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マルキシストとの論争―「自由な共産主義」をめぐって―(20)

2016-10-01 | 〆マルキシストとの論争

20:国家について④

コミュニスト:マルキシストさんは、「七権分立論」の中でも司法権を重視されるようですが、これは旧ソ連をはじめ、マルクス主義を公称してきた体制において司法権が軽視されたことへの反省を踏まえてのことですか。

マルキシスト:そうです。通常の「三権分立論」においても、立法・行政・司法と司法を最後に言及することが多いですが、これにも実は司法を立法・行政より劣後させる含意があります。しかし、司法は立法された法の解釈権を持つ重要な権力部門であり、その位置づけはより優先されなければなりません。

アナーキスト:三権分立論の元祖様モンテスキューは、司法権を恐るべきものとみなし、無であることが望ましいと考えていたそうだね。自身が世襲裁判官貴族であった経験から、司法権の抑圧性をよく知っていたのだろう。

コミュニスト:モンテスキューは司法権を廃止するということではなく、常設の裁判機関の創設に否定的だったのですね。

アナーキスト:それでも正鵠を得た指摘ではないかね。私とともに国家の廃止を提起するコミュニストさんも、司法権に関しては常設の裁判所制度を維持する構想だったと思うが、私に言わせれば、生命を含む人の権利をたった一本の判決をもって左右できる司法権は国家の核心であり、司法権を残しては真の国家の廃止とは言えない。

コミュニスト:実は最近、私もその点について大きな発想の転換を経験しまして、裁判所という歴史的な制度を廃止し、紛争や犯罪の解決はもっと非常設的な裁定会議体に委ねるという構想に変更しようとしているところです。

アナーキスト:おや、するとコミュニズムはアナーキズムによりいっそう接近してくれることになり、ありがたい限りだ。

コミュニスト:後でも言いますが、アナーキズムという観点からの司法権廃止論とは違うのです。

マルキシスト:私には、お二方の構想いずれも現実性に欠けると思われます。裁判所の制度自体は、もはや変更できないそれ自体が大きな人類的慣習ではないでしょうか。要は、裁判所の独立性・中立性をいかに確保するかにかかります。これは永遠の課題でしょう。

コミュニスト:その点、マルキシストさんは、共産党に七権の一つである「提案権」を担う準国家機関の地位を与えるわけですが、そうなると、やはり司法権の独立性・中立性は制約されるのではないでしょうか。

マルキシスト:提案機関としての共産党は旧ソ連体制におけるような指導機関ではありませんから、司法権に対して何らの干渉・介入もしません。もちろん、裁判機関内部に共産党組織が形成されるようなこともありません。

コミュニスト:私は、司法権=裁判所ではないと考えるようになりました。皮肉にも、裁判所の独立性・中立性が確保されればされるほど、裁判所は超然とした権威主義の砦と化していきます。そこに陪審員とか参審員などの一般市民を部分的に投入してみても変わりありません。裁判所というような権威主義を免れない権力機関ではなく、まさにモンテスキューの原論に遡り、裁判所とは別の裁定会議体の創出を構想したほうがよいのではないかと思うのです。

マルキシスト:その努力は買いますが、なかなか難しいのではないかと思います。ただ、裁判所が権威主義に陥りやすいというご指摘は重要で、そうならないためにも、七権のうちの一般監察権や人民監督権を通じた不断のチェックは不可欠です。

コミュニスト:なるほど、司法権に対する大目付役ですか。そこまでしないと不安というのも、何ですが。

アナーキスト:アナーキズムの理想的な社会状態では、そもそも紛争も犯罪もほとんど発生しないから、言われなくとも司法権は無に近くなるはずだ。

コミュニスト:たしかにそうです。特にあらゆる紛争・犯罪の共通元である貨幣の廃止は、司法権を事実上無用の権力に近づけるでしょう。ただし、人類がそこまで深く覚醒するには、まだまだ長い時間がかかりそうではありますが。

※本記事は、架空の鼎談によって構成されています。

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