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共産論(連載第32回)

2017-05-12 | 〆共産論[改訂第2版]

第5章 共産主義社会の実際(四):厚生

(5)名実ともにバリアフリー化が進む:People with disabilities appreciate advanced accessibility in name and reality.

◇脱施設化
 近年、資本主義社会でもバリアフリー化が叫ばれるが、完全バリアフリー化はここでもやはり財源=カネがネックとなってなかなか進展しない。貨幣経済ではなく、財源に拘束されない共産主義は、この問題も難なくクリアするであろう。
 共産主義的都市計画では高層ビルよりもバリアフリーが重視され、公共的な場所・建造物はすべてバリアフリー化を義務付けられ、バリアフリー住宅の建設も推進される。しかし、このような物理的バリアフリー化がどれほど進んでも障碍者が施設に収容され、見えない鎖でつながれていて街なかへ繰り出せないのでは意味がない。
 その点、労働力として「使えない」障碍者は施設で「保護」するという発想の強い資本主義社会では、各種の障碍者施設や病院より施設に近い精神病院のような制度を発達させてきた。しかし、共産主義社会はこうした施設の撤廃を高度に実現するだろう。
 高度な脱施設化(施設解体)を進めるためには、その前提的な受け皿として在宅地域ケアを整備する必要があることは高齢者の場合と同様である。この点、障碍者のケアには高齢者のケアと共通する部分も多いので、前回述べた公共介護ステーションで対応可能な部分は対応し、対応し切れない部分(例えば精神障碍者ケア)は地域圏レベルの障碍者専門サービスで対応することができる。

◇障碍者主体の生産事業体
 障碍者の場合は、ケアの問題ばかりでなく、社会参加の保障、特に働く場所の確保が必要である。現状では、障碍者も自立的に生計を立てようとすれば賃労働に従事する必要があるが、壁は厚い。その特性に応じて様々な配慮が不可欠な障碍者は通常の労働者のように賃金奴隷として搾取することが難しいため、資本企業にとっては労働力としての魅力に乏しいことがその原因である。
 これに対して、共産主義的労働は、第3章で詳しく見たように、無償の労働である。それは社会的協力としての労働であるから、障碍者も障碍者なりの力量とペースで働く場を見出すことがずっとしやすくなるであろう。
 また資本主義の下では利潤追求競争に乗り切れない授産施設のような事業体も、単なる「授産」を超えて障碍者主体の自主的な生産事業体として立ち行くであろう。
 この点でも、交換価値中心でなく使用価値中心の共産主義社会は本質的に“障碍者にやさしい”経済システムであり得るし、共産主義社会において中小規模の主流的な生産組織となる生産協同組合も、営利性を持たない点で障碍者自身による生産プロジェクトを展開するうえでは株式会社形態よりも適していると言えよう。

◇「反差別」と心のバリアフリー
 バリアフリー政策においては物理的なバリアフリーも重要であるが、それよりも根源的な次元で重要なことは、一般社会に潜在化する障碍者排斥的な心のバリアを撤廃すること、言わば心のバリアフリー化である。それなくしては脱施設化も幻と終わるだろうからである。
 この心のバリアフリー化に至っては、もはや共産主義云々とは直接に関係のない、人間社会にとって普遍的な課題であるように思われるかもしれない。しかし必ずしもそうではない。
 共産主義的社会道徳の柱は「反差別」である。共産主義社会は、すでに再三述べてきたように、社会的協力=助け合いを本旨とする以上、異質の者を排斥・隔離することは社会の根本法則に反するのである。
 そこで、次章でも述べるように、学校教育の早い段階から普通学校(学級)と障碍児の療育に当たる療育学校(学級)の交流・統合教育を活発に進めて、障碍者を社会の対等な成員として迎え入れる意識を早期から養う教育が強力に行われることになろう。

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