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不具者の世界歴史(連載第15回)

2017-04-19 | 不具者の世界歴史

Ⅲ 見世物の時代

中近世日本の盲人組織
 中近世日本の障碍者の中で、視覚障碍者は特別な地位を持つようになっていた。いわゆる盲官の制度化である。その起源は9世紀、視覚障碍者を集めて琵琶や詩歌を教授していた自らも失明者の皇族人康〔さねやす〕親王の没後、近侍していた視覚障碍者らが盲官に任命されたことにあるとされる。その最高職を検校〔けんぎょう〕といった。
 さらに室町時代、足利一門でもあった明石覚一検校が幕府公認の盲人互助組織として当道座を創立したことで、視覚障碍者の組織化が進んだ。ただし、当道座は女性の加入を認めなかったため、女性視覚障碍者専用の座として瞽女〔ごぜ〕が組織された。
 こうした視覚障碍者の組織は楽器演奏を中心とする芸能組合的な性格が強く、欧米のフリーク・ショウほどの派手さや興行性はないものの、互助的な一種の職能組合として発達を遂げていった。特に当道座は検校を頂点に複雑な階級制をもって規律される日本的な身分制組織となる。
 ちなみに、映画『座頭市』で知られる座頭も当道座の上位階級の一つであり、まさに中世的職能組合である「座」の性格を反映した名称と言える。
 江戸時代には民衆統制の手段として、幕府は当道座を保護し、視覚障碍者の加入を奨励したため、座は隆盛を極めた。統率者たる検校の地位と権限は高まるとともに、階級の売買慣行により金銭腐敗も進んだ。また金融業務さえ認可されたため、武士相手の高利貸となる検校も現れるなど、当道座には当初の目的を越えた逸脱も見られた。
 もちろん、検校の中には本業である音楽や鍼灸で名声を博した「正統派」検校も多数いた。中でも独特の地位を築いたのは国学者となった塙保己一検校である。彼は検校となるに必要な素養である音楽や鍼灸などの本業が苦手だったため、やむなく視覚障碍者ではハンディーの多い学問の道に進み、そこで才覚が花開いた稀有の人であり、視覚障碍を持つ学者の先駆けでもあった。
 一方、瞽女は当道座のように幕府の公認を受けなかったため、地方ごとの民間芸能集団としての性格が強く、三味線演奏を中心に地方巡業の旅芸人一座として活動した。一部は地方の藩から屋敷の支給や扶持などの公的庇護を受け得た一方で、収益のためいかがわしい性的サービスに依存することもあったようである。
 いずれにせよ、こうした盲人の組織化は中世的な座の形態の限界内ではあれ、視覚障碍者が手に職を身につけ、生計を立てるための手段としてはほぼ唯一のものであった。それを幕藩体制が公認・庇護した限りでは、これも障碍者保護政策の先取りと言える側面を持っていたのである。

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