神戸っ子ランナーのマラソンブログ

六甲アイランドを中心に神戸市内でランニングを楽しんでいます。
マラソン大好きな市民ランナーのブログです。

サブスリーを目指して③<2012年~現在>

2016-10-23 23:00:00 | ダイアリー
2011年秋に大阪マラソンでサブスリーに初挑戦、
そして神戸マラソンでサブスリーにあと僅かのところまで手が届き、
いよいよ2012年こそサブスリー達成イヤーになると思っていました。

しかし、この2012年以降は苦難の道を歩むことになりました。
長年走ってきた疲労の蓄積かどうか分かりませんが、
時にはギックリ腰になったり、度重なる腰痛に襲われ、腰痛が持病のようになっていきました。

そして転職に伴い、遠距離通勤を余儀なくされ、
質も量も今までのような練習が出来なくなってしまいました。

2011年までは、どのレースもベストなコンディションで走れるように
レースを絞り、ひとつのレースに向けて3~4ヶ月かけて計画的な練習を積み重ねていました。

規則正しい生活を続け、故障をすることもなかったので
このような日々を続けていくことが出来たのだと思います。

マラソンは正直なスポーツで練習をすれば結果に繋がりますが、
練習が出来なければ、当然ですが良い結果は出ません。

さらに50歳を過ぎて加齢のせいか、心身ともに疲れがとれにくくなってきました。
モチベーションも知らず知らずのうちに下がっていきました。

このような様々な理由でつかみかけた?サブスリーは徐々に遠のいていきました。

しかし、一年一年、年齢を重ねていくうちに、マラソンの違った楽しみ方を覚えるようになりました。

今までは自分が速く走り、結果を出すことによって達成感や爽快感を味わっていましたが、
ここ最近はランニング仲間を応援することや、
まだランニング歴の浅い人たちに自分の経験や知識を伝えたりすることに
面白味を感じるようになってきました。

そして自分の応援やメッセージなどで、
ランニング仲間が喜んでくれたり、良い結果を出したりすることが、
自分自身の喜びにもなっていきました。

(神戸マラソン2013の応援)


(東京マラソン2014の応援)


ペーサーとして一緒に走って仲間の記録達成に協力したこともありました。
(長野マラソン2015)


(大阪マラソン2015)



速く走っている時は1分でも1秒でも速いタイムで走りたいという気持ちを持っていましたが、
最近はスマホで写真を撮影しながら走ることに楽しみを覚えています。

(大阪マラソン2015)



(東京マラソン2016)




(長野マラソン2016)



(ゴールドコーストマラソン2016)



(北海道マラソン2016)



そうしているうちに、速く走ることやサブスリー達成の目標は、いつの間にか忘れてしまっていました。

ところが今年の北海道マラソン当日、
以前に取材していただいた某スポーツ紙の記者に誘われ、打ち上げに参加した時、あるランナーを紹介されました。

その方は、なんと58歳のサブスリーランナーだということを聞かされました。
それも54歳からランニングを始めて、今年サブスリーを達成されたそうです。

この方は埼玉にお住まいのKさんという方ですが、
Kさんは「58歳の私が2時間58分で走れましたから、55歳のT田さんなら2時間55分で走れますよ!」と
私を励ましてくれました。

あきらめかけていたサブスリーに、もう一度チャレンジしようかなと、そんな気を起こさせてくれた有難いお言葉でした。

(Kさんと記念撮影)


(参加メンバーの集合写真)


私は最近まで「もう55歳だから・・・。」というネガティブな考え方をしていましたが、
今後は「まだ55歳だから、頑張ろう。」というポジティブシンキングに転換しようと思います。

5年前の2011年をピークにタイムも練習量もモチベーションも全て下降線をたどっていて、
今からV字回復して、もう一度速くなるということは限りなく難しいというのは自分でも理解していますが、
また速いタイムで走れるように、もう少し頑張ってみようと思っています。

