ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産論(連載第22回)

2017-03-19 | 共産論[改訂第2版]

第4章 共産主義社会の実際(三):施政

(1)国家の廃止は可能だ(続)

◇民衆会議体制
 
我々が賃金奴隷として搾取されつつやっと獲得した賃金―そこからさらに消費搾取もされて―から税金を収奪し、そのうえにその税金を使って戦争にも使役しようとする国家。そんな怪物は今すぐ退治すべきだという気になるかもしれない。しかし、どのようにして国家を廃止することができるであろうか。
 この点に関しては、マルクスとエンゲルス、そして彼ら以後の伝統的な共産主義者らも、アナーキストと混同されることを恐れてか国家の廃止を明言せず、「国家の死滅」といったあいまいなテーゼでお茶を濁すのが通例であった。
 しかし、国家は生き物ではないから待っていればそのうちに「死滅」してくれるというわけにはいかない。国家を廃止するためには国家という観念そのものを手放し、国家によらない新たな社会運営の仕組みを具体的に提示しなければならない。では実際、国家の廃止はいかにして可能であろうか。
 直入に結論から行けば、真に民衆を代表する機関―これがすでに幾度か言及された「民衆会議」である―を創設し、この機関を唯一の施政機関として位置づけることである。
 この民衆会議は議会制度とも政党組織とも異なる、代議的な構制の社会運営団体であって、特筆すべきは、後で詳しく述べるようにそのメンバーたる代議員が試験制による公式免許(代議員免許)を持つ市民の中から―選挙でなく―くじで抽選されることである。しかも民衆会議は「政府」ではないから、租税やそれに類する課役を強制するようなこともない。
 この共産主義独自の社会運営団体は議会・政府・裁判所という教科書でおなじみの古典的な三権分立体制も採らない。
 古典的な理解によれば三権分立は独裁防止のための権力分散システムとされるが、その実態は三頭竜のような怪物的権力体である。しかし、権力は単頭竜で十分である。従って、それ自体がセクショナリズムによってヤマタノオロチのようになり果てた政府機構も全廃され、今日の中央省庁に相当する機関はすべて民衆会議に直属する一種の政策シンクタンクに転換される。
 もっとも、このような施政機関が存在するなら、なおそれは国家類似の権力体なのではないかとの反問が出るかもしれない。
 たしかに、共産主義は全きアナーキズムとは明確な一線を画している。およそ人間社会を維持していくうえで、強制力を備えた法という社会規範と法に基づく施政権力まで否認することはできないからである。その意味で、国家‐権力は廃止されても法‐権力までが廃止されるわけではない。
 ただし、共産主義的な法‐権力は国家という権力体を通じて上から「発動」されるのではなく、民衆会議という代議機関を通じて下から「活用」されるのである。国家の廃止の第一の意義はこの点にある。
 伝統的な国家論においても、“国民主権”とか“人民主権”といった民主主義の理論が盛んに唱えられてきたが、それらがほとんど空理空論に終わってきたのも、国家なるものを前提とする限り、主権は国民でも人民でもなく、当の国家自体―要するに国家を掌握する政治家・官僚・軍人―に掌握されることを免れないからである。
 この点、共産主義における政治の第一原理は民衆こそ社会の主役!という「民衆主権」にあると言ってよいが、これをまたしても空論に終わらせないためにも、民衆会議を通じた国家なき社会運営の仕組みを確立しなければならないのである。

◇主権国家の揚棄
 国家の廃止はしかし、単に民衆会議の創設をもって完了するのではない。対外的な関係でも主権国家が揚棄されていかねばならない。この問題の詳細は最終章で扱われるが、必要な限度で先取りしておく。
 主権国家の揚棄とは、諸民族が主権国家の檻から解放されて「世界共同体」に包摂されていくことを意味する。
 ここに世界共同体とは、地球の全域を束ねるトランスナショナルな施政機構である。この新たな世界システムの下では、今日の国際関係の中で主権国家として行動する総計200近くにも達するアクターは、各々世界共同体に包摂される領域単位―これを「領域圏」と呼ぶ―として相対的な自主権を保持するが、この自主権は国家主権とは異なり、その優越性を他の領域圏はもちろんのこと、世界共同体に対しても主張することができないのである。
 従って、「領域」とは「領土」ではなく、領域圏の住民総体が領域圏の民衆会議を通じて自主的な施政権を行使し得る単位であり、その究極的な管轄権はあくまでも世界共同体に帰属する。
 この世界共同体(世共)は今日の国際連合(国連)のまとまりをいっそう深化させたものと考えればわかりやすいが、国連のような単なる主権国家の連合体を超えた単一の共和的な地球的施政機構としての地位を持ち、最終的に完成された段階においては、地球全域での計画経済を担う経済機関をも擁することを予定している。
 ちなみに、世界共同体は従前から提唱されている「世界連邦」とも全く異なる。「連邦」というと一個の「国家」(連邦国家)とみなされることになり、「中央政府」(世界連邦政府)も創設されることになるであろうが、共産世界共同体はいかなる意味でも「国家」を認めないから、「世界連邦」構想とは明確に区別すべきものである。
 むしろ世共の運営―とりわけ経済協力―を今日の国連よりも分権的かつ民主的に行うために、世界を数個の連環的大地域―これを「環域圏」と呼ぶ―に区分し、この環域圏にも固有の民衆会議が設置されるのであるが、その詳細は最終章で改めて述べることにする。
 ともあれ、このようにして現存主権国家間の利害対立関係を世界共同体へと止揚していくことが、国家の廃止の第二義である。

ジャンル:
その他
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 共産論(連載第21回) | トップ | 不具者の世界歴史(連載第7回) »

コメントを投稿