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共産論(連載第3回)

2016-12-07 | 〆共産論[改訂第2版]

第1章 資本主義の限界

(1)資本主義は勝利していない(続)

◇ソ連型社会主義の実像
 
まず、ソ連型社会主義とは何であったかを簡明にまとめれば、それは国家が私企業を排除して自ら総資本家となり、国有企業体を通じて上からの経済開発を推進していく国家社会主義の体制であった。 (※)
 ただ、その国家を共産党が政権交代を伴わずに統治するといういわゆる一党独裁制が採用されたために、実質上は共産党が指導する国家社会主義体制と見ておけば間違いないであろう。
 この国家社会主義とは要するに、資本を国家に集中したうえに、国家(国家計画機関)が立案する経済計画に従って生産・流通・消費・再生産を回していくというものであるから、一面では「国家資本主義」とみなすことも不可能ではない。
 実際、この体制の下では資本主義の主要素である商品生産と賃労働とがれっきとして存続していたのであるから、それは資本主義と完全に決別した体制ではなかったのである。
 もっとも、国家社会主義体制は私企業を禁圧することを通じて生産手段の国有化を実現していた限りでは擬似共産主義的な性格も帯びており、要するに資本主義でも共産主義でもない中間的な「社会主義」の名を冠することにもそれなりの理由はあるわけであるが、資本主義とは単に法的な私企業の自由だけを意味するにとどまらず、商品生産と賃労働という生産および労働の様式に関わるものであるから、そうした様式をなお存置していたソ連型国家社会主義を純経済的に見たときには、「もう一つの資本主義」であったと言うことも論理上十分可能なのである。
 ここから中国の器用な経済的路線転換の成功を説明することもできるであろう。中国では1949年の建国後、当初は共産党の指導の下、ソ連流の国家社会主義体制が採用されたが成功せず、ソ連のゴルバチョフ改革に先立つこと十年近く以前に、資本主義を意識した「改革開放」へ踏み切り、ソ連邦解体以降はこうした共産党の指導の下での資本主義化を「社会主義市場経済」と規定していっそう強力に推進し、事実上の新興資本主義国として周知の急成長を遂げたのであった。
 このような中国の路線転換は、ソ連の失敗と対比してしばしば奇跡とも評されるが、実のところ、ソ連型国家社会主義の実質が先述のように「もう一つの資本主義」であったとするならば、中国式「社会主義市場経済」(=共産党が指導する資本主義)とは、国家社会主義の一つの脱構築的な「改革」方向であったとも言えるのである。
 実はソ連においても、すでに1960年代から経済管理の分権化や利潤率指標の重視などを軸とする市場経済を意識した経済改革の波はあり、西側資本との合弁事業も開始されるなど、社会主義と資本主義の収斂化(コンバージェンス)と呼ばれる現象は始まっていたのであるが、ソ連では中国ほどには市場経済化を徹底できないまま、体制そのものが終焉したのであった。

※ソ連とは対立的だったドイツのナチズムの訳として「国家社会主義」が充てられることもあるが、ナチズム( Nationalsozialismus )とは、国家を超えた民族共同体の建設を呼号するアーリア民族主義に重点のある全体主義ファシズムの亜種であるので、「民族社会主義」と訳すのが最も正確であり、「国家社会主義」とは区別される。

◇ソ連型社会主義の失敗
 それにしても、国家社会主義はなぜ失敗したのであろうか。最も中心的な原因は、国家による経済計画が効果的に機能しなかったことである。国家計画機関による計画とは行政官僚たる計画官僚による机上プランであったから、生産現場の感覚を離れ、「西側―わけても米国―に追いつき追い越せ!」との共産党指導部の号令に押された無理難題となりがちであった。
 より根源的には、商品‐貨幣経済を廃止しないままに計画経済を導入していたことが問題であった。貨幣は本性上計画になじまないアナーキーなモノであって、いかなる机上プランをもってしても物と金の流れを秩序正しく規制することなど果たせぬ夢であったのだ。ソ連の計画経済はしょせん統制経済の域を出ないものであった。逆に言えば、真の計画経済は商品‐貨幣経済を廃止して始めて意義を帯び、有効に機能したであろう。
 加えてソ連では工業化と軍備増強を急ぐあまり、重工業・軍需産業傾斜政策が採られたことから、民生に関わる消費財の生産体制に立ち遅れがあり、西側でしばしば揶揄された商店の空の棚に象徴される品不足が恒常化し、批判的論者から「不足経済」の名を冠せられた。そのうえ品薄の消費財の質も粗悪であった。
 こうした事情から、ソ連の「発達した社会主義社会」では西側の資本主義社会と比べて消費生活の貧困を招き、大衆の不満を鬱積させていた。

◇資本主義の「勝利」と「未勝利」
 
資本主義が勝利したと称する相手方とは、実は以上のような実態を伴う国家社会主義であったのである。たしかに、このことは認めてよいであろう。特に消費生活の豊かさは、資本主義が最も華々しい勝利を収めたフィールドであったと言える。
 ただし、この「勝利」も留保付きのものである。おそらく戦後日本が好例であろうが、資本主義諸国も決して市場経済を野放しにしていたわけではなく、国家による経済介入によって市場を管理する仕組みも備えてきたし、国有企業も備えていた。
 またソ連モデルとの対比でしばしば理想化されてきたスウェーデン・モデルに象徴されるように、資本主義経済の枠内で労働法制と社会保障制度を整備して労働者階級の生活を支え、労使協調をもたらす福祉国家の仕組みも、程度の差はあれ資本主義諸国で発達してきた。自由放任経済体制をタテマエとする資本主義総本山・米国でさえ、1930年代の大恐慌に対応するためのニュー・ディール政策以来、同様の方向を採ってきたのであった。
 このように、資本主義の側から社会主義へにじり寄るような資本主義原理の修正も、「勝利」をもたらす大きな要因となったのである。
 しかし、資本主義がまだ勝利していない相手、それがかの共産主義である。勝利していないのはもちろん、共産主義に敗北したからではない。共産主義はまだ一度も本格的に試みられたことがないからである。それは資本主義にとっていまだ未知のライバルだと言ってよいであろう。ただ、この得体の知れない未知のものについて語り始める前に、「勝利」した資本主義の現況について概観しておく必要がある。

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