思ったら、冬の日光にてらされてうららかなことをいう冬の季語でした。

 午前9時10分、JR三ノ宮駅で快速野洲行きの最後尾の車両に乗り合わせ、参加メンバーが揃います。参加者(敬称略)は、さくら、だっくす、つきひ、どんぐり、りっこと女性は5名。男性は一風、英、播町、ひろひろ、見水の5名で総勢10名。旧摂津国の住人と旧播磨国の住人が5名ずつです。

 今日の句会は、吟行で各自5句作り、選句では自作以外の6句を選んで特選1句2点その他5句は1点で各人の持ち点は計7点。参加者10名の総点数70点の争奪戦です。勝敗は個人戦と、今回は摂津国×播磨国の団体戦で戦うこととしました。

 JR快速は、秀吉の「中国大返し」のルートをひた走ります。

 

 天正10年5月、安土城の信長のもとに秀吉から応援の求めが届き、信長は光秀に援護を命じ、自らも出陣の支度を始めます。

 光秀は丹波亀山城で出陣準備を整え、愛宕山の連歌の会で決意を詠みます。

 ときは今あめが下しる五月哉  光秀

 6月1日、光秀は京に向って出陣し、翌2日、信長と長男の信忠を襲撃。

 

 翌3日に本能寺の変を知った秀吉は、4日に毛利軍と和睦し、5日から撤兵。7日に姫路城、11日に尼崎へと急行し、13日午後、山崎で合戦。激しい攻防の末、明智軍は総崩れし、光秀は居城坂本城をめざすが、落ち武者狩りに遭い絶命。秀吉は27日の清州会議を経て、翌春、柴田勝家を滅ぼし、天下人への道を突き進みます。

 山崎っ子よく眠る香や美味し秋  ひろひろ

 サントリー山崎の建物が見えました。樽の中で眠る芳醇なシングルモルト「山崎」を想い、はや戦意喪失。

 午前10時5分、山崎駅到着。小さな駅でした。 

 山崎の駅の小さき秋日和  見水③

 駅前で送迎バスに乗車。JRの踏切を越え、急坂をあがり、大山崎山荘入口で下車。

 「千と千尋の神隠し」のようなトンネルを抜けると、驚きの別世界でした。

 

大山崎山荘 -じぇじぇじぇ-

 

 歩を伸ばす山荘広き紅葉道    さくら②

 手をかけぬことももてなし薄紅葉 さくら②

 紅葉に出迎えられます。

 石蕗ぶきのランダム句会花盛り  ひろひろ

 石蕗明り紅葉明りに染まりつつ  つきひ① 

 山荘はもみぢ明りのま只中    どんぐり◎◎は特選句)

 登っていくと、レストハウス(旧車庫)があり、門をくぐれば豪壮な3階建ての英国風本館。

 山荘へ冬バラの白アプローチ   どんぐり

 荘の門くぐればほのとかりんの香 さくら②

 入るなりかりんころころ一風頭  ひろひろ①

 「きんかん頭」ならぬ一風さんの「かりん頭」の句はご本人もお気に入り。登ってきたグループに集合写真をお願いしました。

 

 山崎周辺はサントリー城下町。ど真ん中に、なぜアサヒビールの美術館があるのでしょうか。

 サントリー(寿屋)のウイスキー蒸留所が山崎に開設されたのは1923年。創業者の鳥井信治郎は、英国で製造を学んだ竹鶴政孝を招きます。竹鶴は、良質の水が使え、スコットランドの風土に近く、霧が多い山崎の地を選び、1929年に日本初のウイスキーを製造・出荷します。

 宝寺の隣に住んで桜哉  漱石

 夏目漱石は、1915年に京都を旅行し、27歳の実業家・加賀正太郎が1912年から建設中の大山崎山荘を訪れ、句を詠んでいます。山荘は、サントリー山崎蒸留所よりも早くから建っていました。

 竹鶴は、その後、寿屋を退社し北海道余市でニッカウヰスキーを創業。竹鶴を加賀が支援します。

 別荘は増築され1932年に完成。併設する温室で加賀は趣味の洋蘭研究に打ち込み、1954年に66歳で亡くなります。

 加賀の没後、山荘は荒廃し、取り壊してマンション建設計画が。アサヒビールが美術館として再生するため保存・修復に乗り出します。アサヒビールはニッカウヰスキーの親会社。アサヒビール初代社長の山本為三郎と加賀は生前に親交があり、加賀の山荘がアサヒビールによって蘇ります。

 安藤忠雄設計の展示室「地中の宝石箱」も加わり、美術館は1996年に開館。2012年には安藤忠雄設計で山手館「夢の箱」も増築。

 いよいよ館内へ。

 冬晴れに山荘賑わい女子多し   一風①

 冬日さす赤むらさきにガレの壺  りっこ③

 清朝も李朝もならぶ冬の壺    りっこ

 「ガレのガラスの壺、テレビの『なんでも鑑定団』で見たけど、光線が当たるときれいよね」

 清朝、李朝をはじめ東洋・西洋の古陶磁は形がよく色彩豊か。美術品を収集した山本為三郎は、民芸運動の支援者で、濱田庄司や河井寛次郎、バーナード・リーチ、棟方志功らの作品も展示されています。

 秋冷や志功の刀の迷いなし   見水①

 民芸の言葉かみしめ秋をゆく  見水

 

 2階のテラスから木津川・宇治川・桂川が合流する風景が見えます。加賀がテムズ川を見下ろすロンドン郊外のウィンザー城と重ねあわせたのを納得。漱石が眺め、秀吉が眺めた絶景。

 秋風に三つの河のあわさりて  英

 秋冷や大河の向こうは男山   英

 桂宇治木津の三川四温かな   播町

 桂川宇治川木津川秋の風    見水①

 南は生駒山、北は京都盆地を一望。対岸の男山には、京の裏鬼門(南西方向)を守り、徒然草にも登場する石清水八幡宮。

 

 鯉跳ねて水面の紅葉砕きけり  つきひ①

 水音やもみぢ且散る庭広し   どんぐり①

 一目見て安藤建築照紅葉    さくら

 35歳の「住吉の長屋」で日本建築学会賞を受賞し、斬新なアイデアで建物を作り続ける安藤忠雄氏。現在72歳。

 陶芸も絵画も紅葉あかり中   つきひ③

 モネの絵や外は紅葉の美術館  だっくす②

 楽し秋モネとルオーと美術館  英

 サムライの涙冴ゆるや天王山  りっこ②

 庭の紅葉と池を眺めながら階段を下りると「地中の宝石箱」。モネの「睡蓮」や、ヴラマンク、クレー、ルオーなど西洋絵画の巨匠の名品。

 黒御影石の「サムライの涙」は現代彫刻。光秀軍の武将の無念の涙か。

 受付で宝積寺への道を聞き、美術館を出ます。

 山道で幼稚園児とすれちがい、元気をもらいました。

 子供らが色とりどりに登る秋     英

 冬の日に児らのあいさつ声高し    一風①

 坂下る園児手に手に朴落葉      りっこ③

 「猪デマス」まっしぐらかもしれず  播町①

 

宝寺・待庵・八幡宮 -ヒデノミクス-

 

 猿の来る天王山の紅葉寺    どんぐり①

 銀杏を踏まぬやう行く宝積寺  だっくす②

 山崎の合戦のあと、秀吉は姫路城に戻らず、宝積寺も取り込んだ「山崎城」を築いて拠点とし、大阪に巨城の建設を始めます。

  

 秋天に三重の塔宝寺       さくら

 鵙鳴くや一夜造りの塔の上    だっくす③

 秋惜しむかつて合戦ありし地に  だっくす②

 宝積寺に秀吉の「一夜造り」の三重の塔が残っています。墨俣城といい石垣山一夜城といい、人を驚かす秀吉さんの得意なやり方です。

 紅葉見つバスを待つ人歩く人  一風

 冬の日に剪定の札下がる幹   一風

 再集合場所のJR山崎駅前へ。山を守るためか、伐採予定の木々に札がかかっています。

 途中、この地で活躍した連歌師で、俳諧の先駆者の一人、山崎宗鑑の石碑がありましたが判読できず。

 風寒し破れ障子の神無月    宗鑑

 渋色に染むるは柿のもみじかな 宗鑑

 

 JR山崎駅前の広場に面して妙喜庵。ここに「待庵」があります。待庵は、千利休が作った唯一現存する日本最古の茶室で国宝。山崎の合戦のとき、秀吉の陣中に建てた茶室を解体・移築したものといわれ、茶席は二畳、次の間と勝手の間を合わせて四畳半の空間。利休は以後秀吉に仕えます。

 メンバーが揃い出発。角を曲がると離宮八幡宮。

 

 世話役のだっくすさんとさくらさんが、社務所で句会の賞品を買っている間、各自、落葉の舞う境内を散策。

 短日の男ばかりがなお苦吟  播町①

 離宮八幡宮は、貞観元年(859年)に建立。当時、山崎は淀川水運の拠点港で、名水が豊富に湧いていました。今も数百メートル南にある水無瀬神宮の境内に、名水百選の「離宮の水」があります。

 雪ながら山もと霞む夕かな  宗祇(水無瀬三吟)

 石清水八幡宮が男山に移った後、ここが嵯峨天皇の離宮であったことから「離宮八幡宮」となりました。

 貞観年間(859年~877年)、神官が搾油器を発明し、日本初のえごま油の製造が始まります。えごま油は神社の灯火に必要で、室町時代には宮廷や全国の社寺、一般の人々も山崎のえごま油を求め、「大山崎油座」はえごま油の販売権を独占し栄えました。

 このことから離宮八幡宮は油売買の神様として崇敬され、境内には、製油業界による「本邦製油発祥地碑」や「油祖像」が立っています。

  

 広大な敷地と「西の日光」と呼ばれる壮麗な社を誇った離宮八幡宮は、幕末、禁門の変の時、長州藩の屯所が山崎にあったため、攻撃を受けて焼失。明治4年に境内北側を鉄道事業に提供し、現在の規模に。

 

 昼食場所に移動。

 創業140年の老舗料理旅館「三笑亭」まで来ると、店の前に「従是東山城国」の道標。摂津国と山城国の境です。かつての山崎は宿場町で自治都市でした。

 

離宮てんぷら -お・も・て・な・し-

 お腹ぺこぺこ。おまちかねの「三笑亭」での昼食。

 秋出水三川集い宴かな  ひろひろ

 2階の座敷へ。黒光りする柱や絵画、掛け軸に歴史を感じます。「播磨国」と「摂津国」が対峙して、ビールで乾杯。

 

  

ビールは地元サントリーのザ・プレミアム・モルツ。出来たてなのか旨い。これで敵を酔わそう。

料理は小鉢、刺身、炊き合わせ。ボリュームがあり、温かく懐かしい「お・も・て・な・し」。

 

 

 三笑亭一足先に正月来        見水

 桐一葉「人生いろいろ」など云ひつ  りっこ④

 「三笑亭夢楽という落語家もいたけど、ここの『三笑亭』のいわれは何」

 「店のパンフレットに書いてあるけど……」

 パンフレットで説明しようとするが、お互いに酔いが回ってわからない。交代しても同じ。続出する珍答に全員爆笑。「三笑亭」が「十笑亭」に。

 話題は、今日の吟行の感想や11月8日に75歳で亡くなった歌手の島倉千代子のこと、最近の歌の歌詞のことなど。

  

 天ぷらは期待どおり。茹でた小豆の上澄みと餡を別々に固めた水羊羹のデザートも大満足。

 天ぷらも俳句の味もうまし秋  英

 秋寂ぶや宿三笑にすこし酔ふ  播町

 店の前で全員集合写真も撮ってもらい、大山崎ふるさとセンターへ。

 

句合戦 -倍返し-

 席に着き、短冊に自作の5句を書いて提出。2階の歴史資料館の「待庵」の原寸大復元模型も見学。

  

 提出された短冊をバラし、手分けして清書し選句表を完成させ、全員分コピー。

 その間、つきひさんご持参のクリスマス菓子・シュト―レンをいただきます。

 おーい秋まだ日があるぞ急ぐなよ  ひろひろ①

 句会スタート。全員に選句表を配付し、各自、気に入った句を選句。

 午後3時、つきひさんの進行で、順番に特選句から発表。作者も明かされます 

 本日の高得点句は、

 百年の時を刻む大山崎山荘を「冬館」と詠んだ

 古時計迷路めきたる冬館   つきひ◎◎◎

 と、「三笑亭」での楽しい会食を詠んだ

 三笑の謂れひもとく冬座敷  どんぐり⑧◎◎

 後で調べると、「三笑亭」の「三笑」のいわれは、中国の「虎渓三笑」の故事から。「虎渓三笑」というのは、中国の僧・慧遠が、来客を送る際に、虎渓という谷川で足をとめ、そこを渡らない戒律を守っていたのに、詩人の陶淵明と道士の陸修静が訪れ、三者で夢中で話し込んでいるうち、興が乗じて思わず虎渓を越えてしまい、虎のほえる声を聞いて気づき三人とも大笑いをした、というお話。

 「虎渓三笑」の故事は江戸時代にはよく知れ渡っており、「三笑亭」の命名は、「顧客接待の誠はかくあるべし」の信条によるものでした。 

 個人戦の得点と各賞・賞品は以下のとおり。

   1位 天王山賞   どんぐり(15点)しそ油(えごま油)

  2位 準優勝    つきひ (13点)えごま油ドレッシング

  3位 殊勲賞    りっこ (12点)えごま油ドレッシング

  3位 敢闘賞    だっくす(12点)マグカップ

  5位 技能賞    さくら (6点)マグカップ

  6位 天下分け目賞 見水  (5点)ビスケット

  7位   〃    一風  (3点)ビスケット

  8位 逆引き技能賞 播町  (2点)ペーパーナプキン

  8位  〃 敢闘賞 ひろひろ(2点)ビスケット

  10位  〃 殊勲賞 英   (0点)一筆箋

 

 総点数70点の行方は、播磨国38点、摂津国32点で、団体戦は播磨国に軍配。

 女性軍5名の得点は58点、男性軍5名の得点が12点、大差をつけ女性軍の圧勝。男性軍の勝利は、「夢のまた夢」でしょうか。

 だっくすさんは出句の5句すべて得点しパーフェクト。

 

 午後4時半に句会終了。天気にめぐまれ、楽しい吟行でした。お世話いただいた、だっくすさん、さくらさんに心から感謝。

 今年も、もう師走。そして新しい年がやってきます。

 一年のとしてかくして暮にけり  宗鑑

 とび梅やかろがろしくも神の春  守武

 秋以降、「清須会議」や「利休にたずねよ」の映画など、自由で絢爛たる安土桃山時代への関心が高まっています。来年のNHK大河ドラマは「軍師官兵衛」。楽しみです。

 春の句会にまたお会いしましょう。そのときは、男性軍!“10倍返し”だ。

 

2013.12 写真/bancho,mimizu文/mimizu

 


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6 コメント

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流行語大賞もぴったり! (つきひ)
2013-12-09 15:53:56
句会を思い出しながら楽しく読みました。
この記事で改めて勉強させて貰いました。感謝。
賞品の『エゴマドレッシング』美味しいです。ごちそうさまでした!
次回、男性軍の10倍返し!期待しています!
会計報告です (だっくす)
2013-12-09 17:48:57
素敵なまとめをありがとうございました。歴史的にも地理的にも凄い所に行ったのだと改めて思いました。

会計報告です。
今回は夕食ではなく、句の提出を控えた昼食のためか酒量が少なくて、会費内で収まりました。

・収入:会費7,000×10=70,000円、繰越金 16,493円
合計 86,493円

・支出:美術館入館料 800×6+900×4=8,400円、昼食(三笑亭)45,700円、賞品 9,280円、会議室使用料 1,800円、お茶 1,260円、郵送費(会議室申込書留、案内はがき) 660円、コピー代 340円、合計 67,440円

・次回への繰越:19,053円
残念だったこと、三つ。 (播町)
2013-12-10 08:05:57
残念だったこと、三つ。①英さんの「秋冷や大河の向こうは男山」を誰もとらなかったこと。当方も、天王山ばかり頭にあって、石清水八幡宮のある男山に気づかなかったです。②夜の懇親会が無かったので、みなさんの近況が聞けなかったこと。③当ブログ、今度も見水さんの吟行記はすばらしい。これでろまん亭さんの写真が加わっていたらなと。みなさんお世話になりました。
すばらしい! (どんぐり)
2013-12-15 12:35:13
改めて読み直したら、コメント欄に気づきました。
すばらしい記録ですね。 
見てない所や気付かなかった所がいろいろあり、判りやすく解説されてて納得したり、感心したり。
同じ場所に居させてもらったのに、得るものが大違いです。
ありがとうございました。そしてお世話になりました。
行きたい (まーちゃん)
2013-12-15 20:17:41
まーちゃんです
今でしょとかいろいろ面白いですね。
私も行ってみたい^^
かくれファン発見! (つきひ)
2014-01-10 10:40:21
昨年の12月29日、病院時代のゴルフ仲間の忘年会に出席しました。思いがけない人からもみじ句会読みましたよといわれてびっくり!実は彼は波平さんのファンでブログを読むついでにランダム句会も読んでいるようです。
スマホを持っている人がいてその場で句会の写真など皆に見せてくれました。ランダム句会のかくれファンのいる忘年会は盛り上がりましたよ。

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