油屋種吉の独り言

オリジナルの小説や、随筆をのせています。

どん欲 その1

2017-05-10 18:37:06 | 小説

 もうひとつのヒールのかかとのひもを右手
で頭の上に持ちあげると、さくらはくるくるま
わした。
 大胆にも、シームレスストッキングをはい
ただけの足で、腰を左右にふりふり、歩道を
歩き去っていく。
 ちょっと前に流行った、はまさきあゆみの
曲をふいに大声で歌いだし、眠っていた最寄
りの番犬を鳴かせた。
 「やれやれいい気なもんだぜ。しょうがね
えな。探すしかねえか」
 洋介はヒールが消えた狭い露地を見すえた。 
 奥に行けば行くほど、闇が支配しているよ
うである。
 彼女の前で、彼はいつも怖いものなどない
と偉そうにしているが、ほんとうは暗いとこ
ろは大のにがてだ。
 片方の靴ずつゆっくり、コンクリートの床
をこするようにして進んで行く。
 淡い街路灯の光が差しこんでいる範囲はほ
んの少しで、歩道からおよそ一メートルくら
いだった。
 闇の世界の入り口で、誰かが投げ込んだら
しい空き缶に彼の右足がふれたとき、それが
転がり、カランと音をたてた。
 それだけで、彼の気持ちは萎えてしてしま
い、それ以上、前に進む気力をなくしてしま
った。
 「なあに、さくらには一所懸命探したけど結
局見つからなかったといえばすむことだ」
 彼はそうつぶやくと、その場にすわりこみ、
両手をのばすと、あちこち床をたたいた。
 突然何かやわらかい物を、彼の左手がた
たいた。
 ぎゅっとつかんで、手元に引き寄せる。
 普段でも空気がよどんでいる。
 むわっと、おしっこの匂いがただよい、彼
は顔をしかめた。
 見ると、赤ん坊の汚物をつつんだ紙おむつ
だった。
 なんてついてないんだと、その左手を夜露
でぬれた床にこすりつけながら、彼は我と我
が身をなげいた。
 何もここまですることはないじゃないか。
 こうまでして機嫌をとり、あいつを抱くの
はいかがなものか。
 それほどまでする値打ちがあるだろうか。
 ふと自分が情けなくなり、もう探すのを
やめようと思った。
 だがさくらの怒った顔が脳裏に浮かぶ。
 ええい、こんちくしょうめ。
 彼は心の中でそう叫び、腰を落としたま
まで、いっぽ、二歩とまた歩いた。
 怖さを紛らそうと、ピイピイと口笛を吹き
はじめる。 
 誰の曲でもない、自分の即興である。
 ボリボリ、ガリガリ。
 ふいに、彼の曲に、雑音がまじった。
 ビルの壁と壁に反響していて、その音の出
どころははっきりしないが、相当奥まったと
ころのように思われた。
 「おい、そこに誰かいるのか」
 誰かの怒鳴り声が背後で聞こえ、彼は首を
まわした。
 声の主は歩道にいるらしい。
 通行人らしい人影が、彼のまわりでうろつ
くのが見える。
 いく筋ものまっすぐな光がビルの壁にあた
りだし、つづいて、彼の顔にまともにぶち当
たった。
 あまりにまぶしく、彼は両眼をつむった。
 「おまえ、そんなところで何やってるんだ。
ちょっとこっちへ出て来い」
 どうやら警察官らしい。
 洋介は、いったん、雑音の在り処を探すの
をやめ、警官のもとへ出向くことにした。
 ガリガリ、ボリボリという音が、洋介の背後
で、一段と大きくなっていた。


 

 

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