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走れ正直者(スピラノビッチ)

2015-01-16 19:59:36 | 浦和レッズ
アジアカップは、日本以外の試合もNHK-BSで放送されています。アジアのライバル国の映像は意外と手に入りにくいので楽しみにしていますが、まだ見ている時間を確保していないのでレポートはしばらくお待ちください。母から聞いた話では、元浦和DFのスピラノビッチが豪州代表のレギュラーCBなので、久しぶりに思い出しました。

スピラノビッチは、2010年に当時の浦和監督、フィンケのルートで、ドイツのニュルンベルクから浦和に移籍してきました。豪州人なのでアジア枠が使えたので獲得できた選手ですが、ブンデスリーガでの出場試合数は4年間で24試合とレギュラーではなく、将来性を期待しての獲得でした。

初めて映像で見た試合は2010年のPSM対徳島戦でした。この試合はスピラノビッチの未熟さが現れた試合なので覚えています。当時のスピラノビッチは、セットプレーで敵陣に上げたときに、腰の高さのボールをボレーで叩くことができないという欠点がありました。

これはフィンケが粘り強く育成しないと戦力にならないと、先が思いやられましたが、193cmの上背と1対1の強さは魅力的で、腰の高さのボールも、次第に体を折り曲げてヘディングで処理できるようになりました。フィンケ時代は十分な試合には出られませんでしたが、後任のペトロがスピラノビッチをレギュラーのCBに据えました。

当時の浦和の最終ラインは4バックで、スピラノビッチが相手FWに付いて後ろを永田がカバーする約束事でした。それがうまく行って、スピラノビッチがケネディを完封して名古屋に完勝した試合もあります。しかし、当時のスピラノビッチはまだ正直すぎるところがあり、相手FWとの駆け引きには難がありました。

それが表に出たのがアウェイの磐田戦でした。スピラノビッチは前田遼一をほぼ完全に抑えていましたが、最後に相手が見せたドリブルに意表を突かれ、痛恨のファウルでPKを献上して同点に追い付かれていました。こういう駆け引きが課題でしたが、ミシャには使われずカタールリーグに移籍して浦和を去りました。

しかし、スピラノビッチは浦和で初めて、レギュラーとして試合に出場し続ける経験ができました。今豪州代表に入れたのも、この経験がベースになっているはずで、映像を見たらチェックしてみようと思います。

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