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不具者の世界歴史(連載第3回)

2017-02-22 | 〆不具者の世界歴史

Ⅰ 神秘化の時代

神話の中の障碍者
 古代における障碍者は、神話の中に文学的な形でその存在性が記録されている。例えばギリシャ神話には様々な障碍を持つ人物が登場するが、中でも興味深いのは炎と鍛冶の神ヘーパイストスである。ヘーパイストスは最高神ゼウスと後妻ヘーラーの子だが、両足に先天障碍を持って生まれたため、天から海に捨てられたとされる。
 この逸話からは、古代ギリシャでは先天性障碍児を捨て子にする習慣があったとも推測できるが、類似の例は日本神話にも見られる。すなわち国産み神であるイザナギとイザナミの夫婦神の第一子(または第二子)ヒルコは障碍児であったため、葦舟に乗せて海に流してしまったとされる。
 もっとも、ギリシャ神話のヘーパイストスは海の女神に救われ、養育された後、天に帰ったとされるから、ここからは障碍児を引き取って養育するような習慣の存在も推測できるところである。成長したヘーパイストスは武器製造者となったことで、炎や鍛冶の神とされた。
 ちなみに、鍛冶や鋳物の神々はヘーパイストスに限らず、ドイツのフォルンド、フィンランドのワンナモイネンなど多くは身体障碍を持っているが、これは古拙な鍛冶技術の限界から労災により障碍者となりやすかったことを象徴しているのかもしれない。
 日本の天目一箇神(あまのまひとつめのかみ)も、鍛冶職人が鉄色で温度を計測するのに片目をつぶることからとする説のほかに、片目を失明する職業病を象徴するとする説があるが、後者とすれば視覚障碍者を象徴する神であろう。
 一方、北欧神話やケルト神話には隻腕の神が登場するが、これは戦争の多発による傷痍者が多かったことを象徴するものであろう。特にケルト神話に登場するヌアザ神は戦闘で片腕を失ったため、身体欠損者を王位不適格とするケルトの掟により王位に就けなかったとされるが、ここには身体障碍者を欠格者とみなすある種の差別政策の芽生えを読み取ることもできる。
 もっとも、ヌアザ神は医神ディアン・ケヒトの製作した義手を得て、最終的にはディアン・ケヒトの子神ミアハの治療で腕が復活し(!)、王位に就けたとされる。これは医療的なリハビリテーションの萌芽とも言える神話的記述である。
 全般に、諸民族の神話中の障碍者は必ずしも忌むべき者としては描かれておらず、むしろ特別な存在として位置づけられ、神秘化されていると見ることもできるであろう。

醜女と醜男
 ところで、日本神話には、醜女(しこめ)と醜男(しこお)という対関係の特徴的な神名が登場する。前者は正式には黄泉醜女(よもつしこめ)といい、黄泉国に住む鬼女とされる。イザナギが亡きイザナミの後を追い、黄泉国まで赴いた時、約束を違えて腐敗したイザナミの姿を見てしまったため、イザナミが黄泉醜女らに逃げるイザナギを追跡させたという。
 醜女とは文字どおりに取れば、容姿の醜い女という趣意で、現代語としては女性に対する容姿差別的表現としてほぼ死語に近い。しかし神話の中の黄泉醜女は単に醜いのではなく、実際に鬼の形相をした鬼女であり、かつ一飛びで千里走れるという俊足の持ち主ともされる。
 他方、醜男のほうは出雲神の大国主の多数ある別名の一つとして、葦原醜男(あしはらのしこお)として登場する。葦原とは高天原と黄泉国との中間の世界、すなわち日本の国土を指し、この場合の醜男とは勇者を意味する。直訳すれば、「日本の勇者」という趣意で、大国主に対する一種の英雄称号である。
 「醜男」という文字にかかわらず、勇者を意味することから、別途「色許男」と真逆的とも言える表記をされることもある。実は、「醜女」も9代開化天皇の皇后とされる伊迦賀色許売命(いかがしこめのみこと)のように「色許売」と表記される場合がある。
 伊迦賀色許売命は、この年代の天皇と同様に実在性を確証できない伝説的な人物ではあるが、正史上は8代孝元天皇の側室の一人であるとともに、開化天皇との間に御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)と称えられる10代崇神天皇を産んだとされ、皇統上は重要な人物である。おそらく「色許売」にも、勇者に相応する女傑のような含意があるのだろう。
 このように、文字どおりなら容姿の醜悪さを示す悪名と思われる醜女/醜男が同時にポジティブな含意の別表記に置換されることもあるという事実は、醜形を単に劣等視するのでなく、むしろ強さやそこから湧出するある種の神秘的な色気(?)のような側面を両義的に表現しているようにも読み取れるのである。

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