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不具者の世界歴史(連載最終回)

2017-07-11 | 〆不具者の世界歴史

Ⅴ 参加の時代

映像全盛時代と醜形者
 本連載では、「不具者」というそれ自体も決して穏当でない用語に、障碍者とともに、容姿に欠陥を持つ「醜形者」―この用語も現代的規準では差別語とみなされるおそれがあるが、誰にも理解できる穏当な用語に言い換えられないため、あえてこれを使用する―を含めて、世界歴史を俯瞰してきた。
 もっとも、ひとくちに醜形者といっても、顔面に痣や瘤のような目に見える病変を持つ者と、単に容姿が社会通念的な審美基準に照らして醜悪とまなざされる者とがある。前者はある種の身体障碍者―顔面障碍者―と解釈することもできるが、後者との差異はしばしば相対的であるので、ここでは両者まとめて醜形者として扱う。
 人類は、おそらく先史時代から容姿の美醜という漠然とした尺度で互いを評価し合う性向を有していると思われるが、現代の映像全盛時代には、人間の容姿に対する相互の視線がいっそう審美的となり、美容整形も盛んになる中、醜形者は不利な立場に追い込まれやすい。
 「人は見た目がすべて」といった価値尺度が公然と唱道されることも少なくない。このような容姿至上主義の価値観は、かの優生思想ともつながっている。要するに、容姿にも優れた健常者を優越的な人間と評価しつつ、その基準を満たさない者を劣等者として社会的に排除していこうとする衝動である。
 これに対しては、容姿の欠陥をむしろ逆手にとり、当事者から社会にカミングアウトしていこうとする運動も起きている。顔面障碍者の啓発運動としてのユニーク・フェイス運動や、より広く社会的少数者たる当事者を「本」に見立てて、その話を聴きたい一般市民に自身を「貸し出す」というヒューマンライブラリー運動などもそれに含まれる。
 また、肥満者や低身長者が芸能人として活動するケースも散見される。醜形者の芸能活動には、かつて障碍者がフリーク・ショウのような見世物で生活せざるを得なかった時代の既視感もあるが、より積極的に、映像全盛時代における醜形者の社会的認知の動きととらえることもできるだろう。
 こうして、醜形者にとっても現代は「参加」の時代なのかもしれない。とはいえ、容姿の美醜という漠然とした尺度にとらわれがちな人類の性向が根本的に変化したわけではない。障碍者を二級市民扱いする価値観とともに、醜形者を劣等者とみなす価値観が完全に克服された時、「不具者の世界歴史」も終焉するのであろう。(連載終了)

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