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農民の世界歴史(連載第48回)

2017-06-19 | 〆農民の世界歴史

第11章 農民の政治的組織化

(3)日本の農協政治

 総体としては資本主義体制を維持しながら、小土地農民を協同組合に組織化して、農業市場を政府が管理する体制で現在完了的に長期的な成功を収めたのが、戦後日本である。それは農協政治とも呼ぶべき独特の体制であった。
 日本の農協の沿革は戦時中に戦争目的で組織された生産統制組織に由来するが、占領軍は農地改革後の農政の中心組織として、取り急ぎこの旧制を衣替えした新たな農協組織を創設することとした。そのため、日本の戦後農協制度は家族農を中心としながら、中央統制的かつ行政直結型の独異な組織として発達した。
 それは、農地の売買・賃貸を厳しく制約して大土地所有の出現を阻止する農地法と、米麦を中心とした主食農産品の流通を政府が管理し、農家の所得を確保する食糧管理制度とリンクしつつ、混合経済的な管理農政の中核組織として機能したのである。
 同時に、中央指導部(中央会)を中心に全国にくまなく組織された農協が農政を政治的に指導する保守政党の集票マシンとなって、戦後のほとんどを占める保守優位体制の下支えともなったのである。その点、戦前の小作人を中心とする貧農らが社会主義的政党を組織し、農村にも共産主義思想が浸透していた流れを断ち切り、農村部を保守の牙城、まさしく「票田」とするうえで、農協制度は極めて重要な役割を果たしてきた。
 また農協は系列金融機関や病院組織すら傘下に持つ農村の総合サービス組織でもあり、中国の旧人民公社のレベルまではいかないが、農村生活の制度的基盤でもあった点で、おそらく他のいかなる類似組合組織よりも、高い団結力を保持してきた。
 しかし、1990年代以降、新自由主義・自由貿易主義の潮流が日本にも及んでくると、農協の状況も変貌する。すでに、60年代末から自主流通米制度が存在したが、1995年の食糧管理制度の実質的廃止により、農産物を農家が自由に流通させることができるようになったのは大きな転換点であった。
 さらに、09年の農地法大改正による農地の賃貸自由化は資本主義的な借地農業に道を開き、農協のライバルとなり得る株式会社を含む商業性の強い農業生産法人の増加を促進した。2016年には農協法の大改正により、聖域とも言える中央会の監査・指導権が削除され(将来的に廃止)、農協の分権化が図られた。
 内部的にも、離農・後継者断絶による組合員減少により、票田機能も期待できなくなり、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)に代表される自由貿易主義の波に政治的に抵抗することも困難になる中、日本の農協政治は重要な岐路に立たされているところである。

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