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農民の世界歴史(連載第8回)

2016-10-19 | 農民の世界歴史

第2章 古代ギリシャ/ローマにおける農民

(3)古代ローマ〈2〉

 前回見たとおり、古代ローマの大土地所有制ラティフンディアに対しては、カエサルの時代になって、ようやくメスが入ったのではあるが、カエサル自身の暗殺という不慮もあり、カエサルの名にちなんで「ユリウス法」とも呼ばれた農地改革法の効果は徹底されなかった。
 ただ、同法が成果を出そうと出すまいと、帝政時代に入ったローマでラティフンディアはその存立基盤を喪失する運命にあった。ラティフンディアを支えていた奴隷労働力が高騰し始めたのだ。
 その要因は、皮肉にも帝政ローマが主導する覇権的世界秩序が安定し―いわゆるパクス・ロマーナ(ローマの平和)―、戦争が減発したことにあった。奴隷は通常、征服戦争によって獲得した地域から供給されてきたため、征服戦争が減少すれば、奴隷も減少する結果となる。
 こうして奴隷の減少が奴隷市場の高騰を招き、さすがの富裕層も十分な奴隷を買い入れることができなくなった。そこで、大土地所有者らは奴隷に代えて無産者などを小作人として使用するシステムを編み出した。コロヌスと呼ばれたこれら小作人は奴隷とは異なり、人格を認められ、一定の財産権及び相続権も保障された自由人であり、地代の納付を義務付けられた一種の労働者であった。
 コロヌスを使用した新たな農場がコロナートゥスであるが、これは国有地の占有を基礎に成り立っていたラティフンディアと比べ、より私有制の色が濃く、一種の貴族荘園であった。
 いわゆる五賢帝によるパクス・ロマーナの時代が終わり、帝政ローマが内政の混乱により動揺し始めた3世紀以後になると、コロナートゥスは土地制度の面から帝国の解体を促進する要因となっていく。
 4世紀のコンスタンティヌス帝は東方のコンスタンティノポリスに遷都して帝国の東西分裂の契機を作ったが、土地制度面でもコロヌスの逃亡を禁ずる法律を制定したことで、コロナートゥスは帝国の分裂を促進した。
 これが直ちに西洋中世の封建制に連続したという見方には飛躍があろうが、これにより、大土地所有者は衰退していく帝国の支配を脱して、ある種の農場領主として自立化し始める一方、土地に束縛されたコロヌスらは農奴のような存在と化していった。ある意味では、ローマにおける、さらには後の西ヨーロッパにおける階級としての農民はこの時に誕生したと言えるかもしれない。
 しかし、東西分裂・西ローマ帝国滅亡後もコンスタンティノポリスを首都に生き延びた東ローマ帝国では、コロナートゥス型の荘園とともに、やがてはそれに代わって小土地所有農民で構成する村落が出現し、また時折農民出自の皇帝さえも輩出するが、この件は続く第二部で取り上げる。

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