今シーズンは人気大会にほとんど当選し、来年春まで次のレースに出場が決まっています。

 <2016年>
  10月 大阪マラソン
  11月 神戸マラソン
  12月 NAHAマラソン

 <2017年>
   2月 東京マラソン
   4月 長野マラソン

今シーズンに結果を出すことは現実的には難しいので、
来シーズンに繋がるように、来春までのレースは練習という位置づけにして走ろうと思います。

幸いにも転職当時の遠距離通勤から現在は解放され、腰痛も以前より軽い症状になってきましたので、
来シーズンでは、このレースで結果を出すということが宣言できるようなコンディションにもっていきたいと思います。

とりあえず、『まだサブスリーはあきらめない。』というのが、結論です。
このブログを読んでくれている皆さんに良い報告ができるように、
しぶとく追い続けていきますので、引き続き応援よろしくお願いします!

サブスリーを目指して②<2011年回顧>

2016-10-15 21:30:01 | ダイアリー
2011年10月に初開催の第1回大阪マラソン。
いよいよこの大会で初めてサブスリーに挑戦することになりました。

とにかくスタートから1km4分15秒以内、
5km21分15秒以内のペースを刻んでいかないとサブスリーは達成することができません。

スタートしてからは少し速いペースの5km21分ペースで前へ進んでいきました。
中間地点手前の折り返しではまだ後ろに3時間のペーサー集団がいることを確認し、
まだ充分余裕のペース。
前半のハーフ通過は1時間29分でペースはほぼ予定どおりです。


しかし今まで経験したことのない速いペースで走っていたため、
25km以降徐々に足が重くなってきました。
30kmまではサブスリーペースでしたが、このあとが大失速・・・。

後ろにいた3時間のペーサー集団にも抜いていかれ、
その集団がだんだん小さくなっていきました・・・。
33kmあたりの住之江公園付近では途中リタイアして、
3週間後の神戸マラソンで出直そうかという考えも頭をよぎりましたが、
このあとのコースに大応援団が待ち構えていることを考えるとそれは出来ませんでした。


結局後半のハーフは1時間38分もかかり、3時間07分台のゴールでした。


初のサブスリー挑戦は惨敗に終わりました。



思い起こせば、今回のレースは反省だらけのレースでした。
まだ自分はサブスリーを達成するためには何か足りないものがあると感じました。

そして3週間後の神戸マラソンでは
サブスリーは狙わずに次に繋がるレースをするつもりで臨みました。
もちろん大阪マラソンから3週間しか経っていないので、
このレースに向けた調整練習はできていません。
とにかく地元神戸で初開催される第1回神戸マラソンを楽しもうという気持ちでスタートしました。

スタート後は混雑してなかなか自分の走るスペースを確保できませんでした。
前半の海沿いのコースでは、西からの強い向かい風に苦しみながら、
折り返し点の明石海峡大橋に向かって足を進めていきました。



折り返し点を過ぎてからは、すれ違うランナー仲間とエールを交わしながら、
東へ向かっていきました。
大阪マラソンの反省もあり、前半抑えて走っていたせいか、
25kmから無意識のうちにペースが上がりました。
25km~30kmの5kmはサブスリーペースよりも速く21分を切っていました。


30km以降は元のペースに戻りましたが、失速していく気配は全く無く、
終盤のポートアイランドも大応援の中、気持ちよく駆け抜けていきました。



そして結果はサブスリーを狙って走った大阪マラソンよりも
5分近く速い3時間03分11秒でゴール!(ネットタイムでは3時間02分50秒)
なんと夏の北海道マラソンで出した自己ベストのタイムを約3分更新するPBが出てしまいました!





