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不具者の世界歴史(連載第26回)

2017-06-14 | 〆不具者の世界歴史

Ⅴ 参加の時代

障碍者スターダム
 ノーマライゼーションの思潮が生じた頃と機を同じくして、障碍者五輪=パラリンピックが誕生している。1960年、第一回大会とみなされるローマ・パラリンピックが開催されたのである。ただし、当初はパラリンピックと呼ばれず、障碍者競技会の先駆者であった英国のストーク・マンデビル病院の名にちなみ、国際ストーク・マンデビル競技大会と銘打たれていた。
 パラリンピックの名称で定着するのは、1988年ソウル大会以降のことであり、一般のオリンピックと同年・同一都市での連続開催方式も定着した。以来、パラリンピックは回を追うごとに盛況となり、商業的な面でも最も成功した障碍者競技大会となっていることは、周知のとおりである。
 こうしてパラリンピックの定着に至る過程では、リハビリテーション医学の発達に伴い、20世紀初頭頃より、リハビリ目的での障碍者競技が出現してきたことがあった。とりわけ大量の傷痍軍人を輩出した第一次世界大戦は、リハビリを兼ねた障碍者競技が発展する契機となった。これを土台として、傷痍軍人に限らず、障碍者全般を対象とする各種競技が発達していくことになる。
 それに加え、20世紀後半期以降、現在まで続く技術革新は、従来であれば想定できなかったスポーツへの身体障碍者のアクセシビリティーを高め、障碍者のスポーツ参加を飛躍的に促進した。これもまた、「参加」の時代を象徴する現象と言えるであろう。
 今や、有力なパラリンピック選手はスター的存在として、メディア上でも頻繁に取材・紹介され、一般にも知られるようになっている。障碍者スターダムの誕生である。もっとも、歴史を振り返れば、前近代から近世にかけても、障碍者芸人のようなある種のスターは存在してきたが、好奇心の対象としてのフリーク・ショウのスターではなく、社会の真っ当な関心を引く障碍者スターダムの出現は、パラリンピックの隆盛によるところが大きい。
 とはいえ、現行パラリンピックと一般オリンピックとは主催団体が異なり、あくまでも一般五輪の日程終了後に追加的な形で連続開催するという方式にとどまっており、両大会の間にはなお明確な一線が引かれている。
 このような分離開催方式は、ノーマライゼーションという観点からは、なお不充分さが残り、両大会の完全な統合化、さらに種目の性質によっては障碍者・非障碍者混合競技の創設なども将来的な課題として数えられるであろう。
 一方で、パラリンピック選手のように持てる身体能力を伸ばして社会的に活躍できるスター的障碍者とそれがかなわない重度障碍者の社会的格差という新たな問題も生じており、このような障碍者間格差は、後に言及する現代的な形態で再現前しつつある優生思想に何らかの刺激を与える可能性もある。
 障碍者スターダムという点では、芸術・芸能分野も活躍舞台となり得るが、現状、この分野での障碍者スターの姿はあまり見られない。ここには、かつての見世物的な障碍者芸能への否定的な意識が働いているかもしれない。
 しかし、絵画などアートの世界では障碍者アートが注目を集めたり、1987年創設の中国障碍者芸術団のように国際的に高い評価を受ける障碍者主体の総合芸術集団の活動など、旧式の見世物とは異なる障碍者固有の芸術活動も見られるようになっている。

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