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共産論(連載第51回)

2017-07-09 | 〆共産論[改訂第2版]

第9章 非暴力革命のプロセス

(2)対抗権力を作り出す:Set up a counterpower

◇未然革命
 革命のプロセスの中では、旧体制瓦解・革命体制樹立のクライマックスが突如として現れるのではなく、そこへ至るまでの未然革命のような段階がある。つまり、まだ現存している支配体制と同時に革命体制の骨組みのような未完の体制とが並存・拮抗する状況である。これを「対抗権力状況」と呼ぶことにする。
 民衆会議の結成・展開がほぼ全国的に完了すれば、その段階で原初の対抗権力が作り出される。なぜなら、この民衆会議自体が革命後にはそのまま公式の統治機構へ移行することを予定しているからである。
 しかし本格的な対抗権力状況を生じさせるには、民衆会議の民主的正統性を広く人々に認知してもらい、革命の意義と集団棄権への参加を呼びかけていくうねりを作り出さねばならない。それがまさしく難儀だということは、率直に認めざるを得ない。
 まず、民衆会議こそ真の多数派を代表する政治機関―言わば「真の有権者団」―であるということを認知させるには、メンバー数とその民衆的な活動実績を示す必要がある。メンバー数(盟約員数)として全人口の過半数の加盟は夢としても、潜在的なシンパを含めれば多数派を代表していると主張できる線まで何とか持っていけるかどうかである。
 そのためにも民衆的活動実績が必要なのであるが、これは民衆会議の活動の二本目の柱である自主福祉活動の成否にかかることである。この活動を通じて、民衆会議が凡百の政党や政府よりも民衆のために働く政治機関として十分な適格性を有していることを証明することができるだろうからである。

◇集団棄権の実行
 技術的に最も困難を伴うのは集団棄権の組織化である。この点で興味深いのは、議会制民主主義が定着していると評価される日本の公職選挙の投票率がかねてより全般に低調なことである。国政選挙でもおおむね60パーセント台が近年の相場で、地方選挙では50パーセントを割り込むことも珍しくない。
 日本の公職選挙全般でこのように棄権者が多い理由は詳細に分析されていないが、すでに選挙政治全般に対する有権者の冷めた失望感が底流に相当伏在していると推測することも許されるのではないだろうか。実は、日本の半数くらいの有権者はすでに一種の集団棄権を―そうと明確に意識しないまでも―個人で実践していると言ってよいほどなのだ。
 とはいえ、前述したように、公職選挙における当選に必要な最低得票数は法律上意図的に極めて低く設定されているため、棄権率が現在の程度であれば、選挙の効力自体にはいささかも影響を及ぼさない。
 そこで、選挙が法的に無効となるレベルまで棄権を組織化しなければならないわけだが、そんなことが果たして可能かどうか―。これは、世界史的にも前例のない未知の挑戦となる。

◇政治的権利としての「棄権」
 思うに、西洋ブルジョワ政治学の教科書的常識に反して「棄権」というものを積極的な政治的権利として高めていけるかどうかが鍵である。
 世界中で通説となった西洋ブルジョワ政治学の常識によれば、投票は有権者の神聖なる権利であって、我々の清き一票によって希望の未来が切り拓かれるのであるからして、棄権は未来を閉ざす愚行であり、有権者としての任務放棄であるとさえ非難される。
 この分厚い常識の壁を乗り超えるためにも、民衆会議は第4章で取り上げたような選挙信仰から人々の目を覚まさせるための選挙批判を具体的に展開していく必要がある。
 同時に、肝心な共産主義革命の意義への理解を浸透させるため、これまで示してきたような共産主義社会の具体像をわかりやすく解説する地道な努力も必要である。
 そうしたことの積み重ねの結果、いよいよ露わになった資本主義の限界に対処する能力を失った公式議会・政府に見切りをつけ、民衆会議こそが我々の真の政治的代表機関だとの意識が広く高まったところで、公式議会・政府に対する最終的不信任の行動として、最後のトドメとなる集団棄権が断行される。
 だが、その見通しは甘い!という叱声も聞こえてきそうである。そもそも意図的に低く設定された法定の当選有効要件を下回らせるような集団棄権は実行不可能であるし、仮にそれが可能な状況が生じかければ体制側は罰則付きの義務投票制を導入して対抗しようとするであろう、と。
 たしかにすべての公職選挙を完全に無効としてしまうような集団棄権を実行することは不可能かもしれない。しかし、極端に投票率の低い公職選挙は法的に有効であっても政治的には正当性を失う。
 そのような状況では、街頭デモのような民衆行動の後押しも受けて民衆会議が革命を成功に導く可能性も開かれてくるであろう。従って、前章でも論じたように、集団棄権という革命の方法は純粋にそれだけで成功するという性質のものではない。
 一方、義務投票制についてはすでに導入済みの国もある。とはいえ、棄権の罰則は罰金刑がほとんどで、しかも棄権者が多ければ多いほど、実際の取り締まりは事実上不可能となるので、この点に関してはさほど懸念する必要はないかもしれない。

◇対抗権力状況の開始
 さて、ともかくもそうして集団棄権が実現したとして、それで革命完了となるのではなく、それによってようやく対抗権力状況が始まるのである。
 日本をはじめ多くの諸国では、選挙後も何らかの事情で新政権が成立しない間は前政権を存続させたり、政権代行者を立てるなどして無政府状態を作り出さないように予め憲法上の用意がなされているため、仮に集団棄権が功を奏して新政権が成立しなくとも旧体制は合法的に居座ることができる
 ほとんどの場合、この残存旧体制は民衆会議に対する政権の移譲を拒み、革命体制の樹立を全力で阻止しにかかるであろう、と予測しておいてよいだろう。そこで、さらにその先のプロセスを想定しなければならない。

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