このレースを振り返ってみるとやはり前半を抑えて走ったことが良い結果に繋がったと思いますし、
大阪マラソンから3週間しか経過していないのに
リカバリーは出来ていたのかという疑問はありますが、
これこそ3週間の間に「超回復」の現象が起こっていたのではないかと思っています。

サブスリーのペースは1km4分15秒ですが、
このレースでは平均すると1kmを4分18秒で走っていました。
1kmのペースをあと3秒短縮すれば、いよいよサブスリーということになります。

翌年こそサブスリー達成と意気込んでいましたが、
順風満帆に進んでいると思っていたランニング人生のシナリオが、
このあと思わぬ方向へ進んでしまいました・・・。

(続く)

サブスリーを目指して①<2011年回顧>

2016-10-09 22:05:39 | ダイアリー
このブログの紹介文にも書いていますが、私はフルマラソンのサブスリーを目指しています・・・。
というか正確にいえば、目指していましたという過去形になるのでしょうか・・・。
過去形とは認めたくはないのですが、現状では認めざるを得ないのかもしれません。

サブスリーとはフルマラソンを3時間以内で走ることで、日本国内の全ての市民ランナーの中でも
僅か数%しかいない市民ランナーの勲章であり、誇りのようなものだと思います。

サブスリーにチャレンジするためにランニング人生の中でいちばん頑張った時期は今から5年前の2011年です。

気持ちの整理をつけるため、そして今後のランニング人生をどのように歩んでいくべきか答えを出すために
この2011年を振り返ってみたいと思います。

40代の終わり頃からサブスリーを目指して練習やレースを頑張り続け、
少しずつタイムを短縮することが出来たので、50歳を迎えるまでにはサブスリーを達成したいという目標を持っていました。

前年の2010年より神戸で誕生したランニングチームに加入し、
今までより質量共に中身の濃い練習を積み重ねていき、サブスリーに挑戦するタイミングをうかがっていました。

50歳を迎える2011年、私は誕生月が6月のため、
50歳までに達成するためのラストチャンスとして、照準を合わせたレースは第1回から連続出場を続けていた4月の長野マラソンです!

サブスリー達成の舞台はこのレースしかないと心に決めて、年明けからハードな練習を続けていました。
この頃の月間走行距離は350km~400kmで時間を見つけては走っていましたし、寝ても覚めてもサブスリーのことばかり考えていました。

ところが長野マラソンに向けて順調に仕上がってきた頃、
3月11日にあの東日本大震災が起きて世の中が変わってしまいました・・・。
未曾有の大災害で、多くの犠牲者や被災者が溢れ、もう世の中はマラソンどころではなくなってしまいました。

その週末に予定されていた名古屋国際女子マラソン(現在は名古屋ウィメンズマラソン)は中止を余儀なくされ、
名古屋入りしていたランナーはスタートラインに立つことなく名古屋をあとにすることになりました。

この大会は夏のテグ世界陸上の選考会になっていましたが、中止になったため、
代替選考会は長野マラソンになるかもとの報道もあり、長野マラソンは一躍注目を集めることになりました。

この頃、全国各地の市民マラソンが続々と中止発表があり、
ひょっとしたら長野マラソンも中止になる可能性があることも脳裏をかすめましたが、大会に向けての練習は怠らずに頑張っていました。
しかし、結局長野マラソンも中止になってしまいました・・・。

目標を失い、少しショックを受けましたが、大震災で犠牲になった人々や家を失った人々に比べると
こんなことぐらい小さいことと自分に言い聞かせ、次のチャンスに備えて身体を作り直すことにしました。

そして迎えた8月の北海道マラソン!
長野マラソンが中止になったため、レース間隔は半年以上空きましたが、
秋以降に再度サブスリーに挑戦するための試金石になる重要なステップレースという位置づけでレースに臨みました。



過去2、3年、4月の長野マラソンは3時間10分前後のタイムで走っていましたが、
真夏の北海道マラソンは、暑さやコースのせいもあり、いつも3時間25分ぐらいのタイムでした。
ただサブスリーを狙っていくためには、このレースは3時間15分以内で走らなければいけないと考えていました。

真夏のフルマラソンの上、全国にテレビ中継のため、スタートはいちばん暑くなる12時10分です。
(※現在は午前9時スタート)
そしてこの日の最高気温は30℃を超え、とても好記録が出るはずのないコンディションです。
ところがこのレースで自分でもビックリの記録が出てしまいました。!

