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鈴木啓太の記憶

2017-07-16 14:21:59 | 浦和レッズ
明日は、埼スタで鈴木啓太の引退試合です。ドルトムント戦に出場した現役選手こそ出場しませんが、2006年のリーグ優勝を達成した「ギド・レッズ」のメンバーが一堂に会してくれます。ポンテやワシントンは、3年前に見たときに既にメタボ状態だったので、動きは期待できませんが、こういう試合は「いてくれるだけでいい」存在です。

今回は鈴木啓太の記憶です。啓太は、2000年のJ2に降格した浦和に、かつて澤登(清水)らを輩出した名門、東海大翔洋高校を卒業して入団してきました。2年前に入団した小野伸二のときは大きなフィーバーになりましたが、新人に過度な期待をかけるのは禁物と思ったのか、鈴木啓太に注目しているサポは少数でした。私も、無名時代の啓太にサインをもらったことがありますが、別のサポが「鈴木啓太だ」と言っていたから気が付いたという、今だから言える記憶です。

当時、鈴木啓太のブレイクのきっかけになった試合は、天皇杯2回戦のホンダロック戦です。その試合を、新監督のチッタ氏が見ていて高い評価をしたと聞いています。それは翌年の背番号にも現れ、当時31番だった啓太の背番号が、一気に13番に昇格したことで期待度が現れていました。浦和のボランチは石井でしたが、石井をDFに回して啓太をボランチで起用した、チッタ監督の後任のピッタ氏の抜擢で台頭することになります。

翌2002年に就任したオフト監督は、攻撃と守備を明確に分ける采配を見せました。守備力が売り物の啓太にとっては追い風ともいえ、啓太がこの年にボランチに定着して、内舘や長谷部と長年浦和の中盤の底を支えることになります。運動量の多さでいろんな場面に顔を出せる、ボールを回せるボランチでした。

啓太の記憶では、あまり名誉ではありませんが、出場停止になることが多かったというものもあります。どうしても、相手のカウンターを体で止めざるを得なかったので、イエローカードが累積してチームで最初に出場停止になるイメージでした。啓太と長谷部は、長谷部が「後ろは啓太君がなんとかしてくれるから思い切って上がれる」という信頼を構築していた関係でした。

2007年のACLの優勝でも、啓太は負傷していたキャプテンの山田暢久に代わってトロフィーを受け取る大役も果たしました。浦和が、少しずつ強いチームへと移行していった、上り坂の浦和を引っ張ってくれた啓太には、今でも感謝しかありません。
ジャンル:
サッカー
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