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共産論(連載第30回)

2017-05-05 | 〆共産論[改訂第2版]

第5章 共産主義社会の実際(四):厚生

(3)効率的かつ公平な医療制度が提供される:People appreciate efficient and equal medical service.

◇地域圏中心の医療制度
 年金不安と並んで、資本主義的福祉国家の揺らぎを象徴するのが、医療へのアクセスが悪化する医療難である。医療難は医療費の公的負担率の高い国にとっては共通の不安材料である。
 医療難も、種々の技術的な要因はともかくとして、根源的には医療財政の悪化、つまりはまたしてもカネの問題である。いったん危機に瀕した医療制度をどうにか立て直すには、公的医療の患者負担率の引き上げ―つまりは“慈悲診療”ならぬ“自費診療”への転化―や医療保険料の増額によって、低所得者・貧困者を医療から遠ざけるほかない。
 これに対して、およそ財源という不安定要素から解放される共産主義社会では、より効率的かつ公平な医療制度が提供されるだろう。共産主義的医療のあり方にもいろいろの制度が考えられるが、例えば次のようになろう。
 まず、医療の柱である地域医療の最前線は市町村の過重負担とならないよう市町村ではなく、より広い中間自治体である地域圏が担う。このレベルで地域医療の拠点となる公立病院を運営するほか、過疎地では公立診療所も開設する。一方、従来からの私立病院・診療所も、地域圏レベルの登録医療機関として公的監督の下に診療活動を行う(ただし、開業医の資格条件や私立病院の医療の質に対する監督はより厳しいものとなろう)。
 また負担の重い救急分野も、財源の心配をすることなく、地域圏の拠点病院すべてに「たらい回し」ならぬ「ふるい分け」が可能な、充実したスタッフを擁する救急部門を設置して対応することができるであろう。
 これに対して、特定の疾患に対するより高度な治療や通常の病院では対応できない難病の治療・研究に関しては、広域自治体である地方圏ないしは中央の領域圏の専門的な病院の役割に集約される。

◇医師の計画配置
 一方、医療難の原因でもあり結果でもある医師の偏在問題についても、共産主義は大いに解決してくれるはずである。共産主義的医療では、医師の計画配置がごく当然の施策となるからである。
 すなわち、特別に高度な知識・技能を持つ特定専門医を除き、一般の医師をまずは地方圏ごとに登録したうえで、各地域圏の医療ニーズに応じてバランスよく各病院に配置し、過不足が生じないようにする。
 また、私立病院の医師や極めて厳格な資格認定のうえに認可される開業医にも原則的に非常勤もしくは嘱託の地域圏医療公務員の地位を兼ねさせ、必要に応じて地域圏の医師配置計画に組み入れる。共産主義社会では私立病院・開業医も収益事業ではなくなりボランティア化されることから、公立病院・診療所との違いも相対化されていき、その公共的な性格がより鮮明・高度なものとなるのである。

◇保健所・薬局の役割
 貨幣経済が廃される共産主義社会にあっては、どの医療機関でも(私立病院・診療所も含めて)患者の医療費負担というものはそもそもあり得ない。その結果、公的医療保険制度のような補助も一切必要なくなる。これなら公的医療保険制度を嫌悪する保守派米国民も大喜びするのではないだろうか。
 このような無償供給原則は他のすべての財・サービスの場合と同じである。しかし、そのような“医療天国”になったら病院という病院に急患が殺到しかねないという懸念があるかもしれない。
 その点、共産主義的医療では、保健所が疾病の予防という観点から、健康相談を通じた初期的診断や生活習慣上の助言を行なう総合的な診療サービスを提供することで、軽症者の病院殺到を防ぐ防波堤となるだろう。
 さらに、薬局も、資本主義下におけるような薬のスーパーマーケットではなく、軽症例に対する一定の診断と処方も行なうまさしく薬の局として機能するようになるだろう。それは、薬剤師が医師から独立した調剤専門家として確立され直すことによって実現する。

◇科学的かつ公正な製薬
 ここで医療制度とは切っても切れない関係にある薬剤開発の問題について触れておきたい。資本主義経済の下で、薬剤開発が巨大な製薬資本の手に握られていることは周知の世界的現象である。その結果、どういうことが起きているか。
 一つは製薬資本による医療支配である。すなわち臨床試験という名の人体実験を通じて新薬による治療を医療界に押し付けている。
 本来、薬剤の臨床試験は中立的かつ科学的、人道的に行われるべきであるが、実際は製薬資本から研究上の資金提供を受けている医学者らが実質的にお抱えの形で協力しているため、その結論はしばしば製薬資本有利に「操作」さえされる。甚だしきは、「新薬の開発のために新種の疾患を作出する」という本末転倒まで行われる。
 結果として、効果の疑わしい薬剤や害のある薬剤までが善意の一般医師によっても処方されるようになる。その結果重大な薬害が発生しても、製薬資本は容易なことでは法的責任を取ろうとしない。 
 これに対し、共産主義の下では第2章でも言及したように、製薬は社会的所有企業たる生産事業機構の一つである「製薬事業機構」が一括して担い、一般の経済計画とは別途、計画的に行われていく。臨床試験は事業機構とは全く別個独立の試験機関が科学的に厳密かつ人道的な方法で実施するほか、あらゆる薬剤の副反応を監視し、製造中止などの規制権限を持つ薬剤監視機関も設置される。
 最終的な形では、世界的なレベルで薬剤事業を統合し、今日の世界保健機関(WHO)のような専門機関の監督を受けながら世界標準の製薬と薬剤の頒布―当然にも無償―がコントロールされることになる。このことによって、今日エイズ禍に悩むアフリカ諸国など後発国におけるエイズ治療薬の低額頒布が製薬資本の特許の壁によって阻まれている問題も解決を見るであろう。

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