詳しくはブログのバックナンバー(2011年9月)にも書いていますが、
この夏(2016年)の北海道マラソンで優勝した吉田香織さんが、この大会では途中まで大独走!

長い直線の新川通りですれ違ってから、早くゴールして女子の結果を知りたいという気持ちが自分の足を前へ前へと進め、
後半にペースが上がるという今までに経験したことのないレース展開になりました。



そして自分でも想定外の自己ベストを更新する3時間06分04秒のタイムでゴール!(ネットタイム3時間05分40秒)
なんとなんと真夏の北海道マラソンでPBが出てしまいました。




長野マラソンは無念の中止になってしまいましたが、今までやってきた練習は無駄ではありませんでした。
練習はウソをつかないことが証明できたレースでしたし、いよいよ秋のレースに向けてサブスリーの挑戦権を得たと思いました。

夜の打ち上げでは谷川真理さんや吉田香織さんからも祝福してもらいました。


そして2ヶ月後の10月末、ついにサブスリーに初めて挑戦する第1回大阪マラソンのスタートラインに立ちました。

(続く)

北海道マラソン2016(後編)

2016-09-21 23:00:00 | ダイアリー
ゴール地点の大通公園で号外をもらって、レース結果を確認すると、
女子は吉田香織さんが優勝というビッグニュースが飛び込んできました!

彼女は2006年の北海道マラソンが初マラソン初優勝でした。
そして今回はそれ以来10年ぶりの優勝を公言していましたが、有言実行とはお見事です。
途中、新川通りですれ違った時はたぶん2位だったはず・・・。
いったいどこでどんな逆転劇のドラマがあったのか早く知りたくなりました。

いやしかし、北海道マラソンのような歴史あるメジャーな大会で、
同一人物が10年ぶりの優勝なんてなかなか出来ることではないと思います。
通常であれば10年という期間で年齢を重ねていけば、力が落ちていく可能性が高いはずなのに、
彼女は今回のレースでは10年前のタイムを上回り、まだまだ進化していることを証明したと思います。

そして夕方からはフェアウェルパーティーにランナー仲間と共に参加しました。
吉田香織さんは女子優勝の表彰を受け、ステージでインタビューを受けていました。



パーティーの途中、待ちに待った香織さんが我々のテーブルに来てくれて感激の対面!
優勝の祝福後、レースの話を聞いてみると、前の選手を抜いてトップに立ったのは終盤の北海道大学構内だったそうです。
去年の大会では私がレースを欠場して沿道で香織さんを応援していましたが、彼女はゴール前の直線で3位から2位に順位を上げました。
そして今回は2位から順位を上げ、優勝のゴールテープを切りましたが、偶然にも抜いた相手は去年と同じ選手だったのです。
やはり香織さんの10年のキャリアによって培われた駆け引きの上手さや勝負強さが、抜いた相手よりも一枚も二枚も上だったと思います。
彼女らしさを発揮した素晴らしいレースでした。

香織さんを囲んでみんなで集合写真!


優勝メダルはずっしりと重たかったです。


香織さんを応援に来ていた谷川真理さんもテーブルに来てくれて改めて乾杯!


ゴールドコースト以来の再会メンバーです。


そしてレジェンド・有森さんと感激の初対面!
なんと言ってもオリンピックで2大会連続でマラソンでメダルを獲得したのは日本ではこの人だけですし、凄いオーラを感じました。
今回のリオ五輪のマラソン結果を見ていると有森さんの偉大さがわかりますね。
昨日のトークショーのことなど少し話しましたが、なかなか気さくな人でした。


レース、そしてパーティーと、楽しい北海道マラソンの一日は無事終わりました。

翌日の朝刊には北海道マラソンの記事が満載でした。







今回の北海道マラソンは女子は来年の世界陸上の選考レースを兼ねています。
香織さんも含めた代表争いがこれから繰り広げられることになりますが、
彼女の今後にますます注目しながら応援していきたいと思います。

そして私のマラソンの今後の予定ですが、この秋以降下記のレースに出場予定です。
10月30日  大阪マラソン
11月20日  神戸マラソン
12月 4日  NAHAマラソン

最近は写真撮影しながらのファンランばかりですが、ここしばらくは腰痛も出ていないので、
きちんと練習をして、たまにはタイムを狙った走りも頑張りたいと思います。
ではまた次回の記事にご期待ください。

ゴールドコーストマラソンへGO!GO!(番外編)

2016-08-21 14:03:10 | ダイアリー
ゴールドコーストマラソンは無事終了しましたが、弾丸ツアーはまだ終わっていません。
オーストラリア滞在最終日も帰国便の時間まで目いっぱい動き回りました。

7月4日(月)
ゴールドコースト最終日は朝ホテルをチェックアウト後、空港へ。


帰国便は夜にシドニーから出発のため、まずは国内線で約800km南のシドニーに向かいました。
(ゴールドコースト発8:55 シドニー着10:30)

到着前に機内からはシドニーの美しい景色が見えてきました。



シドニー空港到着後は荷物を預けて身軽になってエアポートリンク(電車)で市内中心部まで移動しました。
空港内では、荷物預かり所がなかなか見つからず少し焦りましたが・・・。

電車でセントラル駅に到着。
シドニーは初めてなので右も左もわからない状況でしたが、地図を頼りになんとか迷わず移動できました。
シドニーといえば2000年にシドニー五輪が開催され、女子マラソンでは高橋尚子選手が金メダルを獲得した場所・・・。
もうあれから16年も経過してしまいましたが、一度は訪ねたかった都市です。

まずはここのショッピングセンターのフードコートで遅いランチ。


そして食後にようやく市内観光をスタート!

チャイナタウンのエリアです。



街の中心部は大きなビルや様々な建造物がありました。



シドニー観光の中心地、サーキュラーキーは平日とは思えないぐらい多くの人で賑わっていました。



そしてシドニーのシンボル、オペラハウスがついに目の前に現れました。




オペラハウスから少し離れ、近隣を散策しました。



セントメリーズ大聖堂です。少しだけ中に入ってみました。



市内には2階建ての観光バスが走っていました。


ぐるっと回って、再びサーキュラーキーに戻ってきました。
オペラハウスと並ぶシドニーのシンボル、ハーバーブリッジです。


歩き疲れたので、オペラハウス近くのこの場所で少し休憩。


夕暮れのオペラハウスも少しライトアップされて、なかなかいい感じです。



最後にシドニーの夜の街並みを見ながら、セントラル駅まで歩きました。






アッという間のシドニー半日観光でしたが、楽しい貴重な時間を過ごすことができました。
また次回は宿泊込でゆっくり行きたいですね。

そしてシドニー空港21:00発の便に無事搭乗し、オーストラリアに別れを告げました。


翌日7月5日(火)は早朝5時30分に羽田空港に到着。
国内線に移動後、伊丹空港まで乗って弾丸ツアーは予定どおり終了しました。
ただこのあと会社に出勤し、遅くまで仕事をしたのはさすがに疲れました・・・。

7月1日(金)夜に出発し、7月5日(火)朝に帰国という2泊5日の旅で夢を見ていたような5日間でしたが、
楽しい思い出がたくさん出来ました。

次のレースは8月27日の北海道マラソンです。
昨年は腰痛で無念の欠場でしたが、今年は今のところ無事出場できそうです。
またサボらずにレポートしたいと